朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)

田舎の県立高校。バレー部の頼れるキャプテン・桐島が、理由も告げずに突然部活をやめた。そこから、周囲の高校生たちの学校生活に小さな波紋が広がっていく。バレー部の補欠・風助、ブラスバンド部・亜矢、映画部・涼也、ソフト部・実果、野球部ユーレイ部員・宏樹。部活も校内での立場も全く違う5人それぞれに起こった変化とは…?瑞々しい筆致で描かれる、17歳のリアルな青春群像。第22回小説すばる新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
◎桐島はまったく描かれていない
朝井リョウが直木賞を受賞したとき、頭のなかにおびただしいハテナマークが点灯しました。朝井リョウは1989年生まれの24歳。受賞作『何者』(新潮社)にいたるまでに発表したのはわずかに2冊。『何者』を読んでみましたが、若いころの三田誠広『僕って何』(角川文庫)を思い出しただけです。朝井リョウの才能は認めますが、ちょっと早すぎるかなと思いました。
朝井リョウのデビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)は、小説すばる新人賞受賞作です。現役の大学生が書いた小説ということで話題になり、映画化もされました。タイトルの意外性もすばらしいのですが、物語の展開にも味がありました。
『桐島、部活やめるってよ』は、関西地方の男女高校生5人の視点でつづった学園部活小説です。
学園部活小説といえば、北上次郎編『14歳の本棚・青春小説傑作選・部活学園編』(新潮文庫2007年)があります。「初恋友情編」「家族兄弟編」の3部作アンソロジーの1冊であり、部活学園に関する珠玉を網羅した存在として高く評価しています。「部活学園編」に編纂されている作品の著者は8人。森鴎外「ヰタ・セクスアリス」、井上靖「夏草冬濤」から角田光代「空のクロール」などが所収されています。
朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』は、これらの作品とは同化しません。格別な事件や事故はありません。がっちりとしたストーリーもありません。驚愕のエンディングもありません。点描。卒業アルバムをめくっているような、ああそんなこともあったなといった、懐かしさだけが取り柄の作品です。つまり絶対に珠玉の部活学園編には、収められない立ち位置にあるのです。だから駄作だとはいっていません。
『桐島、部活やめるってよ』の評価は、2分されています。私は本書の支持派です。特に映画部の前田涼也のキャラクターが魅力的でした。グラウンドで甲高い声を張りあげる、野球部やテニス部。体育館で重い叩音を響かせる、バレー部やバトミントン部。屋上で音の洪水をまき散らす、ブラスバンド部。そして地味で誰からも、存在を認められていない映画部。華やかな部活の陰で、重い機材をあやつるオタク・前田涼也の存在は、希薄すぎますが。
表題にもなっている桐島は、バレー部のキャプテンです。彼は理由も告げずに、部活をやめてしまいます。桐島の存在は、まったく描かれていません。
本書を読みながら、朝倉かすみ『田村はまだか』(光文社文庫。500+α推薦作)と重なってしまいました。札幌の場末のバーで、吹雪のなかをきっとやってくるだろう田村を、ひたすら待ちつづける40歳の同級生たちの物語です。この作品も田村は登場しません。高校の同窓会の2次会で、過去と現在を行きつ戻りつするこの作品を、私は高く評価しています。
朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』に深みがないのは、登場人物が高校生だから仕方がありません。作中で存在しない人を浮かび上がらせる手法として、それぞれの重い人生をそえなければ味がでないからです。
◎朝井リョウは対を描く
何人かの書評家が本書を、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水社)を意識して書かれていると指摘しています。ひたすら救済者・ゴドーを待ちながら暇つぶしに興じる浮浪者を描いた戯曲から、学園部活を連想できたとしたらすばらしい才能です。
――中学校はこわいところだと聞いています。不良に呼び出されたり、先輩からいじめられたり、そういう先輩関係っていうか、上下関係が怖いです。心配です。
引用したのは、椰月美智子『体育座りで、空を見上げる』(幻冬舎文庫)の冒頭部分です。小学校の卒業を控えた主人公が、教師の質問(中学生になることへの不安)に答える場面です。
小学生が抱く中学への不安は、高校ではさらにエスカレートしているはずです。朝井リョウは『桐島、部活やめるってよ』で、そんな世界を描いてみせました。ただし舞台は田舎の中学校でもよかったのかもしれません。登場人物たちの感性は、中学校から成長を止めてしまったごとく幼く感じます。今風の語り口は、ときどき意味不明の部分がありました。登場人物の個性はすべて画一的でした。
映画では前田涼也が憧れている、かれんという女子高生にスポットがあたっているようです。彼女も桐島同様に、明確には描かれていません。朝井リョウは光と陰を巧みに使い分ける、稀有な作家だと思います。さらに言及すれば、校内の上下関係、男子生徒と女子生徒、運動部と文化部など、朝井リョウは対(つい)を描くことに長けています。しかし文章も、比喩も幼稚です。
「対」は世の中に、いくらでも転がっています。私たちから見ると他人面して転がっているものを拾い上げ、命を吹きこむ。朝井リョウには、そうした才能があります。懐かしかったよ、と結ばさせていただきます。
