山本藤光の文庫で読む500+α

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マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』(角川文庫、柳沢由実子訳)

2018-03-03 | 書評「サ行」の海外著者
マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』(角川文庫、柳沢由実子訳)

反米デモの夜、ストックホルムの市バスで八人が銃殺された。大量殺人事件。被害者の中には、右手に拳銃を握りしめた殺人捜査課の刑事が。警察本庁殺人捜査課主任捜査官マルティン・ベックは、後輩の死に衝撃を受けた。若き刑事はなぜバスに乗っていたのか? デスクに残された写真は何を意味するのか? 唯一の生き証人は、謎の言葉を残し亡くなった。捜査官による被害者一人一人をめぐる、地道な聞き込み捜査が始まる―。アメリカ探偵作家クラブ賞受賞。警察小説の金字塔、待望の新訳! (「BOOK」データベースより)

◎原書からの直接翻訳

マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』(角川文庫、柳沢由実子訳)は、以前に『笑う警官』(角川文庫、高見浩訳)で読んでいます。
インドリダソン『湿地』(創元推理文庫、柳沢由実子訳、山本藤光「文庫で読む500+α」で紹介)がおもしろかったので、柳沢訳で再読しました。柳沢由実子は、スウェーデン語訳の第一人者といわれています。原書からの直接翻訳ですので、著者の鼓動が聞こえてきます。

『笑う警官』という不思議なタイトルの本作は、高見浩の英語からの二次訳とはちがった発見があるはず、と期待して読みました。
タイトルの意味は最後に明らかにされます。しかしそれ以前のこんな部分に、新訳の的確さを認めました。
ちなみに佐々木譲『笑う警官』(ハルキ文庫、山本藤光「文庫で読む500+α」で紹介)のタイトルは、本書に習ったものです。

――クリスマス・イヴが訪れた。/マルティン・ベックがもらったクリスマス・プレゼントは彼を笑わせるためのものだったのに、彼は笑う気になれなかった。(高見浩訳、28章の冒頭P359)

――クリスマスイヴになった。/マルティン・ベックはクリスマスプレゼントをもらったが、家族の予想を裏切って、笑いはしなかった。(柳沢由実子訳、28章の冒頭,kindle)

柳沢由実子訳の「家族の予想を裏切って」は、すてきな訳文だと思います。ただし高見浩訳の功績を、否定しているわけではありません。何しろ高見訳は、いま話題の北欧ミステリーの先駆けとなった作品です。

本書はマルティン・ベック・シリーズの全10作のうちの4番目にあたります。そして『笑う警官』は、なかでも最も評価の高い作品です。

◎意味不明のメッセージ

ストックホルム警察署殺人捜査課は、大きな事件もなく暇な毎日でした。そんなとき、前代未聞の大量殺人事件が起きます。ストックホルム市を走る二階建ての路線バスで、マシンガンが乱射されたのです。運転手と乗客八人が死亡。一人が意識不明のまま,病院に搬送されます。死亡者のなかには、若手のステンストルムという殺人課の刑事が含まれていました。
バスのなかには犯人を特定できる、一切の痕跡は残されていませんでした。マルティン・ベック殺人課主任警視率いるメンバーは、にわかに色めき立ちます。ストックホルム警察署においては、初体験の大事件でした。

被害者の割り出しとともに、ステンストルムがなぜバスに乗っていたのかの究明がはじまります。犯人にたどり着くには、この二つの道しかありませんでした。地道な捜査が展開されます。本書の醍醐味は、捜査にあたる殺人課メンバーの際だった個性に触れることにあります。
捜査は進みます。しかし顔を吹き飛ばされた男だけが身元を特定できません。いっぽう意識不明だった男は、短い言葉を残して息を引き取ります。その箇所を拾ってみます。

ルン(殺人課刑事):撃ったのは誰だ?
被害者:ドゥンルク
ルン:そいつはどんな顔をしていた?
被害者:コールソン(本書P134)

 この謎に満ちたやり取りは、テープに記録されます。しかしまったく意味不明でした。
 やがて凶器も特定されます。旧式のフィンランド製マシンガン。

◎雨音を突き破る高笑い

雨の日が続きます。捜査は一向に進展しません。しかしステンストルムの恋人オーサ・トーレルから得た情報で、彼は迷宮入りした事件を単独で追っていたのではないか、との推測が成り立ちます。マルティン・ベックたちは、彼の足跡をただるとともに、迷宮入りした事件を洗い直すことになります。
お蔵入りしていた過去の事件は、ふたたび白日の下にさらされます。当時容疑者だった人たちの、今を総点検することになります。ステンストルは、迷宮入りした事件の犯人に迫っていた。マルティン・ベックは、そう確信するようになります。迷宮入り事件が、バス大量殺人事件に関係しているのかもしれない、と。

クリスマスの夜、マルティン・ベックは娘から「笑う警官」というコミックソングをプレゼントされます。家族は爆笑して曲を聞きますが、彼は笑いません。それが先ほど引用した箇所です。笑わないマルティン・ベックは、本書の最後に、豪快に笑います。
読者は最後になって、タイトルの意味を理解することになります。マイ・シューヴァル&ペール・ヴァールー『刑事マルティン・ベック 笑う警官』(角川文庫、柳沢由実子訳)は、人物造形がしっかりとした超一級品の警察小説です。
ネタバレになるので、これ以上ストーリーを追うことはひかえます。全編を通じて聞こえる雨音を突き破るような、マルティン・ベックの高笑いを最後に確認してください。
山本藤光2017.07.26初稿、2018.03.03改稿


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