台湾回顧録(その1)
昔々の物語。
最初に仕事で台湾に行ったのは、桃園。
今はあるのかどうか、わからないけれど、プール付きのホリデイ・インが。
週末はのんびりして来いよ。と間抜けなことにしっかり水着を持っていったところ、肝心のプールは葉っぱだらけで、誰も泳いでいない。JTBの指定ホテルだったので、マネージャーに文句を言ったところ、値段を下げてくれたっけ。
駅前とはいえ、他には何もないし、しかも中国語もわからず。外にでても英語は通じない。
しかも、先方と行くのは中華料理ばかりで(あたりまえか)当時のあっしはといえば、好き嫌いというよりも、ご他聞にもれず、油と水で胃をやられてしまい、食べられるものといえば、炒飯か焼麺だけという始末。
日増しに弱っていく僕を見て気の毒に思ったのか、1週間を経過したところで、台北市内に移動させてくれた。
林森北路とのお付き合いはこの日から。
日本にいた時から懇意にしていただいていたI氏は今では台湾に工場を構えて手広くやっていて、
「台北に移ったんなら、飲みに行こう!」と誘っていただいた。
「台湾は美人が多いから、気をつけろよ。」
と、諸先輩がたから言われていたのだけれど・・・、
連れて行っていただいたのは、林森北路でも珍しいカラオケのないお店。
(ここのママとはそれ以来の付き合いとなるのだが)
ママと、I氏の計らいで、中国語の出来ない僕に、中国語教師としてつけてくれた○子さん。
「たーさん、今日で挨拶から、受け答えまではマスターしとけよ。明日からどんどん中国語で行くぞ。」
この時には、意味がわからなかったが、すぐにわかるようになる。
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