阿蘇山を眺めて暮らす自由人!

四季の移ろいを肌で感じ、阿蘇で暮らす自由人が見たもの・聞いたこと・感じたこと

彼岸明け

2017年09月26日 | 阿蘇のくらし

 「彼岸」はサンスクリット語の「波羅密多」から来たものといわれ、煩悩と迷いの世界である【此岸(しがん)】にある者が、「六波羅蜜」(ろくはらみつ)の修行をする事で「悟りの世界」すなわち【「彼岸」(ひがん)】の境地へ到達することが出来るというもの


 2017年は、9月20日(水)彼岸入り、9月23日(土・祝)中日(秋分の日)、9月26日(火)彼岸明け



 ”彼岸花”は毎年この時期に咲く、赤色と白色の”彼岸花”




 稲穂も頭を垂れる秋…南外輪山を望む田圃、中央火口丘を展望する田圃




 用水路には豊富な阿蘇の”湧水”、この”湧水”で美味しい南郷谷の米が育つ



 用水路の土手には彼岸花、柿の木、田圃の稲穂や南外輪山など南阿蘇村の秋景色






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立野峡谷の近況~皆さんのご意見を!

2017年09月25日 | 阿蘇のくらし

 立野峡谷の成り立ち、阿蘇の神話では、”阿蘇のカルデラに湖が在った頃、阿蘇大明神(健磐龍命;たけいわたつのみこと)がカルデラを蹴破って水を流して、その乾いた大地に稲を植え人々が生活出来るようにした”(蹴破り伝説)がある。蹴破った場所が立野峡谷である。この場所は熊本地震に見られるように断層帯(大津断層、北向き山断層)に挟まれた場所で、地震と浸食により深い谷が形成された…昔の神話は地殻変動の地震(断層)を物語っている



 大津町(熊本市)から南阿蘇に向かう長陽大橋…前方左側の白いセメント部分(黒川左岸)は河陽側(南阿蘇・高森方面)の阿蘇大橋が架けられる部分



 白いセメント(黒川右岸)は阿蘇大橋の橋桁が架かる立野側(大津・熊本方面)の部分



 長陽大橋から”白川第一橋梁”(日本で最初にできた鋼鉄の鉄橋;昭和3年)が見える(南阿蘇鉄道)…立野駅~中松駅の区間は不通



 南郷谷から流れ込む白川(左上)と阿蘇谷から流れ込む黒川(左下)が合流して白川(右)となり熊本市を潤し有明海に注ぐ…長陽大橋は白川と黒川の合流点の上に架かる



 南阿蘇側から長陽大橋を望む…左下の出っ張りは、元長陽大橋の橋桁部分



 新聞で報道された、削られた柱状節理、露出した柱状節理など




 長陽大橋、阿蘇大橋は生活道路として必須だが、立野ダム建設は住民との議論を尽くすべきだ!


 立野ダムについて地図(最初の写真)にあるように”立野ダム”が計画されている。しかしダムの有効性(河川改修との比較)、費用対効果(税金の無駄遣い)、2次災害の危険性(穴あきダムが詰まる)、環境への影響(生態系の破壊、阿蘇グローバルジオパークの再認定や世界自然遺産登録への配慮)など総合的な観点から、住民への十分な説明や流域住民との話し合いが行われないまま進められている点が大変心配だ…景観や環境に配慮せず無用な人工物を膨大な税金を使って作ってはならない。大地震に見舞われた熊本、災害復興のためやるべきことが山積している。一度立ち止まって、子供世代に悔いを残さぬように議論を尽くさなければならない、誰が考えても良い国策を推進して欲しい。この責任を誰がとるのか聞きたい


グローバル・ジオパーク・ネットワーク(Global Geoparks Network)の理念は次のとおり、
it’s always developing models of best practice and setting high quality standards for territories that integrate the preservation of geological heritage into strategies for regional sustainable economic development.「地質的な地球の遺産を保存して、これを地域の持続可能な経済発展に結びつけ、この地域において常に最上の実施モデルを発展させ、高い品質基準を保って行く」

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次男一家-2

2017年09月24日 | 家族たち

 次男一家4人は被災後初めて阿蘇に来た、2016年4月14日、16日の熊本地震の被災地見学は必須だ!、”高野台の地滑り”、”阿蘇大橋の崩落現場”を案内する…震災から約1年半過ぎた、壊れた家屋は撤去され、震災の爪痕が変化していく





 中央火口丘山麓には牛や馬が放牧されている…孫Runaちゃん(小学校1年生)には、大変興味深い体験!




