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ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮文庫)

2018-02-14 | 書評「にぬね」の国内著者
ねじめ正一『高円寺純情商店街』(新潮文庫)

高円寺駅北口「純情商店街」。魚屋や呉服屋、金物店などが軒を並べる賑やかな通りである。正一少年は商店街の中でも「削りがつをと言えば江州屋」と評判をとる乾物屋の一人息子だった――感受性豊かな一人の少年の瞳に映った父や母、商店街に暮らす人々のあり様を丹念に描き「かつてあったかもしれない東京」の佇まいを浮かび上がらせたハートウォーミングな物語。直木賞受賞作。(内容紹介より)

◎人情ではなく、純情

ねじめ正一は、高円寺北口商店街の乾物屋の長男として生まれました。33歳のとき詩の芥川賞ともいわれる、H賞を受賞しています。受賞作『ふ』は1980年に、櫓人出版会から刊行されていますが、入手することができません。その後、ねじめ正一は小説も書きはじめ、現在では詩と小説を併行して発表しています。

 小説のデビュー作『高円寺純情商店街』(新潮文庫、初出1981年)は、いきなり直木賞受賞となりました。そして高円寺北口商店街は一躍話題のスポットになり、通りは「純情商店街」と改名されたほどです。本書はさらに『高円寺純情商店街・本日開店』(新潮文庫、初出1990年)、『熊谷突撃商店』(文春文庫、初出1996年)へとつながります。

『高円寺純情商店街』は、昭和30年代後半の高円寺北口商店街を舞台に、自らの青春を描いたスケッチ的な小説です。普通の感覚なら「人情商店街」としがちですが、ねじめ正一の感性が「純情商店街」というタイトルを選びました。このセンスが本書を、ぐいぐいと引っ張ります。

江州屋乾物店を必死で切り盛りする両親。それを手伝う正一少年。ほのかに思いを寄せる鮮魚店の娘ケイ子。恋愛騒動を起こす住みこみ店員。銭湯の番台に座っている幼なじみの女の子。化粧品店の女性従業員。ねじめ正一はさまざまな人物の背景にある「時代」を、実にていねいに切り抜いて見せます。その点についてふれている文章があります。

――人々の声や削り節の匂いや焼印の押された木箱の印象、死んだ金魚を手にする感覚などが、正一少年の五感を通して描写され、商店街の日常生活を実感させる。(栗坪良樹編『現代文学鑑賞辞典』東京堂出版P289)

さらにねじめ正一は消えゆく風景を、随所に描き出します。一例を紹介します。

――蠅取紙は、雨戸の隙間から洩れる細い光にてらてらとひかっていた。六月になると急に増え、あとからあとからわいてくる蠅をつかまえるために、江州屋乾物店の天井からは八本の蠅取紙がぶらさげてある。(本文P46)

正一少年は思いを寄せる鮮魚店の娘ケイ子と、蠅取紙をめぐって幼い口論をします。本書は少年の成長小説でもあります。大人の世界を考え、性に目覚め、真摯に働く意味を問い掛けます。

――作者の真っ直ぐな心が全篇を貫き、そして温かい血が根底を流れている。つまり、作者が、どれほど深く生まれ育った街に思いを籠め、どれほど強く商店街を愛したかが、よく顕れている。(秋山駿『作家と作品』小沢書店P342)

本書に共感したら、ぜひシリーズのもう1冊を読んでみてください。こちらもお勧めです。

◎『熊谷突撃商店』もお勧め

『熊谷突撃商店』(文春文庫)は熊谷清子という、たくましくも魅力的な女性の一代記です。モデルになった主人公は、女優の熊谷真実、故松田優作夫人の松田美由紀の母親です。

作品中では、主人公の名前は「キヨ子」とされています。本人は出版を確かめずに、世を去っています。出版にあたってねじめ正一は、生前の清子さんとこんな約束をしています。
 
――熊谷清子さんは承諾してくれた。ただし条件が二つあると言われた。その条件とは、読んだ人が元気になるような小説にしてほしいということ、あたしだってこれからも生きて行かなきゃならないんだから、生きにくくなるようなことは書かないで欲しい、ということである。(「あとがき」より)

この条件が、主人公の人柄のすべてだと思います。周囲に元気を与える。誰にも恥じる生き方はしない。この2つこそが、主人公の人生のエネルギーとなっています。作品のあらすじはこんな具合です。

キヨ子が8歳のときに、家族は満州から引き揚げてきます。昭和22年ころの話です。父親は行方不明になっています。母親には別の男が存在しています。

やがてキヨ子は集団就職し、同僚がキヨ子の名前で、東京の男に文通を申しこみます。キヨ子はこの男・熊谷俊男と結婚することになります。男には結婚歴があり、娘までいました。口がうまく、女ぐせの悪い男でしたが、憎めない夫でもありました。2人は小岩駅のはずれに店を持ちます。

――こうなると俊男のやることは早い。次の日は引っ越し、その翌日には蜜柑箱二杯分の品物を並べて、もう商売の始まりだ。家賃を払っているのだから、一日でも遊ばせるのはもったいない、というわけである。(本文より)

ねじめ正一は元々は詩人であり、「ねじめ民芸店」の経営者でもあります。主人公とは隣近所の関係にあり、中学生時代からの憧れの存在でもありました。ねじめ正一が実に暖かい視点でキヨ子を描けたのには、こうした背景があります。

ねじめ正一は、「ヨダレ」(『ニヒャクロクが上がらない』思潮社)という詩を書いています。乾物屋であった父親が〈商いは牛のヨダレ〉といつも呟いていました。

乾物屋は後に民芸品屋に商売替えされるのですが。ねじめ正一は札幌の牧場まで牛のヨダレを観察に行きます。はじめて見る牛のヨダレには粘り気があり、風に吹かれてもなかなか切れそうにありません。著者は商売は粘りに粘って、お客さんに応対しなければならないと納得します。

熊谷商店は、まさに〈牛のヨダレ〉を地でゆくお店です。だから著者は清子を説き伏せて、この作品を書き上げたのです。ちなみに『ニヒャクロクが上がらない』は、札幌の古本屋で買った著者のサイン本です。
(本稿は藤光・伸の筆名でPHP研究所「ブック・チェイス」1996.09.28号に掲載したものに加筆修正しました)
(山本藤光:1996.09.28初稿、2018.02.14改稿)

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