スタインベック『怒りの葡萄』(上下巻、ハヤカワepi文庫、黒塚敏行訳)
一九三〇年代、アメリカ中西部の広大な農地は厳しい日照りと砂嵐に見舞われた。作物は甚大な被害を受け、折からの大恐慌に疲弊していた多くの農民たちが、土地を失い貧しい流浪の民となった。オクラホマの小作農ジョード一家もまた、新天地カリフォルニアをめざし改造トラックに家財をつめこんで旅の途につく―苛烈な運命を逞しく生きぬく人びとの姿を描き米文学史上に力強く輝く、ノーベル賞作家の代表作、完全新訳版。(「BOOK」データベースより)
◎夢の楽園を目指して
スタインベック『怒りの葡萄』(上下巻、ハヤカワepi文庫、黒塚敏行訳)を新訳で再読しました。以前に。新潮文庫(上下巻、大久保康雄訳)で読んでいました。記憶力が悪いせいでしょうか。それとも新訳がなじみやすかったせいでしょうか。ジョード一家に新鮮な感動をおぼえつつ、スムースに伴走できました。
1930年代、アメリカ中西部のオクラホマは、大かんばつに見舞われました。しかも地主は小作人を追い出し、収穫の望めない畑地を銀行の抵当に入れたのです。生活の糧を奪われたジョード一家は家財道具を運び、一時身内のところに身を寄せます。
そこへ殺人罪で服役していた次男トム・ジョードが、仮釈放になって戻ってきます。道中いっしょになった元説教師ケイシーをともなっています。
トムを含めたジョード一家は、職を求めて新天地カリフォルニアへ向かうことを決めます。家財道具を売り払い、何とか中古のトラックを買い求めました。
上巻は悪戦苦闘の道中を、繊細な筆運びで描いています。途中で祖父が亡くなります。カリフォルニアに向かう道は、同じような人群れで満ちあふれています。そして楽園・カリフォルニアに到着します。そこで初めて、祖母も途中で亡くなっていたことを知らされます。カリフォルニアは、思い描いていたような楽園ではありませんでした。
◎飢餓と病気と虐待
新天地カリフォルニアは、仕事を求めて集まった人たちで埋め尽くされていました。ところが仕事はほとんどなく、あったとしてもそこに大勢が押し寄せるので、労賃は不当に安くされてしまいます。家族総出で働いても、やっと1日の糧を得るだけでした。
難民たちは「オーキー」と侮蔑され、道端で身を寄せ合ってキャンプ生活を余儀なくされます。そこは飢えと病気と絶望のるつぼと化していました。カリフォルニアは一部の地主が権力を握り、保安官補たちは彼らの手先となっていました。
祖父母を衰弱死で失ったジョード一家は、道端でのキャンプ生活をしながら職を求めつづけます。次兄のトムと弟のアル。身重の妹のロザシャーンとその婿のコニー。幼い弟ウィンフィールドと妹ルーシー、伯父のジョン。そして元説教師のケイシー。持ち金が底をつきはじめ、一行はひもじさと闘いながら、疲労してゆきます。ジョード家には長兄ノアがいましたが、彼は早々とキャンプ場から逃走しています。
そしてコニーも、身重の妻ロザシャーンを置いて失踪してしまいます。ジョード一家はお互いに支え合いながら、仕事を探してキャンプ地を転々とします。キャンプ地では、同様の難民家族と助け合います。しかし難民たちの暴動を恐れる保安官たちは、キャンプを焼き払い、不平不満を説く主導者を逮捕します。
トムとともに一家に合流したケイシーは、難民たちの指導者となってゆきます。そんなケイシーは、保安官補に襲撃され撲殺されます。トムはケイシーを救うために争いの中に入り、保安官補の一人を殴り殺します。
トムは一家と離れて身を隠します。最終章では、家族が住むキャンプ地が水害に襲われます。ロザシャーンは死産をします。水かさが増してくるなか、母とロザシャーンは幼い弟妹を連れて、安全な場所へと避難します。一軒の納屋を見つけ、4人はそこに身をおきます。
先客がいました。餓死しかけている父親に、寄り添う少年でした。少年は父親が6日間、何も食べていないと訴えます。しかし施すべき食料は、持ち合わせていません。ラストの場面には触れません。感動的な結末が待ち構えています。
