阿蘇山を眺めて暮らす自由人!

四季の移ろいを肌で感じ、阿蘇で暮らす自由人が見たもの・聞いたこと・感じたこと

西安~北京~関空~熊本

2015年06月15日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 6月14日午前7時、五つ星ホテル”維景国際大酒店”を西安空港午前10時発の北京行に乗るため出発する




 西安空港内部



 北京には午前12時10分に到着、ここでは乗り継ぎ時間が4時間ある…北京空港はとても広い、コーヒーを飲んだり、空港のサービスカウンターでパスポートを見せてパスワードを発行してもらいfree-WiFiにiPadを繋いで暇を潰す



 北京午後4時25分発~関空午後8時30分着の飛行機に搭乗…北京の郊外にも沢山の高層住宅が整然と立ち並んでいる、国土改造の真っ只中だ!…今回の旅行の印象は、”中国の悠久の歴史”と現在まさに”変貌している中国”を目の当たりにしたことだ!




 関空の日航ホテルに一泊して、6月15日関西空港(午前7時30分発)~あそ熊本空港(午前8時30分着)に乗る。日本は雨期で青々とした畑が眼下に広がり、中国の乾燥した河西回廊(蘭州、敦煌、西安)とは随分違っていた



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西安(秦始皇兵馬俑博物館)

2015年06月14日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 西安最大の見どころは、秦始皇兵馬俑博物館と、その西1.5kmにある秦始皇陵は1987年世界遺産に登録された




 始皇帝が乗る4頭立ての青銅馬車、2組(指揮車と移動中過した車)…秦始皇陵墓より西へ20m離れた所で発掘




 1号坑は約2000体の武装した兵馬俑が38列並び、秦軍の威容を伝える…最前列は精鋭の俑兵、鎧を着けず褒賞を期待して手柄を立てたい身軽な若者達、又まだ発掘・修復待ちの坑も多い





 2号坑にある作戦本部の部屋



 中級軍師俑…穏やかな表情



 高級軍師俑…髭をはやし腹が出て太っている、人差し指を1本だして始皇帝に忠誠を誓う



 跪射俑…ひざまずいて弓を弾く俑兵



 立射俑…立って弓を弾く俑兵等、様々な表情の俑兵達に触れた!



 帰路見た西安の街並み



 至る所に建設中の高層住宅群、国土の再開発が急速に進み変貌する中国





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西安(陝西省歴史博物館、大雁塔)

2015年06月13日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 朝起き列車の食堂車で朝食を済ませる。黄河に沿って列車は走り午前9時15分西安駅に到着…スーツケースをホームの階段を使って運ぶ時、年寄りのツアー客が困っていると通りがかりの中国人が運搬を手伝ってくれたり、観光地の混雑したバスでは若者が度々席を譲ってくれた



 陝西省歴史博物館:則天武后の母、楊氏の陵墓から出土した獅子像が正面玄関に飾っている




 周代の青銅器、周代の瓦当




 彩絵雁魚銅灯(前漢):雁の背中のランプの煙は魚とガチョウの首を通って、水で満たされた容器(体)の中に吹き込まれて水に溶かさる。煙は外部に排出されない…先人が考えた究極のエコシステムだ!



 日本から多くの遣隋使や遣唐使が長安(西安)の都に来た、この都が平城京、平安京の原型だ



 唐代の黄金の龍と盆(純金製)




 唐代の陵墓から出土した唐三彩:壺と馬




 日本:奈良時代の”和銅開珎”も展示



 大雁塔:玄奘がインドから持ち帰った大量のサンスクリット語経典や仏像を保存するため652年に建立…塔の7層階に登り、西窓から眺めると一直線に延びる道路があり、その先はシルクロードにつながっている



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敦煌から西安へ(列車の旅)

2015年06月12日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 ”敦煌山荘”でバイキングの朝食を取る…3日泊まった城のような山荘ともお別れだ



 9時30分敦煌発の列車に乗って、シルクロードの終着駅・西安へ、約24時間、1,720kmの旅…車窓を眺めたり、雑談したりのんびりできる日だ!



