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中村とうようの「ポピュラー音楽の世紀」

2017-11-03 13:00:41 | 読書
神田の古本市を覗いてみたら、岩波新書の「ポピュラー音楽の世紀」が安く出ていたので、買い求めて早速読んでみた。著者の中村とうようは、ミュージック・マガジンを創刊した人で、「非西欧世界のポピュラー音楽」という分厚い本を翻訳しているので、まあ、そういう分野に詳しいのではないかとあたりを付けて読んだ。1999年の刊行で、240ページ程度。20世紀のポピュラー音楽についての本だが、始まりは19世紀末のアメリカのミンストレル・ショーの作曲家スティーヴン・フォスターからだ。

ポピュラー音楽というのは、音楽が商品化されて大衆的な市場と結びついて成立したと、「まえがき」の中で述べられている。そうした観点では、楽譜の売り上げ(シート・ミュージック)、レコードの発明、レコードの進化、などにより大衆的な音楽市場が成立したという説明になることを期待する。まあ、こうした市場をリードしてきたのは、アメリカだから、その説明が中心でもおかしくはないのだが、著者はワールド・ミュージックというか、それこそ世界中のポピュラー音楽について説明していて、驚くべき知識だと感心するが、あまりにもいろいろと説明が沢山あるので、ついていけない。

それに、中村氏特有の観点がそれに加わっている。アメリカの音楽市場は、周辺のエスニックな民族的なエネルギーを、白人の巨大レコード会社が搾取的に取り入れ、そうして儲けて成立したみたいな観点と、ワールド・ミュージックでは、土俗的な民衆音楽のエネルギーを感じさせるものを中心的に紹介するというものだ。

ポピュラー音楽というのが、商業的な手段で成立したというならば、その商業的な手段との関係をもう少し考えないと、各地の民族音楽の紹介のようになってしまった部分もある。カリブ海や東南アジアでポピュラー音楽が発展したのは、大航海時代のヨーロッパと現地との出会いによるみたいな説明がなされているが、それでよいのかと気になる。そうした観点で言えば、イスラムと西欧音楽の出会ったスペインなどについてもきちんと触れるべきではなかろうか。

ポピュラー音楽のポピュラーたるゆえんは、19世紀までの音楽というのが主に貴族社会によって支えられてきたが、第一次世界大戦の結果、貴族社会が崩壊、19世紀から徐々に始まってきたブルジョワ世界や、産業革命の結果出てきた大衆層の出現により、こうした大衆層から支えられる音楽としてポピュラー音楽が生じたと定義すべきではないのだろうか。

大衆層から集金する手段として、初期には楽譜の売り上げ、それからレコードの進化で、エジソンのシリンダー・タイプから始まり、78回転、45回転、33回転,カセット・テープ、CD、ネット配信などのメディアの進歩と共に、映画のトーキー化、ラジオの登場、テレビの普及、テレビのカラー化と映画の大型化、インターネット配信といった新技術と音楽、大衆との関係こそが、ポピュラー音楽のカギを握っているのではないかと思うが、中村氏の説明は、途中からほとんど音楽性とその原始的なエネルギーになってしまったような気がする。

個別の議論はやりだすときりがないが、タンゴについてはダンス音楽として盛んだった30~40年代を最高として、ピアソラのような踊れない音楽はそれほど評価していたににもかかわらず、ジャズについてはダンス音楽として生きたのは仮の姿として、チャーリー・パーカー、マイルス・デイヴィスのようなモダンジャズを高く評価しているのはどうも、平仄が合わない気がする。

ポルトガルのファドにしても、異端的なアマリア・ロドリゲスのみを紹介しているのは、どうかなという感じ。エジプトの歌手ウム・クルスームも人気を認めながら、馴染めないとしているが、結構美空ひばりみたいな感じで、僕は好きだ。また、トルコ音楽の紹介も弱い気がする。

僕などは、商業的、通俗的な音楽が大好きなので、そうした部分を省いて「民衆の声」みたいなものを紹介するならば、日本の浪速節なども入れておいて方がバランスが取れるという気がする。こうしたものは、いつの時代にも、どこの地域にもそれなりにあるのだろうが、「ポピュラー音楽」とするからには、どのような形でマスと結びついたかをぜひ語ってほしかった。

いろいろと、首をかしげたくなる点の多い本ではあるが、丹念にいろいろと音楽を聞いて紹介してあり、そうか、こんなのもあったのかと気付かせてくれる点では良い本だ。

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