雪の季節になってから、
家を出る時間を、当然ながら早めていた。
夏場は、
(つうても、今の会社に勤め出したのは随分涼しくなってだが、)
7時半位に出てた。
この冬場は5~10位、早めに出る。
時刻にして、7時25分位ななんだろうが、
家を出てすぐのバス停に市営バスがくる。
なもんで、
余程遅れて出ない限り、
バス停の前に立つバス待ちの人を見る事になる。
年が明けてから気が付いたのだが、
長身の女性が立っている。
スリムな体形は、上着を着込んでいても、
遠くから良く判る。
断って置くが、
別に彼女に、恋心を抱いたとか、
そういう訳では無い。
遠目にしか見えんが、
然程、美人と謂う訳では・・・(自主規制
いつもの時間、
いつもの場所に、
その人が、居るという事だ。
なんつうかな、
今朝もまた、変わらぬ日常が始まるのだ、と。
バスを待つというのは、
恐らく、日常の事。
自分も、日常の事として出勤してる訳だが、
自分の事って自分で計れない。
彼女の姿を見つける事が、
日常と謂うのモノが、
例え私という存在を差し置いていたとしても、
今日も確実に動き出している。
そんな現実を認識させてくれる。
難しいか?
私はね、
多分、自分の存在を「空」と位置付けてるんだろう。
般若心経で謂う処の、「空」だ。
そんな訳で、
自分の存在を、誰か対象者を見つける事で、
認めるのだ、と。
もっと、難しかったな。
まあ、
簡単に言うとだな、
貴方が居てからこそ、
ようやく私が存在するのだよ。
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