えしぇ蔵日記

えしぇ蔵日記のブログ版です。

うきは

2008年05月31日 | Weblog
今日の午後は飯塚から夜須町、朝倉を抜けてうきはの「ル・シュクル」さんへ。ケーキの撮影の続き。相変わらずお客さんは多い様子。「ル・シュクル」さんの味がうきはの人に受け入れられたことはなんか自分のことのように嬉しい。でも過労ぎみの林田さん御夫妻が心配。
 
うきはから雷山へ移動。「
雷山千如寺」さんへ。今日は千如寺さんにある茶室を初めて見せて頂いた。先代がお茶の世界が好きだったらしく、素晴らしい茶室だった。ここで茶会があれば是非参加したい。
 
えしぇ蔵文学修行の旅は4ヶ月経過。今月終わったのは以下の8冊。
 
「牧野信一/梶井基次郎」、「川端康成(1)」、「川端康成(2)」、「井伏鱒二」、「小林多喜二/徳永直」、「葉山嘉樹/黒島伝治/伊藤永之介」、「林芙美子」、「大岡昇平」
 
52冊終了、あと36冊。
 
「うきは」
 
やはらかき
麦の穂ゆれて
うきはまち
 
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ななたろー

2008年05月30日 | Weblog
午前中は「ブライダルミュージアム ビッビ」さんに顔を出した後、西日本シティ銀行にちょっと寄ってから一路大野城へ。「Rプランニング」さんにお邪魔し、最後は「質みよし」さんで着物の撮影。
 
質みよし」さんで領収書を書いてる時にふと顔を上げると、社長がいるかと思いきやなんと!なつかしのななたろーがいた!もともとななたろーは「質みよし」さんの親戚で、ワシはななたろーのおかげでここに出入りできるようになったのだ。いやそれにしても懐かしい。全く変わってなかった。「九州外語専門学校」さんでななたろーたちが活躍してたのはいつ頃だったかなと過去の日記をたどってみると、2004年の9月10月11月頃だった。読み返してみるとわれながら面白い。学校行ってた頃はなんか毎日盛り上がってたなぁ。死ぬ時にはこの頃のことは必ず思いだすやろうな。ミスターイトー元気かな?
 
「白髪」
 
教え子の
変わらぬ若さ
うらやみて
鬢の白髪の
数へ尽くさず
 
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ドラゴンボールのパンツ

2008年05月28日 | Weblog
「新郷商会」さん、「三開発」さん、「オアシス珈琲」さんとまわって、最後は古賀の新規のお客さんを訪問し、ホームページリニューアルに関する打ち合わせをした。夕方からの大雨の前には帰宅。
 
三開発」さんで作業してると奥さんが何か言いたげだがわざとじーっと黙っている様子だったので訊いてみた。
 
ワシ: 「どうしたんですか?」
奥さん: 「しゃべると日記に書かれるきぃ(笑)」
ワシ: 「そんなこと言わずなんかネタを下さい(笑)」
奥さん: 「こないだですね、(←早速!)社長が『太田自動車鈑金』の太田さんたちとお風呂入りに行ったんですよ」
ワシ: 「はい」
奥さん: 「それで私が着替えを準備して持たせたんですよ。そしたら社長が風呂から電話してきてですね、『お前ねぇ、ドラゴンボールのパンツはねぇやろ?』て言われたんです」
ワシ: 「あはははは!」
奥さん: 「私が間違えてですね、一番下の子のパンツを入れちょったとです。電話の後ろでみんながゲラゲラ笑うとが聞こえるとです(笑)」

