昼過ぎまでTVの前にいた。
上村愛子は残念だった。
なんだか、泣きそうになった。
思いってのは、形にならないものだ。
そういうものだ。
確実なモノって、
確実に其処にあるものだが、
そうでないモノに立ち向かうって事は、
なんだろうな。
御叱りを受けるかもしれないが、
昨今の若者の、
「私はやればできる子だから!」
の類の、何の根拠もない自信ってのは、何だ?
自信ってのは、
今迄やってきた事に裏付けられる以外の、何物でも無い。
それが、実績で無くても、
それに立ち向かった事の苦痛の上に成り立っている。
そう、
痛みを伴ったモノ以外は、信じてはならない。
今迄出来なかったモノは、
これからも出来ない。
それが、当たり前なのだ。
その身を刻む様な苦痛を、
自ら臨んで立ち向かったか?
その先に、
何か見えたか?
限界を超えるって言葉の意味を、
血を流しながら、感じたか?
人として、
その過程で大きなものを背負う。
背負う事が、自分の存在意義。
だから、
結果を証明しなくては、ならない。
なんとかなるさ、
なんとかしなきゃ、ならないのさ。
そんな、
口先のモノが、何を動かすと云うのだ。
上村愛子にしてみれば、
背負ったものが大き過ぎた。
それに、応える事は出来ただろう。
しかし、
自分の為には、滑れたのだろうか?
戦えば戦うほど、
何かに殉じていかなくてならない宿命。
でも、それが自分の全て。
自分の存在意義だと受け止めなくてはならない、
諦めにも似た、孤独。
そんな哀しさを、
TVの画面から感じたのさ。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます