風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

ビートルズと私

2015年01月25日 23時59分01秒 | 風竿の音楽夜話

何度もここに書いてきたので、常連の読者の方々には、耳にタコどころか、イカが出来ておられることであろうが、

私は中学生の頃からビートルズに洗脳されている。

当時の日本の音楽シーンといえば、橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦が若手の御三家といわれていて、歌謡曲全盛の時代であった。

日曜日のお昼になると「ロッテ歌のアルバム」という歌謡番組が人気で、ステージの歌手に紙テープを投げつけ、

それを拾い、握り締めながら、皆さんとちゃんと繋がっていますよと、白い歯を見せながら唄うんである。

高校三年生や霧氷や星のフラメンコが流行っている頃

私はふと流れてきたビートルズの楽曲に脳天を打ち砕かれた。

今までこんな音楽は聴いたことが無かった私は、あっさりと洗脳されてしまい、それがもう50年も続いているのである。

所謂、ビートルズ現役世代といわれる年代なのだ。

新しいシングル盤やLPレコードが発売されると、その日にレコード屋さんに駆け込んだものだ。

そしてレコードが擦り切れるほど聴きまくったのである。

現役世代ならではの新曲発表のドキドキ感は若いビートルズファンには判るまいが、それは、えも云われぬものであった。

私が奇跡と立ち会ったのはHELPからであった。

同時進行でビートルズの世界制覇を体験できたことは、とても素晴らしい私の財産でもある。

しかし、良いことばかりではなかった。

エレキギターをかき鳴らす若者は等しく不良と云われた時代だったから、世の大人はビートルズに眉をひそめたものだ。

ましてや中学生ともなれば、勉強だけしとけばいい・・・みたいな風潮がプレッシャーとしてあったのも事実。

虐げられた時代の鬱憤を晴らす意味もあって、人生のやり残したことを今やっている。

いい大人から、いいじいさんになろうと、楽しくて仕方が無いんである。

だから、同じ志を持つバンドのメンバーは、得がたいとても大切な兄弟なのだ。

かってビートルズがステージで着た衣裳を纏い、同じ楽器で同じキーで唄い演奏する。

顔は違えど、声も違えど・・・・である。

いつか、彼らが生まれたイギリスのリバプールの街に出かけてみたいのが長年の夢でもある。

ジョンの育った家にも行かずばなるまい。絶対にである。

私の家造りの参考にしたポールの家にも・・・・

彼らが夜毎演奏していたライブハウスにも行かねば、死ねないんである。ここで演奏できたら、もう最高。

ジョンが愛したストロベリーフィールドにも行くのだ。

ビートルズは・・・・

理屈ではない。

そんな人がこの世にゴマンと居るのだ。

それだけビートルズのインパクトは、当時の音楽シーンで大きいものであった。

温泉deビートルズ音楽祭を提唱したのも、それらの想いの発露なんである。

そして今年も5年目となるそのビッグイベントをやる。

すぐ近くにビートルズと一緒に暮らしていたい、ささやかな老人の想い。

それが5年目で大輪の花が開くことを願っている。

5年目の今年こそは、私がずっとやりたかったことをやらせて貰おうと考えている。