さすが奥さんだなぁ。
 
「パンツ」
 
おやじはく
ドラゴンボールの
パンツかな
 
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知恵の輪

2008年05月27日 | Weblog

やっぱDream Theaterはいいなぁ。聞いてるほうもついていけない複雑なリズムがたまらない。コンサートで正確に手拍子するのは至難の業だな。
 
ウイルホーム」さんに行ったら社長に知恵の輪を渡された。この知能指数の低いワシに知恵の輪をしろと!暗算が苦手でいつもケラケラ姫に笑われるワシに知恵の輪をしろと!社長がホイホイと簡単に外してたからワシも頑張ってみた。なんとか外せたけどやっぱり時間かかった。我が家はおやじを筆頭に爺さんもひい爺さんも兄貴も叔父さんも頭がいいのにワシだけそれをもらわなかった。クイズを解くのもいつも人より遅い。なんでやっかぁ?推理小説だけは書くべきではないな。
 
住まいのイシダ」さん、「東部ハウジング」さん、「やひめ」の橋本社長宅と訪問して帰宅。橋本社長宅では奥さんが次から次におやつを出してきてくれたのでおやつで満腹。しかも帰りにお土産どっさり。奥さんは姫がお気に入りなので「遊びに来るように伝えて下さい」と言われた。なんだかもうほんとに恐縮しまくり。(奥さん、ありがとうございました。)
 
「ため息」
 
ひとつまた
ため息もらす
五月かな
 

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隕石と周恩来

2008年05月26日 | えしぇ蔵的歴史探訪
旅の疲れをとるために「中国鍼灸院」さんにお邪魔した。呉先生がパソコンでプリントアウトしたものを見せるので何かと思えば、なんと!呉先生が書いた「えしぇ蔵日記」だった。
 
呉先生: 「はい。今日の日記」
ワシ: 「すごい(笑)。書き方までちゃんと真似してるし」
呉先生: 「今日は日記書かなくてもいいネ」
ワシ: 「はい。楽です」
 
その呉先生が書いた「えしぇ蔵日記」を以下に公開。


「隕石と周恩来」
 
健康のため、まずは「中国鍼灸院」で充電。今日も不思議な話を聞いた。
 
呉先生: 「今日は隕石と周恩来の話ネ」
ワシ: 「はい」
呉先生: 「1976年、看護婦が毛沢東に新聞を読んであげたことがあったヨ。『1976年3月8日、隕石が中国東北部吉林に落下。最大のものは1770kgで石質隕石では世界最大。100kg以上のものが3個、0.5kg以上のものは100個を越え、範囲500kmにわたって落下』。ここで毛沢東は、『星隕人死』と言ったネ。看護婦は誰か死ぬと星が落ちるものなのか?と訊いたネ。毛沢東は、『天人合一。偉い人が生まれると地震があり、死ぬと隕石が落ちる』と答えたよ。中国の歴史には偉人と隕石の記録はたくさんあるヨ。三国志の孔明が死んだ時も五丈原に星が落ちたヨ。毛沢東は窓から星を見て亡くなったばかりの周恩来のことを考えたヨ。そして自分のことも・・・」
ワシ: 「へー」
呉先生: 「1976年に周恩来、朱徳、毛沢東の三人が逝世したヨ」
ワシ: 「そうなんですか」
呉先生: 「1976年7月28日に中国唐山大地震(マグニチュード7.8)があったのは、小平の改革解放や富民強国の案が誕生した年ネ」
ワシ: 「今回の四川大地震もなにかあるんですかね?」
呉先生: 「13億中華巨龍が起きて飛ぶ時は凄い地響きを伴うかもネ。この話を小説家神宮先生にお願いしましょうネ」
ワシ: 「えー!」

いわゆる隕石と偉人の伝説だな。おもしろいなぁ。
 
「周総理」
 
蜀相諸葛孔明死、(蜀の諸葛孔明死して)
人悲星落五丈原。(五丈原に星落ちて人悲しむ)
周恩来総理逝世、(周恩来総理死して)
隕石如雨涙若泉。(隕石は雨のごとし、人の涙は泉のごとし)