 昼食はビュッフェスタイルの”乙姫の森”…足湯に浸かって席順を待つ





 次男一家4人は午後5時頃熊本発羽田行きの飛行機で横浜へ帰る


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次男一家-1

2017年09月23日 | 家族たち

 次男一家4人が久しぶりに横浜から阿蘇に遊びに来た


 孫Atukiくんは、中学1年生になりテニス部に入部している。阿蘇でもテニスを練習したいと言うので”休暇村・南阿蘇”のテニスコートを借りて家族で遊ぶ…天気は曇り2時間の練習で汗を流す




 夕食は、南阿蘇村のフランス料理(フルコース)を頂く…シェフが丁寧に料理した本格的なフランス料理


 オードブル




 スープ



 魚料理



 肉料理



 サラダ



 デザート…萬福になり皆、満足


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モスクワ観光-3~モスクワ市内観光→成田へ

2017年09月02日 | ロシアの旅~サンクトペテルブルグ、モスクワ

 ロシア最後のホテルの朝食(バイキング)、普段食べる野菜やヨーグルトなどあり健康的でおいしい



 ポクロフスキー聖堂(ワシリ―寺院)は赤の広場の南側に立つ大聖堂、対モンゴルの戦勝記念、イワン雷帝によって1560年に建てられた…9つの玉ねぎのようなドームは夫々ひとつづつが協会



 赤の広場はクレムリンの正面、ポクロフスキー聖堂とグム百貨店に囲まれた広場、ソ連時代には5月1日のメーデー、11月7日の革命記念日にはパレードが行われた場所…現在は広場で連日、催し物が開催され、その舞台や参加する人々、観光客でごった返している…出店も出ている





 赤の広場の真正面に位置するレーニン廟は、レーニンを永久保存する記念堂…ロシアではレーニンは尊敬され、街の銅像も倒されていない



 グム百貨店が赤の広場に面し、クレムリンの反対側に立つ国立の百貨店、1921年レーニンの命により開設、有名外資系ブランド店や土産物店が並ぶ…ロシアの富裕層や観光客向け





 ”ノヴォデヴィチ修道院”の城壁の外の湖、チャイコフスキーが、この湖の周囲を散策しながら「白鳥の湖」の構想を練ったと言われている




 モスクワ発17時15分→成田行の飛行機で帰国の途に成田空港には9月3日8時35分到着




 ロシア9日間の旅では(1)諸公国(黄金の環;12~13世紀)の大聖堂・聖堂、黄金の門、(2)モスクワ大公国(14~16世紀)の大聖堂・聖堂・教会、修道院、(3)ロマノフ王朝(17~20世紀)の聖堂・教会、宮殿、修道院、美術館など、世界遺産を中心に見学した…次に全体の感想を述べる


 ①正教会(ギリシャ正教・東方正教会)に基づく聖堂・教会など、黄金に輝く建造物の数々に圧倒された。皇帝の宮殿の内装も木材彫刻の表面に豪華に金メッキされたものが多い…見せびらかすのが好きな国民性、過去の戦争やソ連時代に破壊された貴重な建造物が修復されていた


 ②ソ連時代の抑圧され統制された暗いイメージはなく、西欧化され自由で落ち着いた社会、町は清潔でゴミが落ちていない。又、西欧社会に見られる町全体がギラギラした商業主義ではなく、スーパーには品物があふれ人々の生活は豊かなように感じる


 ③インフラが整っているようだ。モスクワには町中に火力発電所があり、余った電力で湯を沸かし周囲の家庭に供給している。日本人からモスクワは寒いでしょうと言われるが”暖房施設が整っているから室内ではシャツ一枚で生活できるので、日本の冬の方が寒い”とのこと…ロシアの街並みは道路などインフラが整備され整然として美しい、日本は本当に豊かな国なのか?