◎石川達三『蒼氓』と重なる
石川達三『蒼氓』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)も、『怒りのぶどう』と同じ1930年を描いた作品です。こちらはブラジルという新天地を目指す日本人移民の物語です。『蒼氓』は1935年に発表され、第1回芥川賞を受賞しています。『怒りのぶどう』の発表はそれから4年後の1939年でした。
2つの作品に類似点はありませんが、タイトルの意味については最後まで理解できませんでした。『蒼氓』(そうぼう)は辞書を片手に、石川達三が一ひねりしたものです。いっぽう『怒りのぶどう』には、次のような意味がありました。
――題名の「怒りの葡萄」は、アメリカの女流詩人ジューリア・ウォード・ハウの詩「共和国の戦い讃歌」からとられ、「人々の魂の中に怒りのぶどうが満ち満ちて、たわわに実っていく」ことを表わしている。(『明快案内シリーズ:アメリカ文学』自由国民社)
『怒りの葡萄』は残酷な物語です。一家を支える強い母を中心にすえた、家族愛の物語でもあります。社会の底辺を生きる農民の物語でもあります。
私は終始、本書を『蒼氓』と重ねて読みました。
朝日新聞社編『世界名作文学の旅(下)』(朝日文庫)では、ジョード一家がたどったすさまじい長旅を描いています。
――ここから太平洋まではおよそ二千キロ。テレビでおなじみの「ルート66」が走っている。百年前には西部劇でご存知のポニー。エクスプレス(早馬)が走りぬけ、三十年前は、土地を奪われた農民たちが、ボロ自動車に家族と家財道具をつんで通った道である。(朝日新聞社編『世界名作文学の旅(下)』朝日文庫)
『怒りの葡萄』は、最近新潮文庫(上下巻、伏見威蕃訳)でも新訳が上梓されました。お好みの訳書で、ぜひお読みください。
(山本藤光:2012.06.22初稿、2018.02.23改稿)
一九三〇年代、アメリカ中西部の広大な農地は厳しい日照りと砂嵐に見舞われた。作物は甚大な被害を受け、折からの大恐慌に疲弊していた多くの農民たちが、土地を失い貧しい流浪の民となった。オクラホマの小作農ジョード一家もまた、新天地カリフォルニアをめざし改造トラックに家財をつめこんで旅の途につく―苛烈な運命を逞しく生きぬく人びとの姿を描き米文学史上に力強く輝く、ノーベル賞作家の代表作、完全新訳版。(「BOOK」データベースより)
◎夢の楽園を目指して
スタインベック『怒りの葡萄』(上下巻、ハヤカワepi文庫、黒塚敏行訳)を新訳で再読しました。以前に。新潮文庫(上下巻、大久保康雄訳)で読んでいました。記憶力が悪いせいでしょうか。それとも新訳がなじみやすかったせいでしょうか。ジョード一家に新鮮な感動をおぼえつつ、スムースに伴走できました。
1930年代、アメリカ中西部のオクラホマは、大かんばつに見舞われました。しかも地主は小作人を追い出し、収穫の望めない畑地を銀行の抵当に入れたのです。生活の糧を奪われたジョード一家は家財道具を運び、一時身内のところに身を寄せます。
そこへ殺人罪で服役していた次男トム・ジョードが、仮釈放になって戻ってきます。道中いっしょになった元説教師ケイシーをともなっています。
トムを含めたジョード一家は、職を求めて新天地カリフォルニアへ向かうことを決めます。家財道具を売り払い、何とか中古のトラックを買い求めました。
上巻は悪戦苦闘の道中を、繊細な筆運びで描いています。途中で祖父が亡くなります。カリフォルニアに向かう道は、同じような人群れで満ちあふれています。そして楽園・カリフォルニアに到着します。そこで初めて、祖母も途中で亡くなっていたことを知らされます。カリフォルニアは、思い描いていたような楽園ではありませんでした。
◎飢餓と病気と虐待
