青春タイムトラベル ~ 昭和の街角

昭和・平成 ~良き時代の「街の景色」がここにあります。

曽根 ~「西の芦屋、東の曽根」と呼ばれた町!

2022-01-10 | 昭和・懐かしい北摂の風景
豊中市民会館の写真を探していたら、昭和46年(1971年)の同じ日に、阪急宝塚線・曽根駅前を撮影した写真がありました。
 
 
この建築中のビルは、現在のダイエーです。今では駅高架工事も完了した曽根駅ですが、僕が子供の頃はこんな光景でした。まだ駅前のボーリング場もありません。曽根のダイエーが開店した時は、家族で買い物に行きました。4階の電気売り場では、カセットテープをよく買いました。エレベーターがいつも混雑していたので、当時とても幅が広く感じた階段を上り下りしたのを覚えています。
 
 
現在は駅が高架になっているので、昔の写真と同じ場所(線路の向こう)から、ダイエーを撮影することは出来ません。曽根の駅前も随分変わりました。駅前のロータリーはもっと綺麗になっており、逆にこのダイエーとボーリング場の辺りが、最も古い景色になったのかも知れません。
 
現在も駅前では歩道も広く、駅東側には岡町に至るまで大きな家が多い曽根。
 
実は今の駅前ロータリーの辺りには、戦争末期まで関西財界の名士や海軍の高級軍人がよく訪れた、「美食俱楽部」ならぬ、北大路魯山人設計による「大阪星岡茶寮」がありました。(昭和20年6月・豊中空襲で焼失)
 
茶寮の近辺には立派な石堀に囲まれた大邸宅が並び、曽根は「西の芦屋、東の曽根」とまで言われたそうです。


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