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常に批判者としての眼を失わずに、
ものごとを縦・横・斜め時には裏側からも見るように、
本質的にはシニカルに生きてはきたつもりなんである。
若いころには学生運動にも参加した。
機動隊の兄ちゃんの逞しさも、体力も、
痩せた学生のフランスデモの苦しさもよくしっている。
それは幸いにも、これまで自分が想定したよりは長く生きて来られたことで、
人の有り難さに触れることにより、
「世の中案外捨てたものじゃない」
っていう肯定的で、プラス思考的な確信に変わりつつあるのが、素直に嬉しい。
幼き頃の麦畑は格好の遊び場であった。
麦の背丈を見るにつけ、
そこで、「かくれんぼ」が出来たということは、
あれくらいの身長だったのだろうか・・・と想いを遠い昔に馳せる。
そしてそこには、まだ母親が存在するのである。
あぁ、何人たりとも癒すことの出来ない、私の胸の痛みの原点が
確かに存在するのである。
そして麦畑で捕捉して貰いたいのは・・・
まだ若かった僕の母親なのだ 。
子どものころ、麦畑にしゃがむと小さな体は確かに隠れていたように思います。
そして、母親のうしろに隠れていきていたような記憶が・・・。
幼い頃はなんと言っても母親なんでしょうね。
昔の父親は怖かったですから、余計にです。
そんなかけがえのない母親と八歳の時に別れねばならなかった私の魂は、ライ麦畑にその頃のままに残っているのかもしれません。