わが尊敬してやまない兄貴、よっちゃんの還暦のお祝いをさせて頂きました。
本当に近親者のみのという、ささやかな宴ではありました。
「よっちゃん」は武雄商工会議所の専務理事、とても切れ者と衆目の一致するところ。凄い男なんであります。
一見優しそうに見えるのですが、とてもクール
一見クールで合理的な人のようにも見えるのですが、とても温かく純粋で熱いハートの持ち主なんであります。
よっちゃんと出会ったのは氏がまだ武雄市役所の商工観光課に勤務されていた頃、20代で家を建てるのだと貯蓄に励んでおられた頃、定期積金とボーナス預金をお預かりに伺っておりました。
昔は学生運動の闘士だったそうで、よく話が合ったことから、次第によっちゃんの魅力に引き込まれていったのでした。
とにかく、無類の勉強家で、当時朝4時に起きて自分の自己啓発に努力されておりました。
極めてマニアックとしか言いようが無い、深くて広い勉強を要する、中小企業診断士の資格を一発で取られ、その後はついに税理士の資格を目指して早暁の努力を続けられ、三科目をパスされた時点で地方公務員生活に別れを告げられ。実務経験を積んで同時に残りの一科目であった法人税の試験にパスされるべく、福岡市の税務コンサルタントグループに転職を決意しておられました。
私は氏の並々ならぬ人生の転機と、不退転の決断に感動と快哉を覚え、税理士開業の際には50社をなんとか紹介するから頑張ってねと送り出す覚悟でおりました。
ところが市内の優良企業から三顧の礼を持って参謀役兼大番頭として迎えられ、氏の人生は文字通り大転機を迎えられたのでした。
その後酒類販売の老舗を苦渋の決断で廃業される憂き目に逢われ、そこの社員さんの最後の一人まで再就職の面倒を見られて後、請われて現職に就かれたのでした。
ご就任当初は随分とご苦労もなされたのでしたが、終始一貫私と某市内大手建設会社の現会長は氏を兄貴と慕い、支え続けました。
病める時も健やかなる時も、兄貴と決めた以上はこれは絶対条件だったのであります。
氏のお人柄をご理解頂くためにも、その還暦祝いによっチャンが寄せたお礼状をここに、詳らかにしたいと思います。
無類の読書家である「よっちゃん」なんであるが、無駄な形容を省き、簡潔な中にも氏の想いの伝わる素晴らしい御礼の言葉が綴られていて、私の無神経な胸を打ち続けたのである。
味わいの深い氏の文章を皆さんにも是非食して頂きたい。
無断で掲載することを・・・・・友情に免じてお許し下さいね。
「御礼」
今日は私の還暦祝いの宴を催していただきありがとうございました。
先輩方も同じ感覚にとらわれたと思いますが、いつのまにやら還暦を迎えてしまったというのが実感です。土曜日は少年ラグビースクールの子供たちに遊んでもらい、日曜日には佐賀で60歳・70歳代の先輩達とラグビーの練習をしていると、「還暦」という言葉がまとっている「老い」のニュアンスに不思議な感覚を持ってしまいます。
とはいえ、若い頃にはなかった肉離れや膝の不調や小水の出の悪さなど、少しずつ老化が忍び寄ってきていることは事実です。体力面・健康面は今のところ順調と思っていますが、体をいたわることも覚えなければいけない年齢になったのかも知れません。
公務員の世界から民間人の世界へ飛び込んだ時に、「おかげさまで」という言葉を自然に使っているお取引先の営業マンに衝撃を受けた記憶があります。私も「おかげさまで」という言葉を素直に発することができるようになりたいと思わされました。
前の会社を閉じてもらった時に、先輩や友人たちのおかげで現在の職を得ることができました。今、心から「おかげさまで」生きている、生かされているという思いです。
地域の中小零細企業の経営を守るという職責は、簡単には果たすことができるとは思いませんが、10時就寝、4時起床という生活リズムを守って健康に留意し、好奇心をいつまでも強く持ち、仕事と読書とラグビーと、昨年からご縁が出来た、日中・日韓の国際交流のお手伝いをしながら、私を支えてくださっている皆様に少しでもご恩返しができるように、これからの人生を歩んでいこうと思います。
今日は本当にありがとうございました。
平成22年3月10日
光冨義仁
以上原文のまま
それから、素敵な言葉(文章)をご紹介いただき、ありがとうございます。私は、まだ自分に甘いなぁと思い知らされてます。さぁまだまだ頑張らねば♪
「おかげさま」という感謝の言葉が何度も出てきて、心に響きました。
還暦を迎えられ益々人として磨きをかけておられるのです。
見習うべきはこの私。
「よっちゃん」には武雄市のため、まだまだ活躍して貰わねばと思わされています。
よっちゃんも喜ばれると思います。
まーだ一週間に三回は出来ると豪語されておられましたので、パワー全快で頑張られると期待しております。
中々いない人材だと僕も尊敬しております。