(山本藤光:2012.12.18初稿、2018.02.23改稿)

田舎の県立高校。バレー部の頼れるキャプテン・桐島が、理由も告げずに突然部活をやめた。そこから、周囲の高校生たちの学校生活に小さな波紋が広がっていく。バレー部の補欠・風助、ブラスバンド部・亜矢、映画部・涼也、ソフト部・実果、野球部ユーレイ部員・宏樹。部活も校内での立場も全く違う5人それぞれに起こった変化とは…?瑞々しい筆致で描かれる、17歳のリアルな青春群像。第22回小説すばる新人賞受賞作。(「BOOK」データベースより)
◎桐島はまったく描かれていない
朝井リョウが直木賞を受賞したとき、頭のなかにおびただしいハテナマークが点灯しました。朝井リョウは1989年生まれの24歳。受賞作『何者』(新潮社)にいたるまでに発表したのはわずかに2冊。『何者』を読んでみましたが、若いころの三田誠広『僕って何』(角川文庫)を思い出しただけです。朝井リョウの才能は認めますが、ちょっと早すぎるかなと思いました。
朝井リョウのデビュー作『桐島、部活やめるってよ』(集英社文庫)は、小説すばる新人賞受賞作です。現役の大学生が書いた小説ということで話題になり、映画化もされました。タイトルの意外性もすばらしいのですが、物語の展開にも味がありました。
『桐島、部活やめるってよ』は、関西地方の男女高校生5人の視点でつづった学園部活小説です。
学園部活小説といえば、北上次郎編『14歳の本棚・青春小説傑作選・部活学園編』(新潮文庫2007年)があります。「初恋友情編」「家族兄弟編」の3部作アンソロジーの1冊であり、部活学園に関する珠玉を網羅した存在として高く評価しています。「部活学園編」に編纂されている作品の著者は8人。森鴎外「ヰタ・セクスアリス」、井上靖「夏草冬濤」から角田光代「空のクロール」などが所収されています。
朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』は、これらの作品とは同化しません。格別な事件や事故はありません。がっちりとしたストーリーもありません。驚愕のエンディングもありません。点描。卒業アルバムをめくっているような、ああそんなこともあったなといった、懐かしさだけが取り柄の作品です。つまり絶対に珠玉の部活学園編には、収められない立ち位置にあるのです。だから駄作だとはいっていません。
『桐島、部活やめるってよ』の評価は、2分されています。私は本書の支持派です。特に映画部の前田涼也のキャラクターが魅力的でした。グラウンドで甲高い声を張りあげる、野球部やテニス部。体育館で重い叩音を響かせる、バレー部やバトミントン部。屋上で音の洪水をまき散らす、ブラスバンド部。そして地味で誰からも、存在を認められていない映画部。華やかな部活の陰で、重い機材をあやつるオタク・前田涼也の存在は、希薄すぎますが。
表題にもなっている桐島は、バレー部のキャプテンです。彼は理由も告げずに、部活をやめてしまいます。桐島の存在は、まったく描かれていません。
本書を読みながら、朝倉かすみ『田村はまだか』(光文社文庫。500+α推薦作)と重なってしまいました。札幌の場末のバーで、吹雪のなかをきっとやってくるだろう田村を、ひたすら待ちつづける40歳の同級生たちの物語です。この作品も田村は登場しません。高校の同窓会の2次会で、過去と現在を行きつ戻りつするこの作品を、私は高く評価しています。
朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』に深みがないのは、登場人物が高校生だから仕方がありません。作中で存在しない人を浮かび上がらせる手法として、それぞれの重い人生をそえなければ味がでないからです。
◎朝井リョウは対を描く
何人かの書評家が本書を、サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水社)を意識して書かれていると指摘しています。ひたすら救済者・ゴドーを待ちながら暇つぶしに興じる浮浪者を描いた戯曲から、学園部活を連想できたとしたらすばらしい才能です。
――中学校はこわいところだと聞いています。不良に呼び出されたり、先輩からいじめられたり、そういう先輩関係っていうか、上下関係が怖いです。心配です。
引用したのは、椰月美智子『体育座りで、空を見上げる』(幻冬舎文庫)の冒頭部分です。小学校の卒業を控えた主人公が、教師の質問(中学生になることへの不安)に答える場面です。
小学生が抱く中学への不安は、高校ではさらにエスカレートしているはずです。朝井リョウは『桐島、部活やめるってよ』で、そんな世界を描いてみせました。ただし舞台は田舎の中学校でもよかったのかもしれません。登場人物たちの感性は、中学校から成長を止めてしまったごとく幼く感じます。今風の語り口は、ときどき意味不明の部分がありました。登場人物の個性はすべて画一的でした。
映画では前田涼也が憧れている、かれんという女子高生にスポットがあたっているようです。彼女も桐島同様に、明確には描かれていません。朝井リョウは光と陰を巧みに使い分ける、稀有な作家だと思います。さらに言及すれば、校内の上下関係、男子生徒と女子生徒、運動部と文化部など、朝井リョウは対(つい)を描くことに長けています。しかし文章も、比喩も幼稚です。
「対」は世の中に、いくらでも転がっています。私たちから見ると他人面して転がっているものを拾い上げ、命を吹きこむ。朝井リョウには、そうした才能があります。懐かしかったよ、と結ばさせていただきます。
(山本藤光:2012.12.18初稿、2018.02.23改稿)
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