こんにちは。
何度も話していることですが、
苦しみや、悲しみには
「底つき」というものがあります。
たしかに
底なしのように思える苦しみも、悲しみも
どこかで上に転じるときがあるのです。
もちろん、
きっかけは人それぞれですし、
時期も違うのですが、
ふと、
「もう悲しむことにも疲れた。。。」
「人生を無駄にしてはいけない。。。」
そんな感覚になることがあるかもしれません。
人間というのは、
楽しいこともそうですが、
悲しいこと、辛いことにも
何か同じことを行動し続けることには、
限界があるのです。
ちょっと考えてもらえばわかることですが、
いくら美味しいものでも、
永遠に食べ続けたら、疲れるし、飽きるでしょう。
いくら寝たいからといって、
一週間眠り続けることはできませんよね。
一週間、座り続けることもできないし、
1年間遊び続けることは、何か物足りないような感覚になってくるでしょう。
恋愛でも、少しずつ変化があるでしょう。
だから仏教でも「諸行無常」
という言葉があるように、
「常なるものはない」が真理です。
得てして悪い意味にとられることが多いですが、
それは幸せな人のとらえ方。
逆にいえば、悪いこと、悲しみ、・・・も常ではありえない
これも真実なのです。
涙を流しつづけ、悲しみに暮れ、
何も動けないなら、それはそれでしょうがないのです。
人はどん底まで苦しんだら、
やっぱりその環境に居続けることはできずに、
必ず上昇しようと考えだします。
ただ、その力を得るためには、
ほんとうに苦しみ、悲しむことが大切です。
しっかりと涙することも。
今、あなたがどんなに苦しい状況でも
悲しみ続けた先には、
上昇の力が宿るのですから、
安心して悲しんで下さい。
苦しみは望みませんが、苦しいのだからしょうがない。
大丈夫です。
悲しみのプロセスは確実に進んでいますから。
何度も話していることですが、
苦しみや、悲しみには
「底つき」というものがあります。
たしかに
底なしのように思える苦しみも、悲しみも
どこかで上に転じるときがあるのです。
もちろん、
きっかけは人それぞれですし、
時期も違うのですが、
ふと、
「もう悲しむことにも疲れた。。。」
「人生を無駄にしてはいけない。。。」
そんな感覚になることがあるかもしれません。
人間というのは、
楽しいこともそうですが、
悲しいこと、辛いことにも
何か同じことを行動し続けることには、
限界があるのです。
ちょっと考えてもらえばわかることですが、
いくら美味しいものでも、
永遠に食べ続けたら、疲れるし、飽きるでしょう。
いくら寝たいからといって、
一週間眠り続けることはできませんよね。
一週間、座り続けることもできないし、
1年間遊び続けることは、何か物足りないような感覚になってくるでしょう。
恋愛でも、少しずつ変化があるでしょう。
だから仏教でも「諸行無常」
という言葉があるように、
「常なるものはない」が真理です。
得てして悪い意味にとられることが多いですが、
それは幸せな人のとらえ方。
逆にいえば、悪いこと、悲しみ、・・・も常ではありえない
これも真実なのです。
涙を流しつづけ、悲しみに暮れ、
何も動けないなら、それはそれでしょうがないのです。
人はどん底まで苦しんだら、
やっぱりその環境に居続けることはできずに、
必ず上昇しようと考えだします。
ただ、その力を得るためには、
ほんとうに苦しみ、悲しむことが大切です。
しっかりと涙することも。
今、あなたがどんなに苦しい状況でも
悲しみ続けた先には、
上昇の力が宿るのですから、
安心して悲しんで下さい。
苦しみは望みませんが、苦しいのだからしょうがない。
大丈夫です。
悲しみのプロセスは確実に進んでいますから。
著者様。
このブログとフランクル氏から、
どう生きるか問われている、
と学びを得ました。
それでも、わたしは、
悲しみや苦しみの感情の渦の中に
のまれて、沈んでばかりいます。
洗濯機の中にいるようです。
辛さから、逃れられない。
離婚で、
夫を失い、
人生のパートナーを失い、
子どもたちのパパを失いました。
夢みて夢みて、一生懸命働いて、
やっと手にいれたばかりの家を失いました。
住み慣れた町を、親しんだ人々を失いました。
わたしの、子どもたちの未来も。
どれも愛しいものでした。
かけがえのない人生が消えた気がします。
今、夢の家には、他の家族が住んでいます。
子ども部屋は、
よそのお子さんが使っています。
わたしの子どもたちは、
狭いアパートに暮らしています。
わたしは、神を恨んでいます。
神を憎んでいます。
自分を責めました。
人生を選択したのは、わたしです。
けれど、
神様でも憎まないと、
気が狂いそうだったのです。
空に問いかけています。
神様、なぜ、わたしから大切なものを
取り上げたのでしょうか?と。
わたしは、それほど悪い人間でしたか?
