ケンミジンコのうた

平和な日々の暮らしを綴った日記です

寛容さ

2020-06-04 18:39:39 | 雑感
我が家は読〇新聞を購読しているのですが、
決まって見るのは家庭欄で、特に「人生案内」を楽しみにしています。

人は色々な悩みを持っているんだな~と思うし、
回答に個性豊かなお人柄が滲み出ているのも面白いです。

少し前ですが、友人の食べ方が汚くて我慢できない、という投稿がありました。
確か70代の女性で、長く付き合ってきた友人なのだけれど、
彼女の食べ方が生理的に受け入れられなくて、付き合いを断とうと思う、という内容だったように記憶しています。

その回答が秀逸でした。
(確か樋口恵子さんだったような)
歳をとるにつれてますます必要とされるのは寛容さだと。
長年の友人との絆を切って孤独を味わうより、
寛容さを身に着けた方がいいのでは、と。

本当にそうだよな・・・

私は今、長年付き合ってきた友人達と次々に距離を置いて、
結局、寂しい人になっている。
いいところ、悪いところ、両方あるのが人間なのだから
悪いところには目をつむる寛容さをもって、付き合っていけばいいのかもしれない。

でも、やっぱり、嫌になることはあるし。
寛容さと上手に距離をとるのと、その塩梅が難しいなあ。

寛容さというのは、きっと、器の大きさでもあるんだろうなあ。

一人の人で全てを満たそうとしないで、
色々な人とちょっとずつ付き合っていくのもいいのかもしれないなあ。


にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マスクをくれた友だち

2020-06-04 17:10:16 | 雑感
コロナが猛威を振るっていたころのお話。

長い付き合いだけど、実はちょっと付き合うのに疲れていて
それとなく距離を置いていた友達がいたのですが、
ある日、彼女から郵便物が届きました。

開けてみると、今となっては入手困難なマスクが何袋か入っていました。
私は泣いて喜び、彼女にお礼の連絡をしました。
彼女は地方に住んでいるのですが、都市部よりは比較的マスクが手に入りやすいとのことで(そうなのかな?)
マスクが手に入ると、色々な友達に送っているとのことでした。

困っているときの友達は本当の友達。
私は彼女に距離を置こうとしていた自分の薄情さを恥ずかしく思いました。
嫌なところもあるけれど、いいところもたくさんある。
これからはいいところを見て彼女と付き合っていこう、そう思いました。

そして、翌日の出勤時。
早速、彼女からもらったマスクをつけて出かけようとしました。
新しいマスクは久し振りです。心が浮き立ちます。

つけてみて、あれ?と思いました。
きついのです。
マスクが入っていた袋をよく見たところ、「小さめサイズ」と書いてありました。
彼女が送ってくれたマスクは、全て、小さめサイズのマスクでした。

いやいや!小さめサイズだろうが何だろうが、マスクはマスク。
品薄で入手困難なマスクを送ってくれたことには変わりはない。
贈り物はありがたく思わなければ。
ありがたいじゃないですか!! ありがたいよ!!

でも、私は、あることを思い出しました。

毎年、彼女からくる年賀状は、いつも印刷がずれているのです。
「印刷ずれた!エコのために泣いてくれ!」というコメントが書いてあるときもありました。
まったく、そそっかしいな、彼女らしいな、と最初は思っていました。
でも、気付いてしまったのです。
彼女が毎年、印刷に失敗したハガキを、私宛に使っているということに。

色々な友達にマスクを送っていると言っていた彼女。
他の友達には通常のサイズを送っていたんじゃないかな。。

快くプレゼントしてくれた友だちに文句言うなよ!というお叱りを受けそうです。
もちろん、彼女には絶対に言いませんし、言えません。
(ちなみにお礼はきちんとしました)
でもね、でもね、彼女と距離を置きたくなったのは、
こういうところだったりするんだよね。


