ここ何ヶ月間か、何度も浮かんでいた思いがあるんだ
私は、自分の良さが分からなかった頃、
赤の他人って、自分を攻撃する存在だと思っていたのね
街で、電車で、すれ違う人たちは、基本、自分とは無関係で、
何か関係するとしたら、
電話の席取りとか、レジの順番待ちとか、
利益がぶつかるような、競争相手でしかないと、思っていた
でも、
こんな私でも、今は、心から、思うんだよね。
人を助けたいって
もしかしたら、偽善とかエエ格好しぃとかかも知れないんだけど、
それでも、ホントに思うんだよ
でも、同時に、こうも、思っていたんだ。
人間の意志にはエネルギーがあるから、
人を助けたい、人を支えたいと思っていると、
それは、
助けられたい人、支えがなくてはいられない人を作り出すことになる。
実際、
人を助けたいと思って外出すると、手助けを必要としている人に遭遇したりしてね・・
つまり、自立できない人を増やすことになるから、
人を助けたいなんて、思わないほうが良いんじゃないかって
でもね、
なんか、しっくりこなくて
人を助けたいと思うことは、罪なの?って、ずっと考えていた
そしたら、こんなことがあった
フォルテと散歩中、
生協の配達員さんが、たくさんの、空の発泡スチロール箱を運ぶのに、手間取ってたから、
「手伝いましょうか?」って、声をかけたの
お兄さんは、ちょっと驚いて「いえ、大丈夫です。」って、言っていたけど、
やっぱり、大変そうなんで、
私、散らかった箱を拾ってたら、
「いやあ、すみません。」って、はにかみ笑顔を見せたんだけど、
それが、本当に、良い顔だったわけさ
一生懸命、頑張って働いている、真面目で端正な笑顔
私、その顔を間近に見ただけで、
あぁ、今日は良い一日だって思ったんだよね、マジで
で、ふと、思いついた
(私は、よく、思いつくんだ!)
私は、
人を助けたいんじゃなくて、
人と温かい関係を築きたいんだ
だから、
自分が助けなくてもいい、
助けられる側でもいい、支えられる側でもいい。
アマちゃんって言われるかもだけど、
サラッて、ドライに、おとなな関係ってのが、冷たくて寂しい気がするだけなんだ
何も、人を助けたいって言ったって、
命や生活に関わるような大きなことでなくても、こんな、ちょっとした手助けでいいんだよね。
ちょっと困っているときの、見知らぬ人の親切って、
心に、グッとくるじゃない?
かなり、素敵だと思う
自分は、こんな関係を求めていたんだって思ったら、心がYes!って言った気がした
私の思いは、ダメな人を増やすんじゃない、
ぬくもりを生みだすんだって
間違っていないよって、宇宙から背中を押されたような気がしたよ
人を助けることで、自分の価値を保とうとするような、そんなことでもない限り、
”親切”は、人の心をほぐす優しい柔軟剤さ
香りつきだよ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」