御廟橋の下を流れる川には、水難事故や難産でこの世を去った人々の霊を水で清め追善供養するために、卒塔婆(そとうば)が立てられています。
御廟橋から先は「撮影、飲食、喫煙禁止です」とガイドさんに言われ、ここから先の写真はありません。
(HPから御廟橋の写真をお借りしました。)
この橋を渡るといよいよ弘法大師御廟への聖域に入ります。
見えてきたのが灯籠堂です。
(画像はHPからお借りしました。)
堂の中には全国の信者から献ぜられた万燈が堂を埋めて、幽玄な趣があります。
(パンフレットを撮りました。)
堂内を1周してから地下に入り、弘法大師がご入定された場所でお参りしたと記憶しています。
堂の外に出て御廟橋をあとにして、来る時とは違う道を進みました。
水向け地蔵が並んでいらっしゃいます。
頌徳殿(しょうとくでん)は大正4年(1915年)、高野山開創1100年の記念事業として建立された、高野山で数少ない大正時代の建築物です。
参拝の人々の休憩所になっています。
無縁塚にはピラミッドのようにたくさんの仏様をお祀りしています。
御廟橋から先は「撮影、飲食、喫煙禁止です」とガイドさんに言われ、ここから先の写真はありません。
(HPから御廟橋の写真をお借りしました。)
この橋を渡るといよいよ弘法大師御廟への聖域に入ります。
見えてきたのが灯籠堂です。
(画像はHPからお借りしました。)
堂の中には全国の信者から献ぜられた万燈が堂を埋めて、幽玄な趣があります。
(パンフレットを撮りました。)
堂内を1周してから地下に入り、弘法大師がご入定された場所でお参りしたと記憶しています。
堂の外に出て御廟橋をあとにして、来る時とは違う道を進みました。
水向け地蔵が並んでいらっしゃいます。
頌徳殿(しょうとくでん)は大正4年(1915年)、高野山開創1100年の記念事業として建立された、高野山で数少ない大正時代の建築物です。
参拝の人々の休憩所になっています。
無縁塚にはピラミッドのようにたくさんの仏様をお祀りしています。