衛星放送で「あの日のように抱きしめて」を観る。2014年のドイツ映画で、日本公開は2015年。なんとなく「あの胸にもう一度」みたいな恋愛映画かなと思って見始めたら、予想と異なり、第二次世界大戦中にナチス・ドイツの収容所で虐待を受けた女性が夫を探す映画だった。原題名は「フェニックス」で不死鳥という意味。フランス語で書かれた1961年の小説が原作で、小説の原題名は「灰からの生還」だが、早川ミステリで翻訳が出ていて、1963年に出たときの題名は「帰らざる肉体」となっている。
この小説は、1965年にイギリスで映画化されていて、その時の原題名は「リターン・フロム・ジ・アッシュズ」で、日本公開題名は「死刑台への招待」。未見だが、本で内容を読むと、話は少し変えている。その後、1982年にもフランスでテレビ映画になっているようで、今回は三度目の映画化ということになる。
主人公の女性はユダヤ系で歌手、ドイツ人のピアノ弾きの夫と共に幸せに暮らしていたが、ナチスの収容所で虐待を受けたために顔に大けがをして、終戦後に「できるだけ元の顔にしてほしい」と医者に頼んで整形してもらう。それでも本人は昔の顔と違ってしまった印象を受ける。彼女は最愛の夫を見つけてまた一緒に暮らしたいと考えて探し始めるが、彼女の親しい友人は建国されるイスラエルへの移住を勧める。
彼女はやっと昔の夫を見つけるが、顔が違っているので別人だと思われる。しかし、なんとなく元の妻に似ている女性が現れたので、彼女を利用して妻の遺産を引き継ぎたいと考える。彼女は、夫が気付かないので、別人のふりをして、それに付き合う。しかし、やがて、妻の存在をナチスに告げたのは夫であり、収容所に連行される直前に離婚の手続きがとられていたことがわかる。再会を装った二人は友人たちの前で、夫の伴奏で歌い始めるが、その歌の途中で夫は元の妻であると気づき、伴奏できなくなり、彼女は黙って去っていく。
この最後の場面で歌われる曲は、「スピーク・ロウ」(そっと囁いて)という歌で、クルト・ワイルが1943年にアメリカで書いたミュージカル「ヴィーナスの接吻」の主題歌。クルト・ワイルはユダヤ系のドイツ人で、1930年代前半にはブレヒトと組んで「三文オペラ」などを書いていたが、ナチスの台頭とともに活動が難しくなり、アメリカへ渡ってミュージカルなどを書いたが、ドイツ時代とアメリカ時代には作風が全く変わった。というよりも、その国の観客に受けるように作風を変えた。
この映画では、途中の食事場面でもこの曲が流れるだけでなく、映画のバック・グラウンドにコントラバスで弾いたこの曲が流れる。そして最後に主人公によって歌われるという具合で、テーマ曲となっている。歌詞の内容は「愛を語るときには、そっと囁いて・・・」というようなものだが、時代背景を考えるとまことに適切な選曲だ。
監督はドイツ人のクリスティアン・ペツォールトという人で、知らない人だったが、なかなか面白い映画だし、才能もあるという印象を受けた。ドイツがこうした映画を作るようになったのだと、そうした点についても感心した。
この小説は、1965年にイギリスで映画化されていて、その時の原題名は「リターン・フロム・ジ・アッシュズ」で、日本公開題名は「死刑台への招待」。未見だが、本で内容を読むと、話は少し変えている。その後、1982年にもフランスでテレビ映画になっているようで、今回は三度目の映画化ということになる。
主人公の女性はユダヤ系で歌手、ドイツ人のピアノ弾きの夫と共に幸せに暮らしていたが、ナチスの収容所で虐待を受けたために顔に大けがをして、終戦後に「できるだけ元の顔にしてほしい」と医者に頼んで整形してもらう。それでも本人は昔の顔と違ってしまった印象を受ける。彼女は最愛の夫を見つけてまた一緒に暮らしたいと考えて探し始めるが、彼女の親しい友人は建国されるイスラエルへの移住を勧める。
彼女はやっと昔の夫を見つけるが、顔が違っているので別人だと思われる。しかし、なんとなく元の妻に似ている女性が現れたので、彼女を利用して妻の遺産を引き継ぎたいと考える。彼女は、夫が気付かないので、別人のふりをして、それに付き合う。しかし、やがて、妻の存在をナチスに告げたのは夫であり、収容所に連行される直前に離婚の手続きがとられていたことがわかる。再会を装った二人は友人たちの前で、夫の伴奏で歌い始めるが、その歌の途中で夫は元の妻であると気づき、伴奏できなくなり、彼女は黙って去っていく。
この最後の場面で歌われる曲は、「スピーク・ロウ」(そっと囁いて)という歌で、クルト・ワイルが1943年にアメリカで書いたミュージカル「ヴィーナスの接吻」の主題歌。クルト・ワイルはユダヤ系のドイツ人で、1930年代前半にはブレヒトと組んで「三文オペラ」などを書いていたが、ナチスの台頭とともに活動が難しくなり、アメリカへ渡ってミュージカルなどを書いたが、ドイツ時代とアメリカ時代には作風が全く変わった。というよりも、その国の観客に受けるように作風を変えた。
この映画では、途中の食事場面でもこの曲が流れるだけでなく、映画のバック・グラウンドにコントラバスで弾いたこの曲が流れる。そして最後に主人公によって歌われるという具合で、テーマ曲となっている。歌詞の内容は「愛を語るときには、そっと囁いて・・・」というようなものだが、時代背景を考えるとまことに適切な選曲だ。
監督はドイツ人のクリスティアン・ペツォールトという人で、知らない人だったが、なかなか面白い映画だし、才能もあるという印象を受けた。ドイツがこうした映画を作るようになったのだと、そうした点についても感心した。
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