阿蘇山を眺めて暮らす自由人!

四季の移ろいを肌で感じ、阿蘇で暮らす自由人が見たもの・聞いたこと・感じたこと

年末の大観峰

2015年12月30日 | 阿蘇ガイド

 年末の大観峰、晴天に恵まれ多くの人々が訪れていた


 晴天・弱い西風のコンディション、大観峰からパラグライダーで飛び立ち空中散歩のライダー達…気持ちがいいだろー




 大観峰は標高936mに位置する阿蘇の北外輪山一番の展望所、カルデラ盆地の阿蘇谷や阿蘇五岳と、反対側に九重連山を一望できる…昔は「遠見ヶ鼻」と呼ばれたが、熊本出身のジャーナリスト徳富蘇峰がここの景色に感激して「大観峰」と名づけた



 仏の涅槃像…眼下に阿蘇谷を見渡し、阿蘇五岳の中岳から噴煙を吹きだしている



 北外輪山の北西に広がる草原、南東に広がる草原…約9万年前、阿蘇の巨大噴火による火砕流台地にできた草原だ!




 周年放牧(冬季も放牧)の牛



 阿蘇では阿蘇七鼻八石(あそななはなやいし)といわれ、”鼻”は外輪山がカルデラの内部に突き出た部分、”石”は言い伝えが残る奇岩、巨石


 寒くなってきた、最近は薪ストーブを焚く毎日だ


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母と昼食会

2015年12月26日 | 家族たち

 年の瀬が迫ってきた、11月は札幌、12月はインド旅行と夫婦で家を空けることが多かった



 熊本市の”ケヤハウス”に居る母(92歳)は昨年12月31日に転倒し脊椎圧迫骨折して2ヶ月半入院。退院後、歩行補助車を利用する生活になった


 母と我々夫婦は月に1回程レストランで昼食を共にしている…今回は熊本市の”野っぽ”での昼食会!



 ボリュームがある”ハンバーグ料理”(サラダ、キノコスープ、特製デラックスハンバーグ、手作りパン、手作りデザート、紅茶)だ…この料理を完食した母を見て、店のスタッフも驚く


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アグラ(タージ・マハル、沿線の風景)

2015年12月13日 | 世界遺産を巡るインドの旅

 午前9時30分バスで外国人が多く泊まる豪華なホテルを出発、10時20分頃タージマハルに着く…豪華ホテル、タージ・マハルのラクダ・タクシー




 ”タージ・マハール(宮廷の冠)”は第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃ムムタズ・マハルのために建てた白大理石の霊廟。建築に22年・費用は3,100万ルピー以上、職人2万人といわれている…左右対称で均整が取れたムガル建築の伝統を引き継いだ廟建築


 赤砂岩の”大門”…大門の上の小チャトリ(小塔)は前に11個、後に11個合わせて22個あり、建築に22年を要したことを表している



 大門をくぐると、広大な正方形の四分庭園があり、その奥に約100m角・高さ7mの大基壇、四隅にミナレット、中央にアーチ型の大イーワーンを四方に面した廟本体、その上に高さ65mのドーム屋根、全てが白大理石で美しいプロポーションと清楚で気品の高さ完成された古典的な調和美に世界の人々から絶賛を浴ている…タージ・マハル、大イーワーンの廟




 タージマハルを1時間30分程見学し、近くのレストラン(TAJIMAHAL Restrant)でインド料理の昼食…本場のインドカレーは辛さや塩味が薄く物足らなく感じた



 バスでデリーへ(約200km、約4時間30分)向う…沿線の店(露店の床屋)、農園、レンガを焼く煙突(レンガ工場)、良く整備されている民間が造った高速道路、サービスエリアの食堂







 デリー市内に近づくと高層住宅が立ち並び、車が多くなる




 デりの紅茶店(Pekoe International)に寄りチャイ、オレンジペコ、アールグレイと香辛料(ガラムマサラ)を買う、夕暮れの身動き出来ないほど混みあうバザール(果物店、履物店)、地元で有名な菓子店でお菓子(Haldiram's Sweets)を買う→デリー発(12月14日午前1時25分)~(機中泊)~成田国際空港着(14日午前12時45分)で無事帰国








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アグラ(ファティープル・シークリー、アグラ城)

2015年12月12日 | 世界遺産を巡るインドの旅

 午前7時30分ホテルを出発し一路アグラ(約230km、約5時間30分)へ…高速道路、沿線の農園




 バスからの見る人々の生活は他の国で見た光景とかなり異なる。神聖な牛が道端で残飯をあさり寝そべっている、犬や猿も同様だ。歩道に寝ている老人、高速道路を牛が横切り混沌とした社会だ。人々はまさに動物と共存している…路上の牛と人々、牛の糞を丸く平たくして乾かし燃料や蚊除けに使っているようだ




