ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

想いは2020年12月

2014年12月03日 | 日記

 今日、友人宅で「はやぶさⅡ」に関するTV放送を観た。
 打上げの様子を観ていると、思わず涙が出てきた。
 何故だか分らないが、熱いものが込上げてきたのである。
 2020年12月に地球に戻ってきて、再度、果てし無い宇宙へ旅立たせるという、壮大な物語の始まりである。
 6年後のこの時期に、長旅の果てに地球に帰還し”お土産”を地球に置いて行くと云うのである。
 なんと健気な姿ではなかろうか?!
 今日は、スポーツジムに行く予定の日であるが辞めにした。
 ビールが出され、乾杯した。
 与えられたミッションをクリアして、帰還(サンプル・リターン)を願っての乾杯であった。
 先に日記にもしたが、2020年12月の次なる旅立ちを(私自身が元気で)見送ってやらなければと強く思った事であった。
 行ってらっしゃい! 良い旅であることを祈ります。
 
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沈下橋の想い出

2014年12月03日 | 日記
 
 私が、生まれ育った”ふるさと”にも沈下橋はあった。
 その想い出の沈下橋も、時代を溯れば”木造”であった。
 私の生家から自転車で30分(子供の頃)程の処に「一級河川」があり、橋はあった。
 下流域での橋は、一般国道の橋梁以外は”沈下橋若しくは木造橋であった様に記憶している。
 台風や長雨で増水すると、木造の橋は流されていた。
 流されても、修復出来る様に主だった木材は、ワイヤーで結ばれていて、流失してしまうことは無かった。
 幼心にも、増水などで橋で無くなった状態を観て”大人の知恵に感心”していた。
 何時の頃かは分らないが、木造橋からコンクリート製の、所謂”沈下橋”となった。
 確かに、橋は増水によって、流失しなくなったが、ガレキや流木等で通行不可には成っていた。
 私の生まれ育った街には”本屋さん”が無かった。
 自転車で一時間程かけて通った。
 しかし、この橋が増水や流出すると、回復する(再構築若しくは増水が治まりガレキの撤去)まで、通行不可となり、国道の橋まで遠回りしなくてはならない。
 月刊誌の「少年の科学」や「模型と工作」の出刊日になると、居ても立っても居られなくなり、遠回りしてでも行きたかった。
 例え、立読みに終わっても行きたかったのである。 (少ない小遣いを使うのであるから、記事の内容によっては買わなかった)
 夏になると、プール等は無く、水泳のためによく行った。
 橋の高さ(水面からの)が手頃で、飛び込み台としての役目も果たしてもらった。
 水量が多く、水流の勢いも強いことから、ただ浮いて流れに任せる”泳ぎ”でしか出来なかった。
 今ではトラフ橋が架かり、増水しようが無関係な状態となっているし、夏になっても水泳する姿を見かけることはない。
 両親達が眠る墓の、目と鼻の先に、この三代の歴史(木造橋→沈下橋→トラフ橋)を語る橋があり、墓参のたびに、沈下橋のあった幼き頃を思い出すのである。
 そして、先日の29日、訪れた高知の沈下橋に立っても、幼き頃の想いを巡らせてもいた。
 
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