嘉峪関(かよくかん)…万里の長城は河北省に端を発し、北京郊外の八達嶺を越え黄土高原を経て、西端の嘉峪関に着く。嘉峪関は明代(1372年着工)のもの、地形は険要で、南は雪が積もった祁連山につ繋がり、北は黒山に繋がる河西回廊で最も狭い所(両山の距離は約15km)に建つ、関城には三重のお城があり難攻不落だった
嘉峪関から南の祁連山に続く長城(北には嘉峪関から黒山に繋がる長城もある)
嘉峪関門は町の正門(西城門)…西域からの商人はこの門を通って城内に入った
砂漠には至る所に風車群が林立している
ステップ(半砂漠)に生える植物は少なく、紅色の花をつける”ベニヤナギ(紅柳;カンカ)”や小さい草”ラクダソウ”が生えている
楡林窟(ゆりんくつ)では踏実河(とうじつが)渓谷に位置し、東西両側の断崖に開かれている、唐代に造営され、後代に重ね書きされた壁画が多い、玄奘取経図が残る3窟、唐代壁画の傑作と称される西方浄土変・弥勒浄土変が残る25窟等を見学(窟内は撮影禁止)…千年近くの歳月を経た密教芸術(東洋芸術)の奥深さに触れる、このような芸術に辛抱強く取組んだ画工・仏師集団の思いは何だったのか、仏教思想を深く知ぬ私には想像できなかった
今日は鳴沙山近くの敦煌山荘に泊まる