台湾回顧録(その2)
昼間は昼間で効きすぎた冷房の入った部屋で、二日酔いを押さえ込むために、ポット一本をデスクの横において烏龍茶を飲みまくりながら、ひたすらお仕事。
仕事は限られた時間で山ほどあったのだが、夕方も4時を過ぎると、出発?の時間が指定されてしまうので、こちらも必死だ。
「たーさん、今日は5時20分に迎えが来るからね。用意しといて。」
「はあ、頑張ります。」
食事は台北に戻る道すがらで。
今日は、円山ホテルの近くにある、ごくごくフツウの中華料理屋でとる。
「うまい!」
相変わらず、ビールは生ぬるいけれども、料理がものすごくおいしい。油もそんなに多くなく、さっぱりとした味付け、青菜もにんにくがあまり入っておらず、すっきりと食べられる。
「これあ・・・。」
「どうだい?たーさん。これなら食べられるだろ?」
「ええ、こんな味付けだったら、なんぼでも。」
「俺もこっちに来た当時は同じだった。何も喉を通らなくて、家に戻ってご飯と梅干と日本茶の生活だったんだよ。」
「へえ。」
「CTのZ董事長は知ってるんだろ?」
「ええ、よく知ってます。親父さんにもご馳走になったりして。」
「俺がそんな状態だったときに世話をしてくれたのが、Zさん一家だったんだ。」
「そうなんですか。」
I氏は中国語はペラペラ、現場や取引先からの信頼も厚く、もともとの風貌が中国人に見えることもあって、そんな苦労をしていたなんてのは全く知らなかった。というよりも溶け込んでしまっていたと思っていたのに。
「そんなことどももあって、たーさんが来るときにお土産何がいいですか?って聞かれたでしょ。その時梅干って言ったじゃない。当時のことを思い出すんだよ。ああ、この梅干はたーさんが持ってってください。って言ってくれた奴だなあ。ってね。助かったよ、あの頃は。そのあとも送ってくれてたろ?」
「それなら、どんどん送ったのに。」
「ははは、そろそろ届くかなあ?忘れられたかなあ?って思い始めた頃にポンと、たーさんから届くんだよ。それも楽しみでね。」
「そう言っていただくと、送った甲斐があります。結構凝ってしまって、いろんなのを送りましたよね?」
「ああ、普段さっぱりと食べるのはかつお梅がおいしかったなあ・・・。調子が悪い時には、酸っぱいやつね。」
「かつお梅のは覚えてますよ。結構探し回った逸品だったんで。」
「実際うまかった。」
I氏が台湾に移ってから2年、3年と経つうちに、段々と連絡が途絶えて行く中で、不定期とはいえ、思い出したら梅干を送っていた僕をずーっと覚えていてくれたらしい。
「なあ、たーさん。いつでも何でも言ってくれよ。力になれることは全てやる。」
「そう言っていただけると助かります。」
「俺だけじゃあないぞ。この梅干の話は俺の仲間うちでは有名な話でな。うちのGがいるだろ?あいつなんか、日本もそういうのが残っているんですねって、涙を流したくらいだ。だから、俺の仲間は100%たーさんには協力するよ。」
「有難うございます。」
「はは、すっかりしんみりしちゃったな。さあ、今日も楽しく飲みに行こう。」
I氏&カンパニーの皆さん。
今でも、困ったときのI氏頼みは変わっておらず、時折梅干をかかえて今は中国にいるI氏を訪ねています。
ご訪問有難うございます。
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確かにこういったことは、以前たくさんあったようです。が、まさか自身が主人公になるとは思ってもみませんでした。団塊の世代の、さらに先輩方には何故か、可愛がられています。