 列車は一番快適な「軟臥」の席:上、下段の二段ベッドが二列あるコンパートメント寝台列車、冷暖房が完備、コンパートメントの定員は4人、ドアで通路とは仕切られている…上段のベッドは高い位置にあり、その柵が低いので、寝相が悪いと落ちるかのではないかと心配した



 隣の車両は「硬臥」で、上、中、下段の三段ベッドが2列づつ向き合った形の寝台列車…通路で本など読んでいる人が多い



 雪を抱く祁連山脈を右手に見ながら列車は進む、西安に近づき河西回廊の緑が多くなってきた


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敦煌(玉門関、陽関)

2015年06月11日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 玉門関、漢代の長城跡、陽関の地図



 玉門関(小方盤城):王之渙(おうしかん)の詩
『黄河遠上白雲間 一片孤城萬仞山 羌笛何須怨楊柳 春風不渡玉門關』
【黄河を遡ること、雲のあるところまで。
 高くて大きな山と、小さな城壁。
 羌族(遊牧民)の笛が、柳をうらんで”折揚柳(別れの笛の曲)”を奏でる。
 玉門関には、都を照らす春の光は届かず、柳も芽を吹かない】
 ホータンで産出される”玉”をこの門を経て都へ運んだ、漢代の関所跡で漢代には国家権力が及ぶ西端…最果ての地に立つ心境だ!



 漢代の長城跡…ここが長城の西の端だ



 陽関:王維(おうい)の詩
『渭城朝雨潤輕塵 客舎青青柳色新 勸君更盡一杯酒 西出陽関無故人 西出陽關無故人』
【朝からこの渭城に降っている雨が、黄塵をしっとりうるおしている。
いま別れの宴をはる旅舎の柳の色は、一際めだって緑を増している。
これより遠く安西へ旅立つ君よ、さあ、もう一杯杯を重ねたまえ。
ここから西、陽関を出れば、酒を酌み交わすべき知友もいないだろうから】
玉門関の南に位置する漢代の関所跡、朽ちた狼煙台(のろしだい)、荒涼とした砂漠……風が強く荒涼とした砂漠が、どこまでも広がる!




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敦煌(莫高窟、白馬塔、敦煌市博物館、鳴沙山・月牙泉)

2015年06月10日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 旅行のメインイベント「砂漠の大画廊」敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)、千年にわたり造営が続けられた中国仏教随一の石窟…96窟(初唐)莫高窟のシンボル九層楼閣(北大仏殿)、大仏の高さ43.5m、幅12.5m(写真は楼閣)…補修中で大仏の鼻から上は見えない



 17窟は、1900年頃王円録(道教の僧)が16窟の甬道入口の砂を取り除いた時、約4万点の書画・経巻類が発見され敦煌の名は一躍世界に広まった…井上靖著の小説「敦煌」にも描かれている



 有料窟の45窟(盛唐)本尊・二羅漢・二菩薩・二天王の七尊。脇待菩薩の女性的な容貌と健康的で豊満な姿態は唐を代表する塑像 57窟(初唐)仏樹下説法図の脇待菩薩は理知的でスリムな西域美女を思わせる菩薩は唐代壁画の白眉と言われている(窟内は撮影禁止)…有料窟は料金200元/窟だが見る価値はあった


 敦煌初期の275窟(北涼)本尊は脚をX字に組む菩薩交脚像、ガンダーラの影響を受けた「ビリジェリ王本生」「月光王本生」の物語が描かれている 251窟(北魏)中心塔柱はインドのストーパの形式が継承されている 249窟(西魏)仏教的内容に加え、中国古来の神仙思想的な天空のイメージが投影されている


