改めまして、
あけましておめでとうございます。
皆様、
どの様なお正月をお過ごしになられていますでしょうか。
今朝は割りと早く起きました。
ええ、
昨夜は早くに酔っぱらいましてね、
除夜の鐘や花火の音を夢現の中で聴いていたと思います。
昨夜の残りのすき焼きなんかを温め直しましてね、
ビールですよ。
TVなんか観てましてね、
ズームインの正月版。
B級グルメのリポートなんか。
成る程、横手焼きそばはB級グルメだろう。
素材や風俗に囚われる事無く、
そんなに古くからでは無く、市井の中で広まっただろう。
故に(確かめた訳では無いが)、少し地域をずらせば、
そんなにポピュラーではないかもしれない。
なんで、こんな事を言うかといえば、
八戸の煎餅汁の紹介の件で、
「B級グルメ発祥の地・・・・」
と紹介された点でだ。
少なくとも、煎餅汁はB級では無い。
郷土料理である。
私なりの解釈だが、
B級~は、食文化というよりは、
駄菓子文化のスピンアウトだと思う。
屋台で提供されるファーストフードである。
多少、地元文化風俗に興味を持つ私に言わせれば、
煎餅汁は郷土料理な訳だ。
真剣に煎餅汁のルーツを紐解いたことは無いが、
県南地方の歴史から考察するに、
所謂南部藩は、土地が痩せていた。
広大な領地とは裏腹に石高は少なかった。
藩主は、八戸よりは盛岡寄りに住まう事が多く、
県南の事情を肌で感じて無かったかもしれない。
津軽藩は「津軽十万石」と言われながらも、
実際はその倍近い石高だったと言われている。
江戸時代に何度か訪れた飢饉を除けば、
豊かな食文化を形成していた筈だ。
それに対して、南部藩では「ひっつみ」や「ひえめし」等の
雑穀を使ったものが郷土料理として残る。
比較的、冷害や飢饉に強い、蕎麦やひえ・あわを生産していたからであろう。
年貢に回ってしまう米は、民衆の手元には多くは残らない。
故に、雑穀を上手く食生活に取り入れていただろう。
煎餅汁のレシピをみるにつけても、
現在では煎餅汁専用の煎餅がある様だが、
実際は、生産過程で出たロスの部分や、廃棄される寸前のもの、
古くなってしまったものが使用されたのではないかと思う。
私の母の実家が現おいらせ町なのだが、
幼少の頃(であるから、随分と昔の話だ)、
煎餅汁を食したことがあるが、その時入っていたのは、
普通の胡麻煎餅だった様に思える。
TVでは、「肉や魚の出汁に・・・・」なんて紹介していたが、
実際は鶏ではないだろうか。
鍋的には、雑煮のそれに近いと思う。
貴重な米の代わりに煎餅が使われたと思われる。
蕎麦粉を使った「ひっつみ」、粥に雑穀を多く使った「ひえめし」と同じ、
米の代替メニューであった筈だ。
藩政と当時の風俗を歴史的に裏付ける貴重な文化遺産と云えないだろうか。
県内の小学校卒の皆様ご存知の新渡戸一族の三本木原開拓も、
江戸時代の終わりに近い。
この様な食文化はつい最近まで続いていた筈だ。
それが、
B級~等とは・・・・・・
それでも、
南部では町興しに役立っているか。
しかしながら、
これだけの文化遺産をB級としてしまうのは、
いささか勿体無い。
というか、歴史や風俗に対するボウトク、
こうした多様な食文化で子孫に命を繋いできた、
ご先祖様に申し訳が無い、
と、
津軽人の私が思ってしまう訳さ。
正月早々、クドイって?
へへ、
今年も相も変らぬ、私ですよ。
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