もう嗤うしかない?

2011-05-28 09:00:00 | 独り言&拾いもの


 ことの深刻さに相反するあまりにもレベルの低い「言った言わない」について、ひとこと言おうと思っている間に一週間が過ぎてしまい、東京電力の「海水注入中断はなかった」という夢オチ以上に陳腐な「どんでん返し」会見で幕が降りたのだが、怒りを通り越して笑ってしまった。会見を伝えた直後に「私の頭の中は、はてなマークだらけ」と痴呆の表情を浮かべている斑目さんの映像が流れ、「いい気味だ」と思った分だけ怒りのボルテージがさらに低下した・・・やれやれ、こんなメチャクチャがいつまで続くのだろう? 

 もうこれ以上「お化け」が出ないことを前提に話を整理すると、3月12日の夜19時04分、東京電力は1号機の原子炉に海水を注入。2分後の19時06分、保安院にその旨連絡。19時25分、官邸にいる元役員から本店に「管首相から海水注入の了解が得られていない」との連絡が入り、清水東電社長や吉田福島第一所長らはテレビ会議を開いて対応を検討、官邸の判断を待つために注水の一時中断を決定。この際、吉田所長から「注水を続けるべきだ」との意見は出なかったが(筆者注:本当だろうか?)、所長の独断で注水を続けた・・・のがどうやら真相らしい。
 官邸からの要請を所長の独断で無視したならば(判断は正しくても)処分は免れないところだが、官邸側がすったもんだの果てに「注入中断を命じた覚えはない」という答弁に戻り、斑目原子力安全委員長の助言も「再臨界の危険性がある」ではなくて「再臨界の可能性はゼロではない」という曖昧模糊な言葉だったため中止の判断は下されず、「誰が55分間の海水注入中断を命じたのか」責任の所在を巡って紛糾していた国会は「無駄な時間を費やしただけ」という語るも無残な結末を迎え、(結果的に)誰一人として責任を問われることなく問題自体が消滅した。「結果オーライ」で済ませたいのだろうが、それ以前もそれ以後も「情報隠し」は発覚し、事態はいよいよ深刻だ。

 事故から二ヶ月以上が経過して「1号機がメルトダウンしていた」ことが公表された。2&3号機についてはまだ認めていない。実にふざけた話だが、東電や政府関係者はもちろん、マスコミに登場した御用学者や取材にあたったマスコミ各社が口をそろえて、「事故発生から三日後には(メルトダウンを)確信していた」と白々しく言うのには、開いた口が塞がらなかった。彼らは十年後にも、「こうなることはわかっていた」と、同じ台詞を口にするだろう。
 大東亜戦争(あえてそう呼ぶ)を幼少時代に経験した父は、ことあるごとに「あのときと全く同じだ」と言っている。「日本はひとつ」「みんな一緒」「ひとりじゃない」といった言い回しをさんざん聞かされたらしい。その結果が惨めな終戦だったのだから、こうした言葉に拒否反応を示してしまうのも当然だろう。
 自分もまた、めまいがしそうな怒りを覚えるたびに、『仁』の南方先生じゃないけれど、65年前にタイムスリップしているのではないかと錯覚することがある。自分の場合は過去の悲惨な記憶がないせいか父ほどの嫌悪感はなく、これらの言い回しに同調することはないけれど、当時の人々に対してある種の共感を覚えるようになった。悲惨さの質が違うが、こうした事態に至って初めて彼らの日常や気持ちが理解できるようななった、と思うほどだ。
 「真実」を告げなかった理由は、ただ一つ「パニックを防ぐため」だという。もっともらしい言い訳だが、ならば「本当に深刻な事態が進行中のときは決して真実を伝えられない」ということになる。上に立つ者は「小を犠牲にして大を救う」決断を迫られることがあるのかもしれないが、マスコミもそれでいいのだろうか? 報道のあり方や自分たちの使命を今一度考えてもらいたい。

 真実を伏せていてもパニックは起こる。実際の話、品不足が起きた。これもパニックの一種だろう。情報が多すぎても混乱するし、情報が全く入らなければ不安を覚える。報道を信用できないからパニックが起こる、とも言える。「真実は伏せられる」ことを皆がうすうす感じているわけで、パニック回避のために報道管制は今後いっそう強化されるだろう。いたちごっこの繰り返しだ。
 事故が起きた直後に発売された『AERA』誌の表紙(物々しい放射能防護マスクの写真)に抗議した野田秀樹さんも、パニックを起こした一人ではないかと思う。あのとき、関係者は「外部に放射能はもれていない」と言っていたのだが、まさかそれを鵜呑みにしていたわけではないだろう。彼は「危機にある時、その危機を煽っても、その危険はなくならない。危険を出来るだけ正確な情報でそのまま伝えること、これがまっとうなマスメディアのやることだ」と『AERA』を非難したが、彼のように頭の良い人なら「本当に深刻な事態が起きているとき(パニックを防ぐために)マスコミは真実を伝えられない」ことに気づかない筈がない。感性が鋭い人だから、(本人も「直感的に覚えた」と書いている)恐怖が敵を間違える形の「抗議」になってしまったのではないか?
 報道規制の一番分かりやすい例が誘拐報道だが、今回の事故はそれとは明らかにそれとは異なる。

 情報隠しから右往左往したといえば、他に「放射性物質予測システム(SPEEDI)」に関する記事の推移が挙げられる。このシステムは155億円を投じて整備されたらしいが(そんなものがあることを全く知らなかった)、最初に報じられたのは、このシステムが震災直後は被災したり停電により稼動できず、スピーディーどころか全く役に立っていなかったことだった。ソフトに欠陥があったことも指摘され、こんな役立たずの機械に巨額の費用を投じていたことが強調されていたのだが、最近になって、実は初期の段階から稼動していたけれど予測データを公開していなかったことが判明した。さらに、首相が事故直後に福島第一原子力発電所を視察した際に「SPEEDI」のデータを参照していたことが報じられた。
 被災地の人々にはパニックを恐れて数値を公表せず、自分のためにはデータを取り寄せて安全を確かめた首相の胸の内については「嗤う」にとどめるが(利用したのは彼だけではないと思う)、被災地の人に一番重要な情報を公開しなかった罪は非常に深い。

 文章が長くなってしまったが、首相のアドバイザーを務めている斑目(出鱈目)さんにもひと言申し上げたい。斑目さんは、小心な性格ゆえ責任逃れに終始するが自己顕示欲と名誉欲だけは人一倍あるという、個人的には友達になりたくないだけの人物に過ぎないのだが、その彼が最も不適切なポジション(原子力の安全に関する専門家として官邸に助言を与える職務)に今現在もとどまり続けていることは「百害あって一利なし」で、この国の最大不幸と言ってもよい。誰が彼を起用したのか任命責任も明らかにしなければならないけれど、一秒でも早く辞めてもらうのが先決だ。
 斑目さん、今は「私は何だったのか?」考える時間などありません。退場してから、気が済むまで自問自答してください。今なら拍手で見送ってあげるよ。

 台風が迫っています。明日は山中湖ロードレース・・・個人的には、大雨の中を走る必要はないと思います。参加者に寄り添いながら、事故が起こらないよう慎重かつ冷静な判断を心がけます。一泊旅行に出かけるぐらいの気持ちの方がいいかもね!


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