Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

「ありのままでいい」と「こうありたい」の両立

2011-07-23 | フォルテネージュ


たとえばね、


私は、優しくありたいって思っている
できれば、どんなときも、ね


人からあらぬ誤解を受けたときでさえ、
何かの濡れ衣を着せられたときでさえ、

その人に対して優しくありたいと思っている



でも、実際には、そういうわけにもいかないときがあって、
ツンとしちゃったり、
イラッとしちゃったり、するわけだ



そんなとき、私は、
心のままにしたがって、そうしたのだから、
そんな自分も、ありだよねって思う

寂しいとき、不安なときは、優しくなれないのは、しかたないよ
そのまま、認めるしかないよね





そのうえで、
受け入れるけど、それはありたい自分じゃないから、
今度、チャンスがあったら、優しくあるぞ!って決めるの

そして、優しさの定義も、自分で決める






「優しくなければならない~」じゃなくて、「優しくありたい」の
それは、「優しくない自分はダメだ」ってことを伴わなくても、存在できると思うの





そうじゃないところを受け入れたうえで、これを選ぶ
こうありたい!と意図し、こうあるぞ!って、宣言する




いろんな自分をありのままに受け入れようっていろんなところで言われているけど、
「受け入れる」ってのは、「なんでも好きになる」ってことじゃないよね。
好みがあって、いいじゃない?
望みがあって、いいじゃない?




私は、甘いものが大好きで、甘いものがあると幸せだけど、
それは、甘いものがなければ不幸ってことではない

「好き」だけど、「依存」してるんじゃないんだ

 

 

そうでないとき、そうでない自分にOKを出し、
そのうえで、ありたい自分を選んで、そうあってこそ、楽しいんだと思う


何度、そうでなくても、ね





                    ハートサポートサロン「フォルテネージュ」