 ”ファティープル・シークリー(勝利の都)”は第3代アクバルが築いたが、水不足と猛暑のため14年間(1574年~1588年)で廃墟となる、ほとんどの建築物が赤砂岩によって建設され、土着の建築文化とイスラーム建築の融合がなされた都市遺跡…”ディーワーネ・アーム(一般謁見の間)”は皇帝と国民が接する開放的な建築(広い中庭をアーケードが取り囲む)、”ディーワーネ・ハース(貴賓謁見の間)”は皇帝の私的な謁見のための建物(2階の吹き抜けに対角上のブリッジを掛け渡した)と”装飾された中央の柱”、”パーンチ・マハル”は五層で壁がない建築物(遊戯・納涼・展望の施設)、宮廷地区のアーヌープ・タラーオ(池)







 ”アグラ城”も第3代アクバルが築き、ジャハーンギール、シャー・ジャハーンまで3代の居城…アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝ち父シャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)に幽閉してデリーに移った



 ”マルシン門”と内側の”アクバル門”の堅固な3重の門




 ”ジャハンギール宮殿”はアクバルが造ったペルシア建築様式(イスラム)とヒンドゥー建築様式が共存した赤砂岩の建物…細かい彫刻が赤砂岩に彫られている




 ”ムサンマン・ブルジュ(八角形塔)”は第5代皇帝シャー・ジャハーンが妻の居室として建たが、後にシャー・ジャハーンが息子の第6代皇帝アウラングゼーブによって幽閉された所、ここから蛇行するヤムナー川や”タージ・マハル”を眺めることができる…タージ・マハルと同一様式の白亜の大理石宮殿の壁面を飾る精緻な彫刻





 ”ディワン・イ・アーム(一般謁見の間)”



 ホテルは超豪華なジェイピー・パレス(JAYPEE PALACE)の広い庭園


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ジャイプール(風の宮殿、アンベール城、シティ・パレス、ジャンタル・マルタン)

2015年12月11日 | 世界遺産を巡るインドの旅

 9時バスでホテルを出発してジャイプールの市内観光…ジャイプールはラジャスタン州の州都(人口300万)、町の名前「ジャイ」は創設者ジャイ・シング2世から、「プル」は”城壁に囲まれた町”の意味。高さ6m・総延長10kmの赤い城壁に囲まれ「ピンク・シティー」とも呼ばれる



 ”ハワ・マルハ(風の宮殿)”はピンク石で造られた5階建ての建物…彫刻を施した窓から夫以外に顔を見せてはいけなかった宮廷の女性たちがファサード(建物の正面)の涼しい居室から町の様子を楽しんだ



 アンベール城砦の入口からジープに5人乗り城の入口 へ、落ちないように終始ジープの屋根の棒を摑む…尻尾で叩かれ骨を折った事故で日本人観光客は、名物の”象タクシー禁止”



 岩だらけの丘陵頂上にある”アンベール城”はアンベール王国の城塞があったところに、カチカワハ3代の支配者マンシン、ジャイシン1世、ジャイシン2世による創造物(16~18世紀)…ガネーシャ門、ディーワーネ・アーム(一般謁見の間)、ディーワーネ・アーム(内部の装飾)、勝利の間(鏡の間)






 ”ジャル・マハル(水の宮殿)”は18世紀サワイ・プラタプ・シンによってマン・サバル湖の中にサマーリゾート基地として造られた



 ”シティパレス”は宮殿コンプレックス(複合施設)で18世紀サワイ・ジャイ・シンが建てた…チャンドラ・マルハ(月の宮殿)、中庭を囲む4つの入口(四季を象徴した赤・緑・青・金の孔雀と規則正しい模様で装飾されている)、デキワニ・カース(一般謁見の間)





 ”ジャンタル・マルタン”はサワイ・ジャイ・イン2世が5か所造った天体観測施設の一つ、ジャイプルの天文台(1728年)が最大で、地域の時間、星・星座の高度、赤緯、日食・月食の判定の機器(天体観測儀)等がある…ドゥルブ・ヤントラ(北極星観測地球儀)、ラジ・ヤントラ(古代の天体地球儀)、サムラット・ヤントラ(大きな日時計)





 混雑した”バザール”を歩くと庶民の生活を実感できる…【香辛料】を売る店、【噛みタバコ(檳榔子(ビンロウジ)をすり潰しキンマ(コショウ科の植物)の葉にくるみ少量の石灰と一緒に噛む)】を売る店、色とりどりの【マリーゴルド】を売る店




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デリー(レッド・フォート、フマユーン廟、クトゥブ・ミナール塔 )

