山本藤光の文庫で読む500+α

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桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社文庫)

2018-02-04 | 書評「さ」の国内著者
桜木紫乃『ホテルローヤル』(集英社文庫)

恋人から投稿ヌード写真撮影に誘われた女性店員、「人格者だが不能」の貧乏寺住職の妻、舅との同居で夫と肌を合わせる時間がない専業主婦、親に家出された女子高生と、妻の浮気に耐える高校教師、働かない十歳年下の夫を持つホテルの清掃係の女性、ホテル経営者も複雑な事情を抱え…。(「BOOK」データベースより)

◎同郷の作家が直木賞
 
――文庫になるのを待てません。すこしでも早く紹介したいという思いが強いのです。フライングしてしちゃいます。

これは2014年10月に発信した「山本藤光の文庫で読む500+α」の冒頭分です。でもやっと文庫になりました。少しだけ手を加えたいと思います。(2015.07.19追記)

桜木紫乃は釧路市出身の直木賞作家です。同郷だということで、ずっと追っかけていました。グロテスクではない性愛をさらりと書く名人。それが桜木紫乃という作家です。

桜木紫乃が釧路出身の作家・原田康子の『挽歌』(新潮文庫)を読んだのは、中学生のときでした。15歳のときに父親が釧路でラブホテル・ローヤルの経営をはじめます。桜木紫乃は、掃除などの手伝いをさせられました。

性愛にたいする冷めた視点は、こうした体験が背景にあるとされています。24歳で結婚。2児をもうけます。小説を書きはじめたのは、それからのことです。

37歳のときに書いた「雪虫」(『氷平線』文春文庫所収)が、オール読物新人賞を受賞します。そこからは一直線でした。私が追っかけを開始したのは、この時点からです。2007年に初出版の『氷平線』(文藝春秋)を手にしたとき、まるでわが子の出産に立ちあったような喜びをおぼえました。

『ラブレス』(新潮文庫)のなかに、つぎのような文章があります。
――沿道を日の丸が埋めつくしていた。/厳しい冬を前にして、市街地には華やかなお祭り気分が漂っている。/昭和二十五年十一月一日、標茶村は標茶町になった。新しい建物も増えていた。杉山百合江が小学校に上がったころにはなかった文房具屋も店を開いた。(本文P18より)

本文中の「標茶」は「しべちゃ」と読みます。私の故郷の名前です。標茶町は釧路から釧網線で、1時間ほどのところにあります。釧路湿原が流れる、酪農の町です。釧路湿原の約半分は、標茶町を流れています。私は高校生のころ、ひんぱんに釧路へ遊びに行っていました。

桜木紫乃の実家が、「ホテルローヤル」を開業したのは1980年です。私は社会人になって、東京住まいをしていました。したがって利用したことはありません。父親の経営していた「ホテルローヤル」は、現在解体されて存在していません。そのことを桜木紫乃は次のように語っています。

――本が出たと同時期に、偶然にも建物も解体されたと聞いて、ぞっとしました。現実のホテルがなくなって、この本が残ったなんて、奇妙な縁を感じずにはいられないですよね。(「女性セブン」2013年9月5日号より)

◎オムニバス小説の最高峰

桜木紫乃『ホテルローヤル』は、これまで読んで来たオムニバス小説のなかでは、抜きんでてすばらしい完成度でした。

『ホテルローヤル』には、7つの短編が収載されています。すべての作品は、釧路湿原を見おろす高台にある「ホテルローヤル」にまつわる話です。

冒頭の「シャッターチャンス」は、同級生だった男女の破局を描いた切ない話です。男はアイスホッケーの花形選手でしたが、けがのために現役を引退しています。男は挫折から立ち直れないでいます。彼は女を廃墟になっている、ラブホテルに誘います。そこでヌード写真を撮りたいと迫ります。
男はカメラマンになりたいという新たな夢を語りますが、その言葉は廃墟の冷え冷えとした残骸にむなしく響きます。女の心はしだいに冷めてゆきます。「シャッターチャンス」は、理解しあえない男女のすれちがいを描いた、釧路湿原から早朝に立ちのぼる湯気のような作品です。この作品が本書のカバーイラストになっています。文庫になっても同じものだったので、安心しました。

「本日開店」では、不能の貧乏住職と20歳下の妻が登場します。妻が行き場のない、ホテルのオーナーの遺骨をあずかるという話です。「えっち屋」には、心中事件がもとで客足が途絶えたホテルローヤルが営業を終える日が描かれています。「バブルバス」は、貧しい生活をしている夫婦が、思いがけず手にした5千円でラブホテルにはいろうとする、涙をさそう話です。

オムニバス形式の7つの話は、ホテルローヤルが廃墟になった時点から開業時へとつながります。どの話も少しだけ芯の強い女性が、中心に描かれています。いずれも平凡な日常なのですが、なぜかいびつな世界にみえてきます。

桜木紫乃はラブホテルにまつわる話を、完成度の高い作品群としてまとめました。高校生時代にラブホテルの掃除などを手伝った体験が、この作品を書かせたといってもいいと思います。直木賞の受賞インタビューで、桜木紫乃はつぎのように語っています。

――あのとき、あの場所にいたかもしれない人を、ちゃんと書きたい。どこにでもいそうな人を、丁寧に、自分なりの切り取り方で。(「News Watch 9」より)

――たぶんお客さんが去ったあとの部屋を、ずっと見てきたこともある。掃除をしているときに痕跡だけが残っていて、人と人との関係が、人を見るよりもはっきりとわかることがある。/ベッドをきれいに直していく方は、(お互い)まだ遠慮のある2人。
ぐちゃぐちゃにして帰っていけるのは、気心が知れている関係。
今はこうして言葉にできるが、言葉にできないところで感じとったのは10代で、ああいうものを見てきたのはとても貴重な経験。」(「News Watch 9」より)

男女の微妙な関係を、やわらかなタッチで描ける作家は、かならずしも多くはありません。安直に小道具に走ったり、事件をつくりあげたりと苦労するのが常です。桜木紫乃には、そうした仕かけは不要なようです。大切なのは男女が育った世界と、生きている環境なのです。それらを包括するのが、釧路あるいは道東という舞台なのでしょう。

次の文章は単行本時点での、書評のラスト部分です。私は「標茶六三」という筆名でも文章を書いています。
――いまは「山本藤光の文庫で読む500+α」の、「+α」として紹介させていただきます。文庫化されたら高速エレベーターのように、現代日本文学トップ10までたどり着くことでしょう。

◎追記2015.07.19

『ホテルローヤル』(集英社文庫)ついに文庫化されました。もちろん再読しました。文句なしに、現代日本文学のベスト10入りです。文庫の解説・川本三郎の文章が素敵です。私の文章をリセットしてしまいたくなったほどです。

(山本藤光:2014.10.22初校、2018.02.04改訂)

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