Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

奇妙な真実☆量子論

2010-02-27 | 量子論?

最近、
前から興味のあった量子論の本を読んでいるんだけどね、
これが、まか不思議でおもしろいのさ












たとえば、
電子は粒でもあり、波でもあるという量子物理学の見解があるんだけど、
人間は、決して、波である電子を見ることはできないんだ。

人間が観察すると、同時に、
電子は粒になってしまうんだって

ちょうど、
「だるまさんが転んだ」って振り返ったら、皆が固まっているように・・・・











見ることができないのに、どうして、電子が波だって言えるのか?

そう仮定すると、
いろいろなことが説明できちゃうからなんだろうね












だから、
永久に、自然をあるがままに見るなんてことはできない。

見ると同時に、
それは、対象の中に、ある一定方向の動きを生じさせることになって、
見ていないときとは、別の態度(ふるまい)を示すんだ








何だか、
小学生の授業参観のような・・・

親は永久に、子どもの本当の姿を見ることはできない

可愛い子猫になっているかも知れないし、
荒れ狂う雷神になっているかも知れないし、
忍者のように気配をなくしているかも知れないし、
そのすべてかも知れない・・・













ニュートン以来の古典力学は、
自然は客観的な実在であり、それを人間が観察するとの立場だったけど、

そもそも、
客観的な実在があるということが成り立たないのが、量子の世界

観察する人も含めて自然を考える。
観察する人の意志が、対象を決めることがある













そして、
モノの位置だって、見ることによって定まる。

誰も見ていないときは、
量子は、ここにもいるし、あそこにもいるっていう、
ドライアイスの煙みたいなモヤモヤした状態

見ることによって、
その煙が、一気に集約して、確かな存在になる


量子論というのは、モノの最小レベルのことを説明する世界だから、
この世に存在するすべてのモノについてそれは言えるんだ。

机についても、夜空の月についても、
もちろん、人間についても












自分が自分であるのは、他の人がいてくれるから。
他人がいなければ、
何が自分か分からない、あやふやでふわふわした、とらえどころのない広がり












こんな感じで、
この世の非常識は、量子の常識

当分、はまりそうな予感だっちゃ








スピリチュアリズムに興味のある人は、きっとおもしろいはずだよ




参考:「図解 量子論がみるみるわかる本」 PHP研究所
    「ねこ耳少女の量子論」 PHP研究所












                  スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
                           




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