 敦煌中期の329窟(初唐)南に阿弥陀弥勒仏浄土変、北壁に弥勒浄土経変が描かれている…壁画が見事


 白馬塔:4世紀末、クチャの高僧・鳩摩羅什(クマラジーグァ)が、経典を担がせていた白馬が死んだため、馬を埋葬して塔を建てたのが始まり



 敦煌市博物館(歴史):戦国時代から秦まで、敦煌地区の主な住民は、月氏・塞種胡・鳥孫等の民族。西漢初期、月氏を撃退し、河西を占領した匈奴の貴族は強固な奴隷政権を樹立し、羌人と連立して漢王朝の安全を脅かした。漢武帝が即位してから3回も出兵して匈奴を撃退し、河西に移民を送った。陽関と玉門関を西域へ通じる門戸として「4つの郡を設置、2つの関所を占拠」と歴史に記録
 随・唐時代は中国の歴史で最も繁栄した時期、中国と西域を結ぶ交通の要所に位置する敦煌は、名実ともに多民族が集中する商業都市「シルクロードの真珠」になった



 鳴沙山:月の砂漠を行く隊商



 月牙泉:鳴沙山の谷あいに湧く三日月の泉、漢代からの遊園地で枯れたことがない



 夕食は沙州市場の屋台で名物の砂鍋料理に舌鼓



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嘉峪関から楡林窟~敦煌へ

2015年06月09日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 嘉峪関(かよくかん)…万里の長城は河北省に端を発し、北京郊外の八達嶺を越え黄土高原を経て、西端の嘉峪関に着く。嘉峪関は明代(1372年着工)のもの、地形は険要で、南は雪が積もった祁連山につ繋がり、北は黒山に繋がる河西回廊で最も狭い所(両山の距離は約15km)に建つ、関城には三重のお城があり難攻不落だった



 嘉峪関から南の祁連山に続く長城(北には嘉峪関から黒山に繋がる長城もある)



 嘉峪関門は町の正門(西城門)…西域からの商人はこの門を通って城内に入った



 砂漠には至る所に風車群が林立している



 ステップ(半砂漠)に生える植物は少なく、紅色の花をつける”ベニヤナギ(紅柳;カンカ)”や小さい草”ラクダソウ”が生えている



 楡林窟(ゆりんくつ)では踏実河(とうじつが)渓谷に位置し、東西両側の断崖に開かれている、唐代に造営され、後代に重ね書きされた壁画が多い、玄奘取経図が残る3窟、唐代壁画の傑作と称される西方浄土変・弥勒浄土変が残る25窟等を見学(窟内は撮影禁止)…千年近くの歳月を経た密教芸術(東洋芸術)の奥深さに触れる、このような芸術に辛抱強く取組んだ画工・仏師集団の思いは何だったのか、仏教思想を深く知ぬ私には想像できなかった



 今日は鳴沙山近くの敦煌山荘に泊まる



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武威から帳掖(大佛寺、木塔、七彩山)~酒泉(鐘鼓楼)~嘉峪関へ

2015年06月08日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 河西回廊[かせいかいろう]は、東は烏鞘嶺から始まり、西は玉門関、南北は南山(祁連山脈と阿爾金山脈)と北山(馬鬃山、合黎山および龍首山)の間の長さ約900km、幅数kmから100kmと不規則な、西北-東南方向に走る狭く長い平地で黄河の西にあるため河西回廊と呼ばれる。6,500m級の祁連山脈を水源とするオアシス都市群「河西四郡:武威、張掖、酒泉、敦煌」を包括する…雪を抱く祁連山脈



 武威(ぶい)で大雲寺の鐘楼に登った後、帳掖(ちょうえき)まで約230kmバスで走る。途中、風が強い河西回廊には風力発電の風車群や送電線群があり、万里の長城遺跡も点在していた




 帳掖では「東方見聞録」にも記載された涅槃像(体長34.5m、肩幅7.5m)が残る大佛寺を見学(涅槃像は撮影禁止)…大きさに圧倒される



 万寿寺木塔、八角9層の塔(1~7層まで内壁はレンガ・外回りは木組み、8と9層は木造で壁もない。木塔は釘を1本も使わず木組みの貴重な建築様式)



