わが悪友「岡村孝二君」が黄泉の国へ旅立ってしまった。
肺癌だったが、彼は長く肺気腫を患っていたので手術も、本格的な治療もままならないまま、精神力だけで持ちこたえてきていた。
28日夜中11時に僕らの親しい兄貴分に電話があったという。
彼の最後の電話は、おそらく朦朧とする意識の中で発せられたのであろう。その場面を考えた時に涙が溢れて止まらない。
「今ならば話せると思うから電話したよ・・・・・。」
「ごめん、頑張ったけど、どうも今夜あたり持ちこたえきれんごたる。今まで本当に色々と有難うございました・・・・。」
「Tちゃんの席ば早よう行ってとっとくけんね。」
「もう皆には会えんので、くれぐれもよろしくお伝え下さい・・・・。」
「おいの骨ばちゃんと拾うてね。頼むよ・・・・。」
意識が遠のく中で冗談を言って相手の気持ちを和らげようとするか!
死ととなりあわせで、この精神力と律儀さはどうだ。そのわずか5時間後に帰らぬ人となったんである。
図体はでかいが、とても思いやりのあるいい奴だった。独特のジョークで周りをいつも明るくしてくれた。
自分のことはいつも後回しで、まずは相手のことを慮るのが孝二。
色々と苦労を重ねに重ねて、やっとガス屋を軌道に乗せた。苦労したから人の気持ち、とりわけ心の傷みがよく判っていた。
ショールームも新築して、これからという時であったのに・・・・。
よく飲んで一緒に唄ったものだった。澄んだ、とてもいい声で松山千春の歌をよく唄っていたね。
そしてチャゲ・アスの「エピローグ・終章」が十八番だった。俺と一緒で、顔さえ良ければプロになったろうと周りからよく言われたものだ。
バイクも大好きな男であった。ご自慢だったサイドカー
まさかこんなに早く57歳で終章を迎えるなんて・・・・。天命とはいえ
ゴルフもいいライバルだった。そして性格と一緒で実に思い切りのいいスイングだった。
5月12日の孝二からのメール、「ちゃんと頑張ってるから心配せんでよかよ。家にいつも居るから遊びにおいで・・・。」
思えば私の周りだけでも何人の仲間が癌細胞から命を奪われたことだろう。母を小1の時に亡くしたのも癌だった。仲間の銀ちゃんも危ういところだったし、弟のように可愛がっている同僚も、今まさに闘っている。
癌細胞、もういい加減にしろよと云いたい。
そして孝二の死である決意をした。
武雄市から癌細胞を追い出す活動をしていくのだ。
新連携を作り上げ、徹底した早期発見、早期治療のモデル自治体となるように、単位や事業所、サークル色んな所から火の手をあげて癌細胞を焼き尽くしてやる。
癌で苦しむ患者さんのメンタルヘルスケアもボランティアを組織する。
見てろよ癌細胞、徹底的に闘ってやる。
決闘してやる。ここに孝二を前にして2ヶ月年上の兄ちゃんとしての闘争宣言なんである。
孝二君、これまで色々と有難う。心の底からご冥福をお祈りしたい。 そして・・・・・。
孝ちゃんがいつも歌っていた曲を天国へ旅立つ彼に捧げたい。
<!-- エピローグ 終章 -->
この拙いブログに、その後とてもたくさんの方々からコメントやお電話、直接のご意見を寄せて頂きました。天国からわが友人も見守ってくれていることと思います。
岡村孝二君の飾らない奇麗な心が、今から美しい「相互扶助」という花をこの街で咲かせてくれることでしょう。
そう実感して、確信している次第です。有難うございました。 合掌
癌細胞、この街から追い出しましょう。みんなでやらねば、やらないところに逃げ込んでしまいますからね。皆でが大切なんですね。
いい情報ありがとうございます。感謝
『最近、癌細胞だけを光らせる薬ができました。
0.1mmの大きさでも発見でき、腹鏡を使いながら癌細胞を確認してがん細胞のみを摘み出すことが出来るようになりました。
これで、初期のがん細胞でも発見できるし、多少の転移があっても確認できるから癌治療は目覚しく発展してきてますね。 』って
素晴らしい事ですね。
早期発見、早期治療
病院の先生にもよろしくお願いしたい所ですね。
一所懸命頑張ってみますから。
準備会を立ち上げてくださいませ。
馳せ参じます。
心あるメンバーが、集まりそうですね(^-^)
それと患者さんのメンタル・カウンセリングケアを行うポジションを作り上げたい。NPOが必要ですね。頑張ります。
あの僕のハンカチをグシャグシャにした前川さまのお話を是非武雄の方々に聞いて頂きたいと思っておりましたが、仲間の死で奮い立ちました。たくさんの方々から励まされ、協力の申し出もあり、何らかの有効なムーブメントを起こさねばと思わされています。どうか一度是非日程を調整して頂き、武雄までお越し下さい。どうかお力をお貸し下さい。
よろしくお願いしますね。
と共に、岡村さまの死に、すごい精神力・優しさを感じ、永久に封印していたつもりだった涙腺から、涙が出ました。
風竿さまのパワーで、武雄の街に、「ホスピスムーブメント・キャンサームーブメント」の風を起こしましょう!
