元々、公明党という宗教政党が存在すること自体、日本の政界の、と言うより、国民の政治意識の不思議さを思わずにはいられない。
同党の「綱領」には、
「公明党は”生命・生活・生存”を最大に尊重する人間主義を貫き、人間・人類の幸福追求を目的とする、開かれた国民政党です」とある。
「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」のどこに、いわゆる「戦争法案」を推進する道理があると言うのか。
今、同党の現実政治に果たす「負の役割」に眉をひそめる人は少なくないと思う。
特に、安倍自民党が進める安保法制のお先棒を担ぎ、「憲法との整合性に祖語はない」とする(同党の)説明をきくに及んで、その違和感にゾッとしたのは小生だけだろうか。
こうした思いは、同党支持者の間にも広がりをみせているようで、この7・8日には、同党と創価学会に対して若いお母さんたちのグループが、「平和主義の原点に戻れ!」とサイレントデモをかけたと言う。

その際、警察が建物には近づくことを許さず、それぞれ30メートルほど手前でプラカードを掲げるにとどまったという。何やら官邸前での対応に似た風景と思った。


蛇足:同党綱領の別の項目では、
「われわれは、いかなる時代、いかなる社会にあっても、”大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく”との誓いを貫き、常に民衆の側に立つことを信条とします。われわれが内に求め、行動の規範とするのは、高い志と社会的正義感、モラル性、強い公的責任感、そして民衆への献身です」と述べている。
この立場と「戦争法案」を推進する現執行部の立場とどう整合するのか説明してもらいたいものだ。