しげる牧師のブログ

聖書のことばから、エッセイを書いています。
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朝の露 <あなたを守る主>

2022-01-24 | 詩篇

「主は すべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。」(詩篇121:7新改訳)

この詩篇もあらゆる時代の信仰者から愛唱されて来た。雄大な天地宇宙を仰ぎながら、神の愛顧と御手の偉大さをほめたたえているところにその理由があると思う。▼使徒パウロも同じ感動をもって神の御手のすばらしさを記す。「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28同)▼天地創造の神を見上げ、神羅万象をよく見つめている者は、神の御手が人の理解をはるかに超越した次元において全被造物に及び、それを統御支配していることを否定できなくなるのである。にもかかわらず、あえて神の実在と御支配を否定し、傲然と生を送ろうとすれば、次々と押し寄せる矛盾の波に呑まれ、ついにはわれとわが身を滅ぼすしかない。そのようにして滅びて行った魂のなんと多いことであろう。だから「我に来よ」と神は今も呼びかけたもう。

私の住む所には高さ数百メートル級の山々がたくさんあり、毎日それらを見ながら暮らしている。そんなとき、ふと思う。もしこの山の一つでも人間が作るとしたら、莫大な労力を必要とするだろう、と。▼しかもブルドーザーとトラックで何万トンの土砂を積み上げても、百年ともたないでくずれるであろう。だが目の前の山々は何百年、いやそれ以上の年月にわたり、そびえているのだ。それに比べ、人が作った大都市のビル群など、じつに「ちゃち」なものだ。私は神の力と人の力の圧倒的な差を毎日感じながら過ごしている。▼詩人は山から目をさらに雄大な天地宇宙に転じる。その桁違いの力に感動しつつ、その全能者が自分のように無きに等しい者を愛し、守っていて下さることを賛美しているのである。そこで私たちもダビデと一緒になって歌おうではないか。「あなたの指のわざである あなたの天 あなたが整えられた月や星を見るに 人とは何ものなのでしょう。あなたが心に留められるとは。人の子とはいったい何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」(詩篇8:3,4同)