にほんブログ村
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「もう辞めよう」の先に

2020-06-04 14:40:41 | 仕事
私は自分ではとても真面目な人間だと思っているし、
真面目な人間は一つの物事をやり続けて、途中で放り出したりしないものだと思っているが、
私の仕事人生、振り返ってみると、いずれも数年で放り出してしまって
転職を繰り返すはめに陥っている。

そんな訳で、今回も4月からまた新しい職場で働いているが
いつもいつも、初心者からリセットする繰り返しが、いい加減嫌になってきた。
若い初心者ならいいが、年老いた初心者は色々と痛いのである。

私は真面目なのに、どうして仕事が長続きしないのかなと考えると、
仕事に完璧なやりがいを求めすぎていて、
「ここではないどこか」を探し続けてしまうからだと思った。

どこにもいない「青い鳥」を、探し続けてしまうのだ。

そして私の目から見ると不思議なのだが、
同じ職場で、同じ仕事を何十年も続けている人がいる。
(身近な人でいうと、私の夫がそうだ)
よく飽きないなと思う反面、夫を見ていると、
長年、同じ仕事をしてきただけに、その仕事にはすごく詳しくなっているし、
ある程度、自由な裁量があり、自分の好きなように仕事を進めることができているように見える。

それは、長年、同じ職場で、同じ仕事を続けてきたからこそ、
得られたものだと思う。

「転がる石に苔むさず」と言うが、私もそろそろ転がるのをやめて
苔を生やしてみようかと思う。

なので、今の職場も、色々と不満な点はあるが、
(そしてもう辞めてやれと思ってもいるが)
ちょっと踏ん張ってみて、この先にある風景を見てみようと思う。

その風景は、私がまだ見たことがない風景だと思う。


にほんブログ村
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

諦めて生きる

2020-06-04 09:47:06 | 雑感
新型コロナウイルスが猛威を振るう中、私は〇回目の誕生日を迎えました。
私は改めて、自分で自分の歳に驚きました。

世間でいう立派な中高年の年齢になってしまいました。
私はまだ30前後のはずなのに(?)、歳が気持ちをどんどん追い越していきます。

この調子だと、あっと言う間にお婆さんになってしまいそうです。
人生の残り時間って、案外、少ないのかもしれないな。

最近、私は何となく、自分に残された時間や体力を貯金の残高のように捉えていて、
できることと、できないことが、見えてしまったように感じることが多くなりました。

若かった頃は、今は叶えられなくても、将来、いつか叶えられる可能性があるように思えて、漠然とした将来に期待しながら生きることができました。
今はダメでも、生き続けていればチャンスはきっと来る。
そのチャンスを楽しみにして待とうと。

でも、今は、先が見えてしまうようになってしまった。

諦めなければいけない夢が多い。
夢が夢のまま終わってしまうのを、諦めないといけない。

本当は皆、少しずつ諦めながら、現実と折り合いをつけながら生きてきたのだと思います。
誰もがプロ野球選手になれるわけではない。
誰もが宇宙飛行士になれるわけではない。
無邪気な子供の頃ほど大きな夢ではありませんが、ささやかな夢も思いも、これから諦めて、封印しながら生きないといけないように感じています。

私の場合、例えば離島に住んでいる憧れの人のこと。
お金持ちになりたいという思い。
人気者になりたいという願い。
なんか、全部、無理そうだな!

時間というのは、可能性だったんだなあと、しみじみ思います。

まだまだ諦めたくないという思いを心の隅にくすぶらせながら、
(この思いの火は消してはいけない気がする)、
今、私が手にしているものを十分に慈しんで、
残された時間を生きていくのかなあと思います。

人生の秋を迎えつつある、ミジンコの所感でした。


**追記**

ネガティブなトーンになってしまいましたが、希望も残しておきたくなりました。

確かに歳をとれば残された時間も少なくなりますが、
これまでに得てきたもの、限られた自分という器を上手に生かして、
日々の生活を彩り豊かなものにしていくことが
個々人の手腕にかかっているような気がしています。

それに私は、これからの人生に、
どんな人々、どんな出来事が待ち受けているか
楽しみにしています。
思いがけない幸運、幸せがまだあるかもしれないし。


にほんブログ村
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする