Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

バランス+アンバランス

2010-02-05 | フォルテネージュ

「私は人に何かしてあげようとは思わないんです。」
その人は、開口一番でそう言った。
美しい顔をまっすぐに私のほうに向けて、
そのまなざしは濁りがなかった













私は思わず微笑んだ。
なぜか、嬉しくなったのは、
その人が、今、その人の真実を語ってくれているからだろう

人の話に心が動くのは、
話している内容の美辞麗句とかではなく、
その人と話している内容との関係によって、決まってくると思う









「人は自分から何かを搾取していくだけ。
奪うだけ奪ったら、用無しとばかりに切り捨てる。
そんな人たちに、なぜ、自分から何かをしてあげようと思うのか

彼女が経験してきた人間関係は、
たやすいものではなかったようだ












でも、彼女はこうして、自己探求を続けている。
その中の一時期として、
人に何かをしてあげようと思わない自分を経験しているだけで、
彼女が、未来永劫そうだとは限らない。
人に何かをしてあげようと思わなくても、
相手のほうで勝手に何かを得てしまうかも知れない

「何かしてあげなくてはならないのではないか」という義務感も不要だし、
究極的に、
社会に奉仕することも、
人の役に立つことも、
人間の必須の条件ではないはずだ

彼女はそれを魂の歴史のうえで、知っているのだろう













彼女はルネサンス時代を生き、
放浪画家として家族も持たず、しがらみもなく、
あちこちの風光明媚をキャンパスに残した

空間的な放浪を満喫したから、
次は、
タイムトラベラーとして、時間的に放浪することにも食指を動かされ、
時空を実感しようとした


八艘飛びの牛若丸のように、
あちこちにかかる加重を散らして、
ダイナミックに動いて、しかもバツグンの平衡感覚で

 













アンバランスなときがないと、
バランスは保てない。

ずっと、バランスを取りっぱなしであれば、
それは、静止しているのと同じだ。

彼女にとって、人との間の粘着物質は、
放浪画家の爽快感が産んだ対の宝だ













歴史に翻弄される屈辱もひとつの経験
歴史の中のありかたのバリエーションのあれこれ、
彼女の探求は続く










            スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」