何度もここに書いてきたので、常連の読者の方々には、耳にタコどころか、イカが出来ておられることであろうが、
私は中学生の頃からビートルズに洗脳されている。
当時の日本の音楽シーンといえば、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が若手の御三家といわれていて、歌謡曲全盛の時代であった。
日曜日のお昼になると「ロッテ歌のアルバム」という歌謡番組が人気で、ステージの歌手に紙テープを投げつけ、
それを拾い、握り締めながら、皆さんとちゃんと繋がっていますよと、白い歯を見せながら唄うんである。
高校三年生や霧氷や星のフラメンコが流行っている頃
私はふと流れてきたビートルズの楽曲に脳天を打ち砕かれた。
今までこんな音楽は聴いたことが無かった私は、あっさりと洗脳されてしまい、それがもう50年も続いているのである。
所謂、ビートルズ現役世代といわれる年代なのだ。
新しいシングル盤やLPレコードが発売されると、その日にレコード屋さんに駆け込んだものだ。
そしてレコードが擦り切れるほど聴きまくったのである。
現役世代ならではの新曲発表のドキドキ感は若いビートルズファンには判るまいが、それは、えも云われぬものであった。
私が奇跡と立ち会ったのはHELPからであった。
同時進行でビートルズの世界制覇を体験できたことは、とても素晴らしい私の財産でもある。
しかし、良いことばかりではなかった。
エレキギターをかき鳴らす若者は等しく不良と云われた時代だったから、世の大人はビートルズに眉をひそめたものだ。
ましてや中学生ともなれば、勉強だけしとけばいい・・・みたいな風潮がプレッシャーとしてあったのも事実。
虐げられた時代の鬱憤を晴らす意味もあって、人生のやり残したことを今やっている。
いい大人から、いいじいさんになろうと、楽しくて仕方が無いんである。
だから、同じ志を持つバンドのメンバーは、得がたいとても大切な兄弟なのだ。
かってビートルズがステージで着た衣裳を纏い、同じ楽器で同じキーで唄い演奏する。
顔は違えど、声も違えど・・・・である。
いつか、彼らが生まれたイギリスのリバプールの街に出かけてみたいのが長年の夢でもある。
ジョンの育った家にも行かずばなるまい。絶対にである。
私の家造りの参考にしたポールの家にも・・・・
彼らが夜毎演奏していたライブハウスにも行かねば、死ねないんである。ここで演奏できたら、もう最高。
ジョンが愛したストロベリーフィールドにも行くのだ。
ビートルズは・・・・
理屈ではない。
そんな人がこの世にゴマンと居るのだ。
それだけビートルズのインパクトは、当時の音楽シーンで大きいものであった。
温泉deビートルズ音楽祭を提唱したのも、それらの想いの発露なんである。
そして今年も5年目となるそのビッグイベントをやる。
すぐ近くにビートルズと一緒に暮らしていたい、ささやかな老人の想い。
それが5年目で大輪の花が開くことを願っている。
5年目の今年こそは、私がずっとやりたかったことをやらせて貰おうと考えている。