あぜ道日記

田舎暮らしの中で、自然や季節の花々、時々お出かけを、写真で綴ります。

春の京都 醍醐寺

2015年05月24日 | 旅行記
高野山がメインの1泊2日の旅でしたが、最初に京都の醍醐寺に立ち寄りました。

「花の醍醐」といわれるように、醍醐寺は桜の花で有名です。
これは太閤豊臣秀吉が贅を尽くした「醍醐の花見」を、ここ醍醐寺で行なったことによります。

春の彼岸に憲深林苑で咲き始めるかわづ桜をかわきりに、しだれ、ソメイヨシノ、山桜、八重ザクラ、そして三宝院の大紅しだれと、金堂わきに大山桜が咲き終わるまで約3週間、醍醐寺では様々な桜が咲き誇ります。
訪れたのは4月16日、遅い桜がまだ咲いているかと淡い期待を抱いていましたが、今年はいつにも増して桜の開花が早く、すっかり葉桜になっていました。

醍醐寺は聖宝理源大師によって貞観16年(674)に開創されました。
伝承される多くの寺宝は国宝や重要文化財に指定されています。
その数は国宝41点、重要文化財63692点にものぼり、平成6年には世界文化遺産に登録されました。

境内は広く、とても全部は見ることができません。
駆け足で回った建物を載せておきます。


門跡寺院としての三宝院にあり、朝廷からの使者を迎える時だけに扉を開いたとされる門(勅使門)が唐門です。
創建時は門全体が黒の漆塗で、菊と桐の四つの大きな紋には金箔が施されていました。
平成22年7月、約1年半をかけ、往時の壮麗な姿に修復されました。
その大胆な意匠は、桃山時代の気風を今に伝えています。








現在の三宝院は大14世座主、勝覚僧正によって創建され、、醍醐寺座主の本坊的存在として、醍醐寺の中核を担ってきました。










これは勅使の間の外観です。









中には国宝や重要文化財の部屋や襖絵などがたくさんあります。
国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。
もちろん撮影禁止ですから、HPからお借りしてきました。









霊宝間の枝垂桜。この下で秀吉は花見をしたのでしょう。








三宝院を後にし、奥に進むと見えてきた仁王門は豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605)に再建したもの。
仁王像が安置されています。









金堂は国宝で、醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。
当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。
現在の金堂は豊臣秀吉の命によって、紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。
この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。








国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。









清瀧宮本殿は、醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。
現在の社殿は永正14年(1517)に再建されました。




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