 ④ロシアには市民が都市郊外に”ダーチャ(別荘;与えられた土地)”を所有し、野菜や花を栽培しガーデニングを楽しんだり、都心を離れて自然豊かな郊外住宅として利用しいる、食糧危機には役立ったようだ


 ⑤プーシキン美術館で印象派の絵画を鑑賞した、日本の若い女性の美の感覚(健康な美)が間違っているように思える

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モスクワ観光-2~クレムリン

2017年09月01日 | ロシアの旅~サンクトペテルブルグ、モスクワ

 救世主キリスト聖堂は祖国戦争に勝利して神に感謝するため建設され、1883年完成当時高さ103mロシア最大の建築物…革命後は宗教弾圧の対象となったが、新生ロシアの象徴として2000年に再建されたモスクワの大聖堂



 モスクワの中心街のビル、工事中の道路が多い…ロシア近郊の国々から出稼ぎに来ている人々が歩道を修復しているようだ。街はゴミが落ちていなくてきれい




 クレムリンの入口は混雑している…城壁の中も観光客で混雑している




 アルハンゲンスキー聖堂…軍の守護神、大天使アルハンゲル・ハイミルを祀って建てられた教会…イワン雷帝など皇族達の棺が置かれている



 ウスペンスキー大聖堂…クレムリンの中心に立つ大聖堂。ロシア帝国の国教大聖堂として、ロシア皇帝が戴冠式に臨み、モスクワ総主教が葬儀に付された場所



 武器庫…19世紀半ば鎧や兵器を製作する、保管する武器庫として建てられ、ニコライ1世の勅命により博物館になった



 鐘の皇帝…18世紀の鋳造技術の粋を集めて製作されたが鋳造中に火災が発生し、水をかけたため一部が欠け落ちた…未完成、かけらだけで11トン



 大砲の皇帝…16世紀に鋳造されたブロンズ製の大砲、口径890mm、重量40トン…弾丸は19世紀に造られた飾り、ひとつで1トンもある



 元老院(ロシア連邦大統領府)…18世紀末に築かれ、レーニンの居所であった。現在はロシア連邦大統領府



 城壁と望楼…クレムリンを囲む城壁(約2.2km)、適当な間隔で20の望楼があり、最も高い塔は80mの高さ



 クレムリン大会宮殿は1951年に完成、ソ連共産党大会や中央委員会総会に用いられた…現在は国際会議、オペラやバレエの劇場としても使われる



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モスクワ観光-1~プーシキン美術館

2017年09月01日 | ロシアの旅~サンクトペテルブルグ、モスクワ

 昔オリンピックの選手村になったホテル(BEST WESTERN PLUS VEGA)前の5本の柱…何を表しているか?オリンピックの5大陸 or5大陸の統一



 ボリショイサーカスの劇場前には、子供連れの列、ソ連時代のいかめしい建物は官庁や大学など公共施設に利用されているようだ




 プーシキン記念美術館(ヨーロッパコレクション部)はロシア人収集家(セルゲイ・シチューキン、イワン・モロゾフ)のコレクションが中心、”エルミタージュ美術館”の新館には疲れて入館しなかった、この美術館で印象派・後期印象派の名画を沢山鑑賞できた…この絵画の評価は御自分で!



 Diana bathing(コロー)、Rural love(ルパージュ)、Tanzerin beim Fotografen(ドガ) 、The blue dancers(ドガ)






 Jeanne Samary con vestido escotado(ルノワール)、Mu(Renoir)(ルノワール)




 The Girls on the Bridge(ムンク)



 Rousen Cathedral Portal and Tower d'Albane Midday(モネ)、White Water Lilies(モネ)、Peaches and Pears(セザンヌ)、Pierrol Ariegui(セザンヌ)






 赤い葡萄畑(ゴッホ)、Prisoners Exercising(ゴッホ)、Landscape with a Carriage and a Train(ゴッホ)、Portrait of Doctor Felix Rey(ゴッホ)






 Aha Oe Fell?(ゴーギャン)、La reina(ゴーギャン)




 金魚(マチス)、Flowers in a Blue Vase on a Blue Tablecloth(マチス)、ナスタチウムとダンス(マチス)





 豹に襲われる馬(ルソー)、老人と少年(ピカソ)



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