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尾崎紅葉『金色夜叉』(新潮文庫)

2018-02-18 | 書評「お」の国内著者
尾崎紅葉『金色夜叉』(新潮文庫)

熱海の海岸で、許婚者の宮の心が金持ちの他の男に傾いたことを知った貫一は、絶望の余り金銭の鬼と化し高利貸しの手代となる……。(文庫案内より)

◎『小説神髄』を忠実に実践

――「十年後の今月今夜も、僕の涙で月は曇らして見せるから、月が曇ったらば、貫一は何処かでお前を恨んで、今夜のやうに鳴いてゐると想ふが可い」

お宮に向かっての貫一の捨てセリフは、あまりにも有名です。熱海に行ったときに、「お宮の松」を見ました。間貫一がお宮を足蹴にした場所です。私はそこまでの物語しか知りませんでした。噂には聞いていましたが、『金色夜叉』は想像以上に長い作品でした。 

新潮文庫(平成19年、46刷)では、そこまでが「前編」。さらに「中編」「後編」「続金色夜叉」「続続金色夜叉」「新続金色夜叉」と続いています。ページ数は599。とてつもなく長いものがたりです。最後まで読みましたが、何だか間延びした感じを受けてしまいました。
 
尾崎紅葉は、坪内逍遥『小説神髄』(岩波文庫)を忠実に実践した作家です。幸田露伴『五重塔』(岩波文庫)と並んで、『金色夜叉』は「擬古典主義」の代表作として評価されています。坪内逍遥『小説神髄』のポイントを、整理した文章を引用しておきます。
 
――人間とは欲望の生き物であり、道徳にしばられた生き方などは、本来の人の姿ではない。(中略)そんな人間の内面を描くのが、文学なのだ。(長尾剛『早わかり日本文学』日本実業出版社より)

『金色夜叉』は1897年から5年間、読売新聞に連載されました。連載は大評判で、何度も中断をしながら書き連ねられました。そんな苦労のあとが、物語の後半で露呈してしまいます。物語のなかに、別の物語が挿入されているのです。

『金色夜叉』は、地の文が文語体、会話が口語体という当時としては、新しいタイプの小説です。しかも文語体は、がちがちの漢文調だけで統一されていません。実にユニークな文体で、物語を巧みに動かしています。尾崎紅葉は、美文家として知られています。『金色夜叉』は、まさにそれを実証した作品です。文語体は読みにくくてという方にも、すらすら読むことができる作品なのです。

『金色夜叉』の前編しか知らなかった私が、先を読んでみたいと思った場面があります。壮絶な間貫一のセリフを、引用したいと思います。

――宮、おのれ、おのれ姦婦、やい! 貴様のな、心変をしたばかりに間貫一の男一匹はな、失望の極発狂して、大事の一生を誤って了ふのだ。学問も何ももう廃(やめ)だ。この恨の為に貫一は生きながら悪魔になって、貴様のような畜生の肉を啖(くら)つて遺る覚悟だ。富山の令……令夫人! もう一生お眼には掛からんから、その顔を挙げて、真人間で居る内の貫一の面を好く見て置かないかい。(「前編」本文P88より)

◎「金色夜叉」になった貫一

間(はざま)貫一(かんいち)は早くに両親を亡くし、15歳のときに鴫沢(しぎさわ)隆三(りゅうぞう)家に引き取られました。鴫沢は亡き父親に恩があり、貫一の学費まで支援してくれています。
 
鴫沢家には宮という一人娘がいました。貫一は宮に恋をし、宮も貫一に好意を寄せていました。鴫沢も将来的には、貫一に婿入りしてもらいたいと思っていました。
 
そんな青写真が、崩壊しはじめます。正月のカルタ会の席上で宮は、銀行家の御曹司・富山唯継に見初められるのです。彼はダイアモンドの指環を光らせ、嫁選びをしていたのです。
 
――富山唯継の今宵ここに来たりしは、年賀にあらず、骨牌(かるた)遊びにあらず、娘の多く聚(あつま)れるを機として、嫁選せんとてなり。彼は一昨年の冬英(イ)吉(ギ)利(リス)より帰朝するや否や、八方に手分けして嫁を求めたけれども、器量望の太甚(はなはだ)しければ、二十余件の縁談皆意に称(かな)はで、今日が日までもなほその事に齷齪(あくさく)して巳(や)まざるなり。(本文P22より)

宮の心は、間貫一から離れてゆきます。鴫沢家としても、宮を富豪のもとに嫁がせたいと願います。貫一に対する鴫沢家の説得が続きます。そんな折り貫一は、宮と富山唯継が熱海で密会するのを知ります。貫一は熱海に行き、必死で宮を説得します。そして破局。それが有名な場面へとつながるのです。

―― 一月十七日をもって彼(注:お宮のこと)は熱海の月下に貫一と別れ、その三月三日を択(えら)びて富山の家に輿入したりき。その場より貫一の失踪せしは、鴫沢一家の為に物化(もっけ)の邪魔払たりしには疑(ぎうたがひ)無(な)かりけれど、家内は挙(こぞ)りてさすがに騒動しき。その父よりも母よりも宮は更に切なる誠を籠めて心痛せり。彼(注:お宮のこと)はただに棄てざる恋を棄てにし悔に泣くのみならで、寄辺あらぬ貫一が身の安否を慮(おもひはか)りて措(お)く能(あた)はざりしなり。(「後編」本文P244より)

こうして間貫一は、高利貸し業に身を転じます。それが前編以降の展開です。ここからはまったく別人の貫一となります。恋人に去られ、恩人にも欺かれた原因は金でした。金の亡者と化した貫一は、タイトルのとおり「金色夜叉」に変身してしまうのです。
 
明治時代、大衆からもっとも支持された『金色夜叉』。尾崎紅葉はさらに先の物語を考えていましたが、病のために未完に終わってしまいました。「新続続金色夜叉」を、あなたならどう書くでしょうか。『金色夜叉』は、ブルジア社会に一石を投じた作品です。読みながら、明治の庶民の喝采が聞こえてくるような錯覚に陥ったほどです。
(山本藤光:2010.06.21初稿、2018.02.18改稿)

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