木枯らしが吹き始め、吐く息が白くなりだして、めでたく晩秋が我が家にもやってきた。
早いもので明日から師走なんである。
職を代わり、日々のルーチンに慣れるのに手間取って6年間続けてきたブログも疎かになってしまった。
この間、身内はもとより、大勢のお方から、
「一体どうしたの・・・・。」とご心配を頂いたのたが、慣れるまでは心の余裕がどうしても確保できなかった。
メンタリティーが弱いという弱点にも今更ながら気付いた次第。
さて、晩秋なんである。
我が家のノルウェイの森もすっかり紅葉してくれている。
山モミジと花ミズキ、姫シャラの木が一斉に赤く染まり、ちょっとした赤の共演なんである。
そんな日々の中、今年は長年やってみたかった干し柿作りに挑戦
そのままではとても食えない渋柿を買ってきて、綺麗に皮を剥くと熱湯に潜らせ、そのままロープに括りつけて軒先に干すのである。
三瀬峠あたりに行けば大々的に見れる光景なのだが、我が家にこうして吊るしてみれば可愛いこと可愛いこと・・・・。
雨にあたるとダメなので、洗濯物よろしく入れたり出したりと忙しいことこのうえない。
夏休みのアサガオ観察日記ではないが、毎朝起きたら一番に干し柿の変化を眺めている。
その昔のお正月元旦、実家では家族全員打ち揃って、年取りの儀式があり、そこでスルメと昆布にお屠蘇、甘干しとミカンが必需品なのであった。
家長たるオヤジは苦虫を噛み潰したような顔をして、厳かに
「あけましておめでとうございます・・・。」と云うと
家族はその後に続いて
「あけましておめでとうございます・・・。」と声を揃えて云った。
スルメと昆布を両手で頂く・・・。
オヤジがお屠蘇を呑むと、次は長男たる私の番であった。
その後は干し柿(甘干し)を食べる。
但し我が家の慣わしでは、そのタネの数で今年の運勢が決まるんである。
奇数ならば良い、とりわけ七個ならば最上運とされていたので、私達子供はハラハラしながら口の中でタネを数えたものだ。
今年の暮れには弟にも、種七個入りの干し柿を上げようと思う。