私に出来ることがあれば、微力ですが、何でもします。
ここに武雄市癌撲滅特区運動のヒントが一杯詰まっております。是非一度覗いてみて下さい。
書き込みに感謝です。
そして激務の市長さまもご自愛下さいますように・・・。感謝
私も常々「オール武雄」を念頭に活動しておるものです。
政争のまちという汚名返上ももちろんですし、「人間が生きる為に出来る事からはじめよう」というのが今必死で生きている者の使命と思います。
微力ではありますが、私も「かってて下さい!!」
がん細胞は無差別爆撃を仕掛けてきます。誰彼見境無く、細胞の再生段階でのイレギュラーにより、今日はこいつに、明日はあいつにと、
しかし選別される我々はその名簿の確認が遅いのですね。早くやれば助かる確率が高いのにです。そういう技術的なことを徹底して行っていく癌撲滅特区を目指したい。イノシシもレモングラスも田舎レモンもがばいばあちゃんもGABBAもよいけれど、住民の命を守る態勢作りに重点を置いていきましょう。医師会とも連携を再構築するチャンスにもなりますものね。
力を貸して下さい。
そのために受け皿となるNPO法人を立ち上げましょう。ホスピスも造らねばなりません。
多少のお金も必要でしょう。基金もつくらねばなりません。その前にまず仲間を募って皆で知恵を出し合うことから始めねばなりません。
力を貸して下さい。
マラソンが生きがいで、何はなくても走っていたい、
という人でした。
元気だった祖父がガンと戦う姿を見守るのは家族の誰もが辛かったです。
風竿さんの思いを読み、涙が出ます。
何で大切な人が苦しまないといけないのか、
辛い悲しい想いをしなくていいように、
いい治療法ができれば・・・。
心から願っています。
私の父も肺気腫で闘病中です。
気力だけで生きていると言うのがよく解るような気がします。自分の周りでもガンで闘病中の人がいて身につまされます。
人はいつか『癌』という病気に打ち勝つのだとは思いますが、何とか早く治療法が確立して欲しいですね。
大切な人を失うと言うのは堪え難いものだと感じます。
寿命一杯元気で人生を送れる様に、、、、、
祈って止みません。
私は昨年母と私を慕い県外から就職してくれた職場の後輩を癌で亡くしました。
癌と闘う本人たちを目の前で見続け、そして最期を見送る。今でもその壮絶な情景がまぶたに焼き付いています。
私も風竿さんと同様に癌が憎いです。
この世から大切な人を死に追いやる癌を無くしたい。
鳥栖に粒子線治療の施設が出来る予定とされています。このことも癌で悲しむ人々を減らせるきっかけ作りになればと思います。
また、武雄にはホスピスも必要と思っています。
毎日母のことを考えています。私の携帯には母の「が~んばれ!」の声が入った動画があり、度々見ています。
すいません、長くなりました。私の想いです。
そして彼のために闘いたいと思います。癌撲滅特区を作って、徹底的に早期発見と早期治療体制を構築したいと思わされています。力を貸してください。
食事の苦痛に悩んでおります。でもとりあえず退院することになったので・・良かった。
岡村さんも・・60前では・・本当に早いですね(泪)。
やり残したこともあったろうに・・。
ご冥福をお祈りいたします。