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新渡戸稲造『武士道』(PHP文庫、岬龍一郎訳)

2018-02-19 | 書評「にぬね」の国内著者
新渡戸稲造『武士道』(PHP文庫、岬龍一郎訳)

かつての日本には、わが国固有の伝統精神があった。その一つが武士道である。それは、新渡戸稲造が1899年に英文で『武士道』を発表し、世界的な大反響を巻き起こしたことでもわかる。本書はその現代語訳である。発刊当時の明治期と同様、現代の私たちは急速な国際化の中で、日本人のアイデンティティを見失いつつある。「日本人とはなにか」を問い、倫理観・道徳観を見直すことができる格好の書である。(「BOOK」データベースより)

◎日本の学校には宗教教育がない

英文で『武士道』が書かれ、米国で出版されてから100年以上がすぎています。テレビのクイズ番組ではほとんどの若者が、「新渡戸稲造」を読むことができませんでした。旧5千円札の肖像にもなっているのに、新5千円札とともに葬り去られてしまったのでしょうか。

新渡戸稲造が『武士道』を執筆したきっかけは、あまりにも有名です。彼がドイツに留学中、ベルギーの法律学者・ラヴレーと宗教について話し合ったときのことです。そのことは文庫「序文」にも明記されています。ここでは『まんがで読破・武士道』(イースト・プレス)のふきだし部分を紹介してみます。
 
ラヴレー「え?! 日本の学校には宗教教育がない?」
新渡戸「はい」
ラヴレー(むむ、と反応しながら)「そんなバカな!」
まんが家(ラヴレーの「むむ」を受けて)「私たちの国では学校で子どもたちに善悪の基準を教育しますが……その道徳観の基礎にはキリスト教という宗教教育があります」
ラヴレー「宗教がないとは! いったい日本人はなにをベースに、子孫に道徳教育を授けるのですか?」
新渡戸(がく然としている)
まんが家(新渡戸のがく然とした顔がアップになり、暗転)「母国の道徳観……そんなあたりまえの質問に、私は即答できなったのだ!」(以上雑な引用おわり)
 
新渡戸稲造の『武士道』を読んだとき、私はカルチャーショックを受けました。理解していた「武士道」とのギャップが大きすぎたのです。私が知っているのは、三島由紀夫『葉隠れ入門』(新潮文庫)だけでした。だからずっと「武士道というは、死ぬことと見つけたり」だとばかり思っていました。
 
『葉隠』は山本常朝が説いたもので、三島由紀夫がそれに傾倒していました。私は本家の『葉隠』を読まぬまま、三島由紀夫のアジテーションにはまっていたわけです。潔く死ぬ。この精神を、三島由紀夫(推薦作『潮騒』新潮文庫)はまっとうしました。あの日の衝撃は、いまも忘れられません。

ともあれ新渡戸稲造の『武士道』は、まったく別種のものです。むしろ正当な理由のない死を、「犬死」といって軽蔑しています。私は本書から、たくさんの文章を書きぬいています。一部を披露してみます。

――知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表れて初めて真の知識となる(新渡戸稲造・岬龍一郎訳『武士道』PHP文庫P31より)

――武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。したがって知識はそれ自体が目的とはならず、あくまで智恵を得るための手段でなければならなかった。(新渡戸稲造・岬龍一郎訳『武士道』PHP文庫P32より)

――正しい作法をたえず訓練することによって、身体のあらゆる器官と機能に完全な秩序をもたらし、肉体と環境とを調和させることによって精神の支配をおこなうことができる。(新渡戸稲造・岬龍一郎訳『武士道』PHP文庫P67より)

――武士道は無報酬、無償であるところに仕事の価値があると信じていた。精神的な価値にかかわる仕事は、僧侶にしろ、教師にしろ、その報酬は金銭で支払われるべきものではなかった。それは価値がないからではなく、金銭で計れない価値があったからである。(新渡戸稲造・岬龍一郎訳『武士道』PHP文庫P110より)

新渡戸稲造『武士道』は、現代に通じる立派な教養書なのです。国際的な視野に立って、説かれたものなのです。

◎現代にも通用する『武士道』

私は新渡戸稲造『武士道』を精読する前に、外国人が理解する『武士道』を知りたいと思いました。スティーヴン・ナッシュ『日本人と武士道』(ハルキ文庫、西部邁訳)は、なかなか鋭く「武士道」に切りこんでいました。
 
――近代日本はペリーによって強姦されマッカーサによって去勢されたのだ。(本文より)

――武士道は仏教全般から「死に親しむ心」を示され、禅宗から「絶対そのものを確知する」ための精神鍛錬法を学んだのであろう。そして神道から「主君に対する忠誠、先祖に対する尊敬ならびに親に対する孝行」を教えられ、孔子からは「平静仁慈にしてかつ処生の智恵に富む」ことの大切さを、そして孟子からは「同情心」の重要さを知らされたのではあろう。しかし同時に、行動者たるべき武士には王陽明の「知行合一」の教えが必要であった。(スティーヴン・ナッシュ『日本人と武士道』(西部邁訳、ハルキ文庫P93より)

日本の若者から忘れられてしまった『武士道』は、国際的にはいまなお顕在なのです。藤原正彦に『名著講義』(文藝春秋)という著作があります。実際に女子大生に名著を読んでもらい、語り合った講座を収録したものです。そのなかに『武士道』をとりあげたページがあります。引用してみます。
 
――ヨーロッパでは、支配階級として貴族は知、権力、富を独占していましたが、日本の支配階級である武士は知と権力はあっても貧しかったのです。貧しい支配者というのは、欧米人には想像を絶することでした。だからこそ日本の封建時代を自分達のものと同じと考え、全否定してしまったのでしょう。(藤原正彦『名著講義』文藝春秋P12より)

女子大生にかぎらず、私は迷うことなく現代のビジネスパースンの必読書として、新渡戸稲造『武士道』を推薦したいと思います。本書のなかに「武士道はドン・キホーテが黄金の領土よりも、彼の錆びついた槍とやせこけたロバをほこりとした、ようにである」という記述がありました。
 
セルバンテス『ドン・キホーテ』(全6冊、岩波文庫)を、本書とならべておいてみました。騎士道と武士道は、ぴったりと寄りそい、新たな会話をはじめたようです。

◎『修養』は新渡戸稲造版「論語」

新渡戸稲造には、もう1冊読んでいただきたい著作があります。『修養』(タチバナ教養文庫)は、『武士道』よりも、身近な世界を書いています。概要を引用しておきます。

――百年前、「武士道」で日本人の精神文化を世界に知らしめた国際人・新渡戸稲造の、世紀を越えて読み継がれてきた実践的人生論。百年後、いまだに日本人に勇気を与えてくれる。(「BOOK」データベースより)

個人的には『武士道』よりも、『修養』を紹介したいほど味のある内容になっています。私は友人に「新渡戸版論語」といって紹介しています。ただしあまり書店で見かけませんので、簡単な紹介にとどめておきます。
(山本藤光:2010.03.03初稿、2018.02.19改稿)

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