アーバンライフの愉しみ

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第17回口頭弁論~泊原発廃炉訴訟

2016年05月18日 | ドラミング

昨日午後、札幌地裁805号法廷で第17回口頭弁論が行われた。

傍聴希望者80余人と多く抽選となったが、今回は運よく当たり籤を引き、傍聴することができた。

初めに、原告弁護団から基準地震動についての質問が出され、被告弁護団との間でやりとりがあったが、声が小さくほとんど聞き取れず、何が問題なのかよくわからなかった。

100人から収容できる大きな法廷なのだから、この点も考慮して審理して欲しいと思った。

次いで、原告弁護団が選任した川原Sさんによる意見陳述が行われた。要旨は、別項の通り。

この後、次回の日程調整があり閉廷となったが、この程度の審理をいつまで続けていても事態の進展にはつながらないのではとの思いを強くした。

陳述要旨

1.なぜ廃炉訴訟の原告となったのか

原告の一人であります川原(かわはら)と申します。
昨年まで北海道の高校の教員をしていましたが、現在は大学の教員です。1980年に高校の教員として最初に赴任した道北の下川町で、高レベル放射性廃棄物問題が起き、その反対運動に関わったことから、以後原発や核エネルギー問題に関心を持ってきました。

2011年3月11日に起きた東日本大震災とそれにともなって発生した東京電力福島第一原子力発電所の事故は、私の人生に大きな衝撃を与えました。1986年4月にチェルノブイリ原発事故が起きた後、高木仁三郎先生や広瀬隆氏の著作を読み、いつかこのような深刻な原発事故が日本でも起きるのではないか?と思っていました。

しかし、3・11の福島原発の事故によって、私は痛烈な後悔と反省の念を抱かざるを得ませんでした。それは、このような深刻な原発事故が起きるのではないかということを知っていながら、結局3・11まで、私は何もしてこなかったということでした。原発を作らせない運動にも動かさない運動にも参加することなく、せいぜい署名活動に協力するくらいでした。

なによりも、高校の教師でありながら、自分が教えている生徒たちに、自分が知っていたことをしっかりと伝えてこなかったのでした。3・11以後、私は、まず目の前の生徒たちに自分が知っていることをしっかりと伝えようと思いました。そして、さらに日本の全ての原発を止め、廃炉にするための具体的なアクションに積極的に参加しようと決意しました。そのような思いから、この裁判の原告にも名前を連ねさせて頂いています。


2.福島の避難区域を訪れて見てきた原発事故後の実態

2011年の5月から、自分が教えている生徒たちだけではなく、広く一般の市民に向けての「原発出前授業」というものを始めました。これは、原発のしくみや福島原発事故の経過、放射能や核エネルギーの様々な問題について、市民に向けてわかりやすく面白く伝えるという講演会ですが、今年の5月ですでに350回を超えました。当初は原発や放射能についての授業が中心でしたが、2013年からは毎年福島県を訪れて、私自身が直接自分の目で見た被災地や避難区域の実態や、地元の住民の方々から直接お話を伺って聞いてきたことなどを、私の「原発出前授業」の中で紹介させて頂いています。

最初に福島県を訪れたのは原発事故から2年経った2013年の3月でしたが、広範囲にわたって避難区域が指定され16万人もの住民が避難を余儀なくされていました。沿岸地域にはまだあちこちに破壊された家屋や流された車、がれきなどが散乱していました。

なぜ2年経っても片付けられないのかと聞くと、これらすべてが放射能に汚染されている放射性廃棄物なので簡単に処理することが出来ないからということでした。もうひとつ驚いたのは、福島県内のどこの道を走っていても、道路沿いのあちこちに除染によって放射性廃棄物が詰められた黒い袋(フレコンバッグ)が積み上げられた異様な光景でした。それは、人が住んでいない避難区域だけでなく、多くの人が住み続けている市街地の中のあちこちにも積まれていたのでした。このようなフレコンバッグは、いずれ各自治体の「仮置き場」か、最終的には「中間貯蔵施設」に持っていかれる予定だとされています。それまでの間の「仮仮置き場」としてそこに置かれているというのですが、5年経ったいまでも、いまだ福島県内のあちこちの「仮仮置き場jに大量に積まれたままになっています。

昨年、福島第一原発からわずか数キロの浪江町に入ってみました。巨大津波に襲われた請戸地区にはまだ津波の傷跡があちこちに残っていました。一方、駅前の市街地の方は津波の被害を免れたものの、いまだに避難指示が解除されず全くの無人の街(ゴーストタウン)となり、地震で崩れた商店街の建物はそのままになっていました。


3.原発事故は「人格権」の侵害であり、憲法違反です

福島第一原発の事故から5年の月日が経っているのに、いまだに9万人以上もの避難者が、そこで生まれ育ち、そこで働き生活をしていた「ふるさと」に戻ることが出来ないでいるのです。原発事故は、大量の放射性物質によって環境を汚染し破壊するだけでなく、そこに住んでいる人々の土地・家・仕事・生活・人生をも根こそぎ奪ってしまうのです。仮設住宅にはいまだ2万人ちかくの人々が暮らしていますが、劣悪な住環境の下、長期化する避難生活で体調を崩したり、ストレスで心を病む人も増えているそうです。

このような人たちに、憲法第25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」は保障されているのでしょうか。「ふるさと」を奪われ、いまだ戻ることもできない避難区域の住民にとっては、憲法第22条に書かれている「居住・移転の自由」も、第29条の「財産権」も、まったく保障されていないのではないでしょうか。

浪江町の馬場有町長は、「憲法第13条に謳われている、幸せになる権利は、私どもにはないのか」と述べられていますが、およそ日本国民であれば憲法上、最大限尊重されるべき個人の生命、自由及び幸福追求に対する権利が、福島県の放射能汚染地域から避難を余儀無くされている人々にはまったく保障されていないのではないでしょうか。これは、あきらかな「人格権」の侵害であるといえるでしょう。このような「人格権」を侵害する具体的な危険を生じさせる原発事故は、万が一にも、この国で再び生じさせてはならないと思います。そのためには、現在日本にある全ての原発は再稼働させるべきではなく、泊原発をはじめとする全ての原発はすみやかに廃炉にむけての措置をとるべきであると考えます。

賢明なる裁判官におかれましては、このような福島第一原発事故がもたらした未曾有な環境破壊と地域住民に対する人権侵害の実態をしっかりと認識された上で、日本国憲法と法令に基づき、法の番人としての厳格かつ公正な判断を下されることをお願いして私の意見陳述を終わらせて頂きます。 

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