数年前に買って、
全く読んでいなかった(そういう本がいっぱいあるんだが、)
義経の北方伝説の本を読み始めた。
皆様知っての通り、
歴史上では奥州で自害している事になっているのだが、
岩手~青森には義経所縁のエピソードが多い。
義経を祭った、判官神社も多数ある。
史実と違う事もある。
でも、
我々が歴史の教科書としている吾妻鏡自体が、
本当に正しいのかどうか。
四代当主泰衡が、
頼朝のプレッシャーに負けて義経を追い込んだとされているが、
実は、身代わりを立て、
こっそりと逃がしていたのだ、
という空想から義経北方伝説は始まる。
義経が訪れた土地の記録には、
義経自害の前の年に来ていた事になっている物もある。
年号の間違いか、
それとも、
実は前年に逃走経路の下見に来ていたのか。
現存する神社や住居跡、記録等がこんなにも沢山ある。
もし、たら、れば。
それだけでは語り尽くされない事実が、
見え隠れする。
読書の秋に如何?
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