こと、人の心理ということにおいては特に、
“問題”の原因を究明することと、
“問題”を解決することとは、無関係だと考えたほうがいいと思う
ある人が、自分はどうしてこんなに対人恐怖があるのだろうと考え
幼い頃に、隣人からひどいことをされたからだという結論に達したとしても、
そのとき、顕在意識の部分では、
「なるほど~」って気づきはあり、
なんだか、すっきりするのかも知れないけど、
その気づきと、“問題解決”とは、
たいていの場合、直接、結びつかないんだ
それどころか、その原因に対してどう接するかで、
ますます、問題が、強化されることが、あるのではないか、とさえ思うの
だって、関心を向けたものは、存在感を増すようにできている
もし、抵抗したり、消滅させようと奮闘したりすると、
それに増強剤を打つことと、同じ意味を持つ
「この忌まわしい原因があったからこそ、この憎い問題が起きたのだ!」と、
因果関係に、念を送れば送るほど、
ますます、それは、現実となって、現れる・・・・
ひとつの方法としては、
因果の縁を、断ち切ることだと思うの
せっかく、究明した原因だけど、
それに焦点を合わせない、必要以上に扱わないことで、存在感を奪っていくんだ
すると、問題のほうも、立ち現れる頻度が、減少していくように思うんだよね
あるいは、
焦点の合わせ方として、分析や判断をやめて、
原因や問題と見えていたことに、完璧さを見ること
自分の人生を構成してくれるパーツとして認め、
拍手を持って迎え入れること
こんな方法は、とっても、いいと思うんだ
彩りと豊かさの視点に立つと、トラブルが、リソースに、変わる
あ、トラブルなんて、問題なんて、最初から、ないんだって思える
そして、どうか、テレずに、
過去の自分全部に、現在の自分全体に、「愛してる」って、言ってみて
ホント、言ったモン勝ちなんだってばさ
ハートサポートサロン「フォルテネージュ」