新天地カリフォルニアは、仕事を求めて集まった人たちで埋め尽くされていました。ところが仕事はほとんどなく、あったとしてもそこに大勢が押し寄せるので、労賃は不当に安くされてしまいます。家族総出で働いても、やっと1日の糧を得るだけでした。
難民たちは「オーキー」と侮蔑され、道端で身を寄せ合ってキャンプ生活を余儀なくされます。そこは飢えと病気と絶望のるつぼと化していました。カリフォルニアは一部の地主が権力を握り、保安官補たちは彼らの手先となっていました。
祖父母を衰弱死で失ったジョード一家は、道端でのキャンプ生活をしながら職を求めつづけます。次兄のトムと弟のアル。身重の妹のロザシャーンとその婿のコニー。幼い弟ウィンフィールドと妹ルーシー、伯父のジョン。そして元説教師のケイシー。持ち金が底をつきはじめ、一行はひもじさと闘いながら、疲労してゆきます。ジョード家には長兄ノアがいましたが、彼は早々とキャンプ場から逃走しています。
そしてコニーも、身重の妻ロザシャーンを置いて失踪してしまいます。ジョード一家はお互いに支え合いながら、仕事を探してキャンプ地を転々とします。キャンプ地では、同様の難民家族と助け合います。しかし難民たちの暴動を恐れる保安官たちは、キャンプを焼き払い、不平不満を説く主導者を逮捕します。
トムとともに一家に合流したケイシーは、難民たちの指導者となってゆきます。そんなケイシーは、保安官補に襲撃され撲殺されます。トムはケイシーを救うために争いの中に入り、保安官補の一人を殴り殺します。
トムは一家と離れて身を隠します。最終章では、家族が住むキャンプ地が水害に襲われます。ロザシャーンは死産をします。水かさが増してくるなか、母とロザシャーンは幼い弟妹を連れて、安全な場所へと避難します。一軒の納屋を見つけ、4人はそこに身をおきます。
先客がいました。餓死しかけている父親に、寄り添う少年でした。少年は父親が6日間、何も食べていないと訴えます。しかし施すべき食料は、持ち合わせていません。ラストの場面には触れません。感動的な結末が待ち構えています。
◎石川達三『蒼氓』と重なる
石川達三『蒼氓』(新潮文庫、「山本藤光の文庫で読む500+α」推薦作)も、『怒りのぶどう』と同じ1930年を描いた作品です。こちらはブラジルという新天地を目指す日本人移民の物語です。『蒼氓』は1935年に発表され、第1回芥川賞を受賞しています。『怒りのぶどう』の発表はそれから4年後の1939年でした。
2つの作品に類似点はありませんが、タイトルの意味については最後まで理解できませんでした。『蒼氓』(そうぼう)は辞書を片手に、石川達三が一ひねりしたものです。いっぽう『怒りのぶどう』には、次のような意味がありました。
――題名の「怒りの葡萄」は、アメリカの女流詩人ジューリア・ウォード・ハウの詩「共和国の戦い讃歌」からとられ、「人々の魂の中に怒りのぶどうが満ち満ちて、たわわに実っていく」ことを表わしている。(『明快案内シリーズ:アメリカ文学』自由国民社)
『怒りの葡萄』は残酷な物語です。一家を支える強い母を中心にすえた、家族愛の物語でもあります。社会の底辺を生きる農民の物語でもあります。
私は終始、本書を『蒼氓』と重ねて読みました。
朝日新聞社編『世界名作文学の旅(下)』(朝日文庫)では、ジョード一家がたどったすさまじい長旅を描いています。
――ここから太平洋まではおよそ二千キロ。テレビでおなじみの「ルート66」が走っている。百年前には西部劇でご存知のポニー。エクスプレス(早馬)が走りぬけ、三十年前は、土地を奪われた農民たちが、ボロ自動車に家族と家財道具をつんで通った道である。(朝日新聞社編『世界名作文学の旅(下)』朝日文庫)
『怒りの葡萄』は、最近新潮文庫(上下巻、伏見威蕃訳)でも新訳が上梓されました。お好みの訳書で、ぜひお読みください。
(山本藤光:2012.06.22初稿、2018.02.23改稿)
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