 丹霞地形の七彩山(東西45km、南北10kmの広大な断層地形群)…熱い太陽光線の中、紅色に霞みがかった幾重にも重なった地層は絶景(2002年に発見)



 数百万年前、一帯は全て湖だったが、気候の移り変わり及び水域の酸化還元条件の変動に伴い、堆積物中の鉄は価数の異なる鉄イオンを形成し、堆積物及び後生岩石は赤、黄、紫、グレー、白など異なる色になった。この色とりどりの岩層は地殻変動によって傾斜褶曲が生じ、地表に隆起し、風化浸食を経て、現在の色彩豊かな丘陵となった(解説版)




 酒泉の鐘鼓楼の門額には東迎華岳(東に華岳を迎える)、西達伊吾(西はハミに達する)、南望祁連(南は祁連山を望む)、北通砂漠(北は砂漠に続く)の4つの言葉、酒泉の地理的位置を明確に示す



 今日は武威~帳掖(約230km)、帳掖~七彩山(約40km)、七彩山~酒泉~嘉峪関(約210km)、合計約480kmのバスの旅、やっと嘉峪関のホテルに着く

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オアシスの道、蘭州(奔馬・彩陶)から武威(孔子廟・霊台)へ

2015年06月07日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 「オアシスの道」シルクロードは、西域南道(敦煌からホータン、ヤルカンドなどタクラマカン砂漠南縁のオアシスを辿ってパミール高原に達するルート)、天山南路[西域北道](敦煌からコルラ、クチャを経て、天山山脈の南麓に沿ってカシュガルからパミール高原に至るルート)、天山北路(敦煌または少し手前の安西から北上し、ハミまたはトルファンで天山南路と分かれてウルムチを通り、天山山脈の北麓沿いにイリ川流域を経てサマルカンドに至るルート)の3つのルートがある




 蘭州は甘粛省の省都で、西安の西北約600kmに位置し海抜1510m、黄河の南側に細長く発達した町。甘粛省博物館の「馬踏飛燕」は空飛ぶ燕を捕え、残りの三本足は空を駆り、首をもたげて嘶いている馬から力強さとスピード感が伝わってくる傑作(武威の霊台から出土)、中国観光のシンボルだ!




 馬家窯文化(ばかようぶんか;紀元前3100年頃-紀元前2700年頃)は、中国西北の内陸部である黄河最上流部の甘肅省や青海省に存在した新石器時代後期の文化




 武威は前漢の武帝(紀元前159~紀元前87年)が河西回廊に設置した河西四郡(武威[涼州]・張掖[甘州]・酒泉[粛州]・敦煌[沙州])のひとつ、祁連山脈から流れ出した川が合流して石羊川となる



 甘粛省最大の孔子廟




 表に西夏文字、裏に漢字で刻んだ西夏碑「重修護国寺感応塔碑…中国のロゼッタストーン



 ”奔馬”が霊台の下(後漢時代のレンガの墳墓)から出土




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シルクロードの旅に!

2015年06月06日 | シルクロードの旅(蘭州・敦煌・西安)

 西遊旅行のシルクロードの旅(河西回廊:蘭州・敦煌・西安)に我々夫婦と近所のKさんが大阪の旅友を誘って4名がこの旅行に加わる…昨日は"ホテル日航関西空港(hotel nikko kansai airport)"に前泊し、関西空港8時55分発の中国航空(china airline)に搭乗して上海には10時20分に到着(約2時間25分の飛行)。広い中国だが北京時間が中国唯一の基準となり日本との時差は1時間だ!





 上海で東京と大阪合わせて20名になり、上海(16時30分発)から蘭州(19時50分着)まで約3時間20分飛行…眼下に西安から続く肥沃な黄土高原が広がる



 蘭州では”長信国際酒店(gansu intrnational hotel)”に宿泊、関空からの添乗員と中国の現地のガイドが案内する


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