2015年12月10日 | 世界遺産を巡るインドの旅

 インドと日本の所要時間は10時間30分だが、時差が3時間30分あるためデリー空港に現地時間12月9日の11時30分着、現地ガイドとツアー客10名が迎えのバスに乗りホテル(RADISSON BLU HOTEL DELHI DWARKA)には午前2時30分頃着…睡眠導入剤を飲み就眠



 午前6時30分に起床、朝食後7時30分バスでホテル出発してディリー市内観光、主な場所はレッド・フォート、フマユーン廟、クトゥブ・ミナール…ラージ・ガードは建国の父マハト・ガンジーが荼毘に付された場所、ヒンドゥー教の習慣に従い遺灰は川に流された



 デリーはインドの首都、インドでは3番目の大都市(人口約1,100万人、標高239m)で2つの部分から構成される。オールドデリーは17世紀から19世紀のイスラム・インドの首都(イスラム教寺院のモスクや遺跡・砦が多い)、ニューデリーは英国人によって造られたインドの首都(外国の大使館や政府関係の建物が多い)…デリーは八つの都の重層都市だが、この観光はムガル帝国の歴史【アフガニスタンからティムール<モンゴル>の血を引くバーブルが侵入し支配、初代バーブル(1526年)から第6代アウラングゼーブ(1707年)まで】をたどる旅


 レッド・フォート(ラール・キラー)は第5代シャー・ジャハーンが建てた巨大な城、赤砂岩の城壁は長さ2km、高さ河川側18m、市街側33m、正門のラフォール門からインド独立後、ネール首相、インディラ・ガンジー首相の重要な演説はここからなされた…午前中は朝霧でぼやけていた



 フマユーン廟は第2代皇帝フマユーンの后の廟、初期ムガール建築を代表するもので、タージ・マハールに影響を与えた




 クトゥブ・ミナール塔は将軍アイバク(ドルコ系のムスリムで、デリーに奴隷王朝を創始)はインド北部を征服した勝利記念に「勝利の塔」を建築。ヒンドゥーとイスラム両様式が混ざった高さ約73m、基底部は直径15m、頂上部の直径は2.5mの塔。塔は5層で下3層は赤砂岩、その上の2層は大理石と砂岩





 デリー市街は政府の機関、大学、最低で3~4億円する高級住宅地と貧しい庶民の生活の場が混在している






 昼食後、バスでジャイプールへ向う(約260km、約6時間)、午後7時頃ホテル(HOTEL MANSINGH TOWERS)に到着…バスからインドの庶民の生活(民族衣装サリーを着ている人が多い)を垣間見ることが出来た



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インドの旅(デリー~ジャイプール~アグラ)

2015年12月09日 | 世界遺産を巡るインドの旅

 世界遺産を巡るインドの旅…一度は訪れてみたい国(インド)! 北インドのデリー(DELHI)、ジャイプール(JAIPUR)、アグラ(AGRA)の3都市を巡る6日間の”阪急交通社のツアー”に夫婦で参加する



 午前7時30分自宅から”おいしい丸葉山”のKさんが車で熊本空港まで送ってくれた、飛行機などのトラブルにも対応できるように早い時間熊本発8時55分~羽田着10時40分に乗る、羽田発から成田までバス、成田航空にはかなり早く11時30分頃到着…飛行機から富士山を望む



 成田発17時15分発のデリー行の飛行機に搭乗…機内食の後、これからの旅に備え横になってゆっくり休む


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名護屋城跡(朝鮮出兵)を訪ねて!

2015年12月05日 | コミュニティの活動(おいしい丸葉山)

 早朝の旅館前、阿翁浦港の波は静かだ



 Mさんが是非立ち寄って欲しいと言う佐與姫の神石は田島神社の”佐與姫神社”に安置されていた…佐與姫は夫が朝鮮半島の任那(みまな)援護のため出航の時、領布振山(ひれふりやま)から船影を望み、泣き続け息絶え石となった(望夫石)を祀る縁結びの守神



 田島神社には元寇の碇石や太閤の祈願石など大陸との攻防が偲ばれる残石が点在する




 ”名護屋城博物館”では、学芸員が日本列島と朝鮮半島の友好関係を一時中断させた文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱1592~98)を解説…この後、豊臣秀吉が出兵の基地とした名護屋城址を散策


 当時は大坂城に次ぐ大きさ、秀吉の死後廃城になり、建物は唐津城に移築され、石垣も人為的に要所が破却された状況が復元保存されているようだ



 注目は”蘇える巨城”だ!、スマートデバイスを用いバーチャルリアルティ(VR)によって420年前の名護屋城の姿を体験できる(肥前名護屋城図屏風等からVRで復元)…デバイスを用いてバーチャル名護屋城をその場にいる感覚で見る”おいしい丸葉山”参加者達



 名護屋城本丸跡、天守跡から玄海灘を望む





 一泊二日の旅は日本列島と中国・朝鮮半島との攻防の史跡を訪ねた、秀吉の死後、徳川家康は中国(明)や朝鮮との国交回復に熱心で朝鮮から松雲大師ら僧の一行を日本に迎え和解の話しが行われ、朝鮮通信使が江戸時代12回来日して友好関係が保たれた…ご近所の皆様と”みんな仲良く”親交を深めた楽しい旅でした

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鷹島(元寇の島)へ!

