青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

梅雨の中休み

2020-06-20 | 日記

晴天ながらも風が心地よく、梅雨の中休みと言うよりも、まるで秋。

自然界には新型コロナなんか、どこ吹く風・・。ウイルスは人間界の人災のように感じます。

夕闇迫るトワイライトゾーンが、毎日のお気に入りの時間になりました。

身体を動かすことが気持ちよく、心落ち着く大切な時間に昇格です。

ちょっと、キングギドラにも似た雲です。(笑)

 


自動販売機マスコット

2020-06-15 | ぶらり散歩

街で見かけた変なやつ!

自動販売機で売っていた、小さなフィギュアたち。

「氷河期の僧侶」と「モアイ・ア・ラ・モード」です。見てるだけで笑いましたが、買うには至りませんでした。アイデアも笑えるけど、ヒットしたのかどうかが気になります。

 

 


これから成功する若者

2020-06-10 | 今を考える

アフターコロナ社会で、これまであったもので無くなるものが、沢山あると思います。

でも、今日発見したのは、本当に駄目駄目な「飛び込み営業」でした。

いつもなら春先に行われる、「新入社員」の「訓練」を兼ねて行われる飛込営業。これが昨日、今日と3件もありました。ピンポ~ンとインターフォンが鳴るので出ると、「すみません、●●です。研修の一環でご挨拶に回っています。」

言葉使いアウト、「研修」って言っていること自体がアウト。社内的には「研修」だと言ってやらせているのかも知れませんが、対外的には「営業」です。勿論会社だって、成果を期待していなくても、遊ばせている訳ではない。真剣に営業をかけていない挨拶周りに、なぜ僕が相手をしてやらないといけないのか?どこにある、どんな会社かも分からないのに・・。

そして、マスクも着けていない!

マスクも無しで、突然訪問し、もし相手をしてくれる人がいたら話をするつもりなのか?インターフォンのボタンだって、触って欲しくない。

僕が親なら、「今日こういうことをしたよ」と聞いた時点で、こんな将来性の無い会社は辞めさせます。訓練の仕方も指導の仕方も分かっていない会社だからです。長く続く会社は、「人」が揃っています。後輩を育成出来ない、時代を読めない会社は滅びるしかない、厳しい時代に既に突入しているのです。

テレワークという仕事のやり方を導入しようとするのなら、余計に言葉で人の心を開く能力が必要です。人間関係を構築できない人には、難しい仕事のやり方です。テレアポとは違うのですから。

「儲ける」とは、人がモノを言うと書きます。

これからの世の中、本当にコミュニケーション能力や、英語などの語学力を持ち、自分が会社の看板を借りて仕事をしているという感覚の持ち主でないと、成功するのは難しいと思います。

 


カセットテープと “ インスタント・レタリング ”

2020-06-05 | こんな「モノ」ありました!

昔、昔、レコードが高価で、なかなか手が届かなかった青春時代、FM放送をエアチェックしたり、レンタルレコード店でレコードを借り、カセットテープに録音したものでした。

そうやって作った大切なカセットテープのケースには、アーティストの写真を入れ、インディックスカードの背ラベルには、インレタを使って綺麗な文字を入れたものでした。

インスタント・レタリング。値段も高かったし、よく使われる文字から無くなって行くので、逆に全く無くならない文字も多かったですね。

英語の場合、アルファベットで1番多く使われるのは、“e”だと言われています。

シャーロック・ホームズの「踊る人形」では、いろいろな姿の人形がいくつも並んだ暗号が登場し、それを解読する時、1番多く登場する人形を“e”だと、ホームズは推理しました。

インスタント・レタリング、懐かしい・・・と思う方がいらっしゃったら、とても嬉しいです!


神戸・エキゾチックタウン

2020-06-01 | 昭和・懐かしい京阪神の風景

僕は、1980年代後半から90年代初頭にかけて、よく神戸へドライブに行きました。その中でもよく行ったのがポート・アイランドです。人生初のドライブ・イン・シアターもここで経験しました。

この地図は1992年当時の地図です。今とは違い、まだポートピアランドがありました。逆に「神戸どうぶつ王国」も、その前身の「花鳥園」もまだありません。神戸が誇る「救急救命センター」のある市民病院の位置も、今とは違います。この地図の街と現在の街が大きく違うのは、阪神大震災のせいです。

ポートアイランドにはお休みごとに家族連れで賑わう、バンドールエキゾチックタウン店と(1984年6月~1995年1月17日)と、レストランビルエキゾチックタウン(1984年8月~1995年1月17日)がありました。前者はアメリカのように、巨大なショッピングセンターでした。後者はレストラン施設。閉店の日付でお分かりのように、震災によって閉店となりました。

エキゾチックタウンは、外観は殺風景ですが、中はおとぎの国のようで、3階まで吹き抜けになった回廊式の作りで、4つのレストランコーナーと、パーティ会場がありました。1階のステーキハウスは260席の大スペースで、夜はライブステージもありました。シーフード&バーベキューレストランやお好み焼き屋もあり、3階のパーティ会場はアラビア調・ウエスタン調など9つの部屋がありました。本当に懐かしい。

エキゾチックタウンの建物は、震災後も長く、2009年(平成21年)7月に神戸市との土地貸借契約が満了を迎えるまで、無人状態で存在していました。そして同年8月に解体されました。震災から解体まで、廃墟として存在していたのが寂しかったことを覚えています。