未熟な人間でしたか?と。
神様は、1度も返事をしてはくれません。
他の人の幸せそうな暮らし。
旦那さん。パパさん。
マイホーム。普通の暮らし。
妬ましく、苦々しい。
見るたび、心から血が流れます。
悲しみの底。絶望の底。
いつまでも底には
たどりつかないような気がして、
怖くてたまりません。
わたしは、病んでいるのでしょうか。
ホジティブや元気な言葉を避けてました。そして慰めや同じ痛みの人のブログを読み続けていました。なぜなら、その言葉しか心に響かなかったからです。
最近はあの曲を聞いても大丈夫になりました(;^_^A 私は悲しみ続け、ずっと自問自答をしました。そして本を読みました。本の意味を自分の行動に照らし合わせて自分の考えを認めてあげるようにしました。
すごく苦しくて辛い作業でした。私は彼越しで自分を見てたんだなぁと思います。
そんなの自分の気持ちじゃないのに、、、。完全には別れてないので彼の言葉に怯え悲しみますが、私は負けません。私の思考は私だけのものです!!なんかメッチャナルシストな文章になってしまいました。恥ずかしいです。このブログは私のお守りです。応援しています!ありがとう!
ひとつひとつの言葉が
重く、そして、心の辛さを映していますね。
神への問いかけ、
まさに、
そうでもしなければ
やりきれない。。。
離婚を経験した多くの方が
同じ想いでいることと思います。
あなたは病んでいるわけではないし、
特別おかしいわけでもない。
ほんとうに、
心から
家族を大切にし、
時間を大切にしてきた。
あなたのその想いを否定することなど
だれもできないでしょう。
「私の思考は私だけのものです。」
すばらしい言葉です。
苦しみを耐えてきたからこその言葉です。
あなたの人生はあなたのものです。
たしかに望みどおりとは言えないかもしれない。
「彼越しで自分を見ていた・・・」
結婚すると、どうしてもそうなります。
でも、どんなときでも
生れたときからずっと、
あなたは
あなたですし、
その大切な存在はだれも傷つけることなどできません。
あなたは、
あなたとして完全で、大切な存在です。
連休中に、今会える友人ほとんどに合ってみました。
もう忘れて、次の相手を探したらと言われ続けました。
未経験者は、やっぱり理解してくれないですね。
しかし何か、次の相手を探したい意欲が出てきました。
著者様には、安易な婚活と叱られそうですね。
正直、メールをやりとりしてくれる女性がいるのですが、少し気が紛れます。
何が良いのですかね。
こんにちは。
一緒に居られる友人がおられること、
のぶさんの人柄ですね。
経験しないことには、
なかなか理解してもらえない
複雑な気持ちですよね。
次の相手を探したい意欲はとても
すばらしいこと。
悪いことでも何でもありません。
メール交換できる方もいるって、
とてもすばらしいことです。
新しい関係性も大切にしながら、
しんどいので、難しいのですが、
そこだけに依存しないことが大切です。
そのためには、
自分だけの時間、趣味をしっかりと大切にして
過ごすことです。
離婚すると、
前とは正反対の性格の人や、
前の方の欠点がない方などに惹かれやすい。
いきなり男女の関係ではなくて、
まず、信頼できる相手と、
親友以上、恋人未満くらいな
距離感で、異性と時間を一緒に過ごしていくことで
いろいろなことを学べると思います。
その調子です。
そう思って上っては、また下り、また底を見て…もう何度繰り返していることか。
こうしている間はまだ底ではないのかと、悲しみ、苦しみからなかなか抜け出すことができずにいます。
幸せな思い出も、思い出す度に悲しみが増え、自分でもどうしていいかわからず、戸惑うばかりです。
寒い冬から、春を過ぎ、初夏の風が吹き始めても、私の心は根雪のような悲しみで埋め尽くされています。
悲しみと共に抱いているあの人への思いを、手離せずにいます。
手離してしまえば、自分の中のあの人を失ってしまいそうで。
もう持ってもいない物を、持っていると思いたくて、悲しみに身を沈めてしまいます。
毎日を何とかやり過ごし、どれくらい時が経てばここから抜け出すことができるのか、まだ検討もつきませんが、同じような日々を過ごしています。
まだ底は見えないのか、ずっと底から抜け出せないのか、今の私にはわからなくなりました。
みなさんのコメントを読むと、あまりに共感できることが多いです。私もまだ悲しみの中にいます。この2年、変わった部分もありますが、時間の感覚があまりないです。うまく表現できません
来週裁判です。裁判の前後は心が乱れます。終わりに近づきつつあるようで、陳述書を提出しました。私のカウンセラーの意見書もあり、私が知らない夫とカウンセラーのやりとり、私の前の職場の管理職やセクハラ加害者に関することなど新たに知ることもありました。これで、夫やセクハラ加害者の嘘は裁判官にもわかっていただけるのではないかと期待もしています。
夫とセクハラ加害者の意見書も合わせて40枚近く届きましたが、とても読む勇気がありません。誹謗中傷とわかってますから。弁護士さんにも今は読めませんと伝えました。今後近いうちに証人尋問もあります。犯罪者のような気持ちにさせられます。そこでは、2年ぶりに夫と顔をあわせることになりそうです。セクハラ加害者にもです。それぞれの弁護士からも尋問されるとかで、当日自分がどうなってしまうのか、とても怖いです。
私はここまでされるほど悪いことをしたのでしょうか。なぜ?という気持ちと、仕方ないという気持ちと複雑です。あまりのストレスに髪も抜け、昨日は脱毛クリニックにいきました。
本当にすべてが変わってしまいました。しかし、少しずつでも前を向いて自分を信じ、自分を取り戻していけたらと思っています。
幸せってなんだろう。
幸せになれるのかな?