誰でもこの言葉ご存知ですよね。
あまり良い意味でつかわれないのでは?
でも、今日は違いますよ。
親鸞(しんらん)というお坊さんご存じですよね?
この方の教えの中心的なものが
この「他力」なんです。
親鸞さんの教えというのは、
とにかく「南無阿弥陀仏」と祈り続けなさいということ。
そうすれば救われるというもの。
「自力をやめて、とにかく祈って、他力で生きよう」と。
いつも言うように、
人生を自分でコントロールしようとか
目標を立てて、目指して。。。。とか
努力、努力とか。
正直、そんなものは意味ないんです。
学校も社会も、親もみんなそう教えてきました。
でもごく少数の人はもう気づいてます。
本や、テレビでも、いまだに自己啓発で目標たてて。。。
なんての聞くと、あまりに知らないんだなと思ってしまいます。
キリストも、スピリチュアルも、親鸞も
みーんな同じことを言っているんです。
「自力」でどうにかしようとするから
苦るしいのだと。
オールを手放して、とにかく身を任せる。
人生はなるようになっていくし、
その人それぞれに最適なように流れていく。
キリストでも、仏でも、神でもなんでもいいのですけれど、
自分の力ではどうしようもない、人智を超えた力に
生かされていると知るべきです。
ちょっと考えてみれば不思議ではないですか?
身の回りにある、パソコン、携帯電話、テレビ、冷蔵庫・・
ありとあらゆるものは故障したり動かなくなるのに、
あなたが寝ていようか、少しくらいお酒飲みすぎても
どんなことがあっても、あなたの心臓は動いてくれていて、
死ぬまで、必ず朝になれば目が覚めるんです。
目、鼻、耳、口、指、すべてが絶妙なのです。
もしあなたが今日から、排せつできなくなれば、すぐに死ぬことになる。
ありとあらゆることが絶妙なんですね。
私たちは、「他力」でもともと生きているというか
気づいたら、肉体があって、思考しながら、
生きちゃっているんです。
自分の意思とは関係なく、生きだしちゃっているし、
間違いなく死へ向かうんです。
どうして、これが自力で生きているなどといえるでしょうか。
すべての出来事は最適に起こる。
これを信じて、大いなる力に身を任せて生きましょう。
離婚でも、なんでも、100回でもすればいい。
そのうち死にますから。
何が良いとか悪いとか、自分が期待したとおりに生きたいとか
他人の人生と比較するからつらくなる。
あなたの人生は、あなただけの特別な人生として
この世に生まれました。
私は自分の思い通りとは言えない人生を歩んではいますが、
けして後悔はしない生き方をしていますし、
人生の流れは確実にあると実感しながら生きています。
もし・・・ならという人生はありません。
今生きている人生が自分の人生でしかありえません。
しかも、まだまだ良いことも悪いこともあるでしょう。
注意したいのは、良いとか悪いも、あなたの視点で見てのことです。
死ぬまでその出来事が良かったのか、悪かったのかわかりません。
自分の20年前の出来事を考えてみてください。
今のあなたの状況を想像できましたか?
予想もしていないことは起こりませんでしたか?
その流れが見えるためには、執着を手放さないと見えない。
手放しても、手放しても、人間というのは執着するんです。
そういう生き物だと、それ自体を受け入れて、手放す。
この手放すというのは、もう自分ではどうにもできない!
これ以上は無理!そこまで追い詰められてようやく
ちょっとだけわかるようなもの。
でも、手放すという決断をするのは、あなた自身にしかできません。
はじめは誰でも怖いのですが、身を投げ出してしまえば、
そこに平和があることに気づけると思います。
努力しなくていいとか、そんなことではないんです。
自分でどうにかできそうならすればいいし、
できないこともあるんだから、それはもう天に任せるしかない。
あまり良い意味でつかわれないのでは?
でも、今日は違いますよ。
親鸞(しんらん)というお坊さんご存じですよね?
この方の教えの中心的なものが
この「他力」なんです。
親鸞さんの教えというのは、
とにかく「南無阿弥陀仏」と祈り続けなさいということ。
そうすれば救われるというもの。
「自力をやめて、とにかく祈って、他力で生きよう」と。
いつも言うように、
人生を自分でコントロールしようとか
目標を立てて、目指して。。。。とか
努力、努力とか。
正直、そんなものは意味ないんです。
学校も社会も、親もみんなそう教えてきました。
でもごく少数の人はもう気づいてます。
本や、テレビでも、いまだに自己啓発で目標たてて。。。
なんての聞くと、あまりに知らないんだなと思ってしまいます。
キリストも、スピリチュアルも、親鸞も
みーんな同じことを言っているんです。
「自力」でどうにかしようとするから
苦るしいのだと。
オールを手放して、とにかく身を任せる。
人生はなるようになっていくし、
その人それぞれに最適なように流れていく。
キリストでも、仏でも、神でもなんでもいいのですけれど、
自分の力ではどうしようもない、人智を超えた力に
生かされていると知るべきです。
ちょっと考えてみれば不思議ではないですか?
身の回りにある、パソコン、携帯電話、テレビ、冷蔵庫・・
ありとあらゆるものは故障したり動かなくなるのに、
あなたが寝ていようか、少しくらいお酒飲みすぎても
どんなことがあっても、あなたの心臓は動いてくれていて、
死ぬまで、必ず朝になれば目が覚めるんです。
目、鼻、耳、口、指、すべてが絶妙なのです。
もしあなたが今日から、排せつできなくなれば、すぐに死ぬことになる。
ありとあらゆることが絶妙なんですね。
私たちは、「他力」でもともと生きているというか
気づいたら、肉体があって、思考しながら、
生きちゃっているんです。
自分の意思とは関係なく、生きだしちゃっているし、
間違いなく死へ向かうんです。
どうして、これが自力で生きているなどといえるでしょうか。
すべての出来事は最適に起こる。
これを信じて、大いなる力に身を任せて生きましょう。
離婚でも、なんでも、100回でもすればいい。
そのうち死にますから。
何が良いとか悪いとか、自分が期待したとおりに生きたいとか
他人の人生と比較するからつらくなる。
あなたの人生は、あなただけの特別な人生として
この世に生まれました。
私は自分の思い通りとは言えない人生を歩んではいますが、
けして後悔はしない生き方をしていますし、
人生の流れは確実にあると実感しながら生きています。
もし・・・ならという人生はありません。
今生きている人生が自分の人生でしかありえません。
しかも、まだまだ良いことも悪いこともあるでしょう。
注意したいのは、良いとか悪いも、あなたの視点で見てのことです。
死ぬまでその出来事が良かったのか、悪かったのかわかりません。
自分の20年前の出来事を考えてみてください。
今のあなたの状況を想像できましたか?
予想もしていないことは起こりませんでしたか?
その流れが見えるためには、執着を手放さないと見えない。
手放しても、手放しても、人間というのは執着するんです。
そういう生き物だと、それ自体を受け入れて、手放す。
この手放すというのは、もう自分ではどうにもできない!
これ以上は無理!そこまで追い詰められてようやく
ちょっとだけわかるようなもの。
でも、手放すという決断をするのは、あなた自身にしかできません。
はじめは誰でも怖いのですが、身を投げ出してしまえば、
そこに平和があることに気づけると思います。
努力しなくていいとか、そんなことではないんです。
自分でどうにかできそうならすればいいし、
できないこともあるんだから、それはもう天に任せるしかない。
とても心に響く内容がたくさん…
いつもありがとうございます。とても救われます。