2015年12月04日 | コミュニティの活動(おいしい丸葉山)

 ご近所の”おいしい丸葉山”修学旅行は南阿蘇村のバスを利用して、長崎県松浦市の元寇の島”鷹島”(4日)と佐賀県唐津市の朝鮮出兵の城”名護屋城跡”(5日)を見学した


 南阿蘇村久木野庁舎を9時に出発して、12時頃、Mさん(鷹島のガイド)と待ち合わせの”海鮮お食事処;海道”に到着…鷹島のあらましを聞きながら海鮮昼食を頂く



 鷹島歴史民俗資料館では、始めに元寇について学芸員が解説、話が上手でその名ガイド振りに感心する…①元(蒙古)の世祖フビライは文永5(1268年)~10年まで4回使者を送ったが日本は拒否。②文永11年2万5千の元軍(蒙古軍・高句麗軍)を乗せた9百隻の船団が対馬と壱岐を襲い、博多湾に侵入、元軍2万が息の浜に上陸すると日本軍も主力3千騎で迎え撃ち元の副司令官を射落とした。翌日、元軍の軍船や兵は皆立ち去っていた


 弘安4年(1281年)元軍は2隊に分かれ、東路軍(兵力4万2千人、艦船9百隻)は対馬・壱岐を襲い、遅れて来た江南軍(兵力10万人、戦艦3千5百隻)と平戸島で合流し鷹島南岸付近に仮泊…”運命の日”閏7月1日、元軍の船団は荒れ狂う波と風に翻弄され海の中に消えた



 「鷹島神崎遺跡」から引揚げられた最大級の碇は長さ7m、この碇から推定すると幅10.7m・全長約40mに及ぶ戦艦で乗組員は90人のようです




 ”若松自然園”から展望する特産の「フグの生けす」、元寇が対馬に上陸したことを大宰府に急報した対馬小太郎の墓は故郷の対馬を望む丘陵にある




 鷹島町住吉神社のアコー(気根を垂らして寄生主の木を締め殺してしまう植物)、宮地嶽は文永11年(1274年)、弘安4年(1281年)の2回にわたって元の大軍と交戦した場所




 宴会は”旅亭 吉之や”、フク料理や海鮮料理を頂きながら、老後の助け合いの雑談、飛び入り”女装の舞”で大笑い



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阿蘇カルデラ国際シンポジウム2015

2015年12月01日 | 阿蘇ガイド

 ”阿蘇カルデラ国際シンポジウム2015”~「ユネスコ世界ジオパークとしての阿蘇」が阿蘇火山博物館で開催された、世界ジオパーク認定1周年記念のシンポジウムである…「国連教育科学文化機関(ユネスコ)」は11月18日、貴重な地形や地質をもつ自然公園「世界ジオパーク」の認定を正式な事業とすることをパリで開催中の総会で決定。世界遺産と同じ正式事業への格上げで国内外での認知度が高まり観光・教育面での活用に弾みがつくと期待される。世界ジオパークは洞爺湖有珠山(北海道)や糸魚川(新潟)、阿蘇(熊本)など国内8カ所を含め、世界33カ国で120カ所が認定されている(日本経済新聞)



 基調講演「ユネスコ世界ジオパークとしての新たな展開」(渡辺真人氏)に続いて、パネルディスカッション「阿蘇カルデラの可能性を未来へ」では田中節也(東大教授)から次の様な話があった…①ユネスコ事業化により、ユネスコのロゴを使用することが出来るようになり”世界ジオパーク”の価値が高まった。又、それに相応しい努力が必要で4年毎に再審査がある、ブランド化により外部資金獲得のチャンスが増大した。②カルデラを持つ世界ジオパークには阿蘇、洞爺湖有珠山、パツール(インドネシア)、カトラ(アイスランド)、アゾレス(オランダ)があり、日本ジオパークでは桜島・錦江湾、三島村・喜界、霧島がある…互いに学び情報交換。③阿蘇ジオパークではカルデラの知識(火山災害や災害教育含め)、人々と火山活動(神社仏閣、神事やお祭り)、風光明媚な自然環境と恩恵(温泉や地下水)等の情報発信等々…”ユネスコ阿蘇ジオパーク”への期待は大きい!


 初冬の阿蘇山、草千里ヶ浜と中岳




 阿蘇南登山道(吉田線)から展望した、御竈山と烏帽子岳



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