・・・先生すごすぎ。言い回しとかワシのリアクションとか、そっくりやん。でもワシならこんなすごい漢詩は書けない・・・。
 
コスモ不動産」さんの後、「福岡大手門」さんへ。幸恵さんのピアノ&声楽教室のブログが出来たので日記の書き方の説明をした。幸恵さんはなんと武蔵野音大でピアノと声楽を学んだというからすごい。華奢なのにどうしてオペラみたいな声が出せるのか不思議で訊いてみると、別に太ってなくてもトレーニング次第で出せるようになるらしい。いつか聞いてみたいやねぇ。
Tanaka Music School
 
「粕屋のお客さん」、「藤田」さんと訪問して今日はおしまい。まだ旅行の疲れが足に残ってる。
 
「残心」
 
身は勤め
心は京に
残しけり
 
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五月の京都 その3

2008年05月25日 | Weblog
「あずき屋」の朝は大正浪漫風の部屋で洋食。それもまたよしか。
 

 
チェックアウトの時間まで近くの「南禅寺」を見に行った。ここの山門から石川五衛門が「絶景かな」と言ったそうだが、そびえ立つその偉容を見ればそう言いたくなるのもわかる。ならばワシもと山門に登ろうとしたが、「500円也」。全く京都の寺の経済観念には感心する。あれ見るも銭、これ見るも銭。
 

 
純和風の世界の中にいきなり出現する煉瓦造りの水路。せっかくの景観を壊すかと思いきや、ローマの水道橋を模したという赤煉瓦の古びた造りが意外にマッチして不思議な雰囲気を出していた。これはこれでいいかもしれない。
 

 
ここのメインはなんと言っても「方丈。静かなる美は多くを語る。しばし時間を忘れて縁側に膝を抱えて無の境地。
 

 

 
宿をチェックアウトし、京都駅に荷物を預けた後、北野天満宮へ。ここで開催される骨董市は今回の重要な目的の一つ。姫は目を輝かせていた。ある人にはがらくたに過ぎないものが、ある人にはこの上ない宝物になる。がらくたの山から自分だけの宝物を探すのが骨董市の醍醐味。見比べて、値切って、楽しいやね。
 

 
お昼は「鳥岩楼」で親子丼。思ったより濃いめの味だったがさすがにレベルが高い。量も適度でご満悦。
 

 
午後の最初はパン屋「ハチハチ」へ。しかしまたなんでこんなところで?と思わせるような住宅街の奥の古い民家を改装して営業していた。いい仕事をしていればどんな場所だろうが関係ないということを実証していた。たいしたもんだ。
 

 
次は唐紙の「唐長」で時代に左右されないセンスを、お香の「リスン」でバラエティ豊かな香りの世界を見た。
 

 
最後は「錦市場」で買い物、「ソワレ」でお茶してから京都駅へ。
こうして二回目の京都探訪は終了。今回でだいぶ土地勘も掴んだ。あぁ早くこの街を最も多く旅した街にしたい。
 
「京の街」
 
知り尽くし
食い尽くしたし
京の街
 
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五月の京都 その2

2008年05月24日 | Weblog
旅行先でも早起きはかわらない。朝食まで時間があるので近くの京都御所まで散歩した。幕末の騒乱の頃、御所を襲う長州と、守る桑名、会津、薩摩の連合軍の間に戦闘があった蛤御門を見上げてまた感慨一潮。門のあちこちに残る弾痕に指を触れて新しい日本の夜明けを探りつつ逝った人々のさ迷う魂を感じた。
 

 
宿の朝食は純和風。正しい日本の朝の食卓を見るようだった。思わず食べ過ぎてしまうのも避けがたきかなだ。
 

 
宿を後にしてまずは歩いてすぐの二条城へ。姫はその間お買い物。たまには別行動も気楽でいいもんだ。一人旅のつもりでツアー客に混じった。それにしても修学旅行の団体の多いこと!引率の先生の説明を後ろで盗み聞き。ふむふむなるほど。
家康と秀頼が会見した間、慶喜が諸大名に大政奉還を宣言した間ではまたしても感動の戦慄が走った。あの歴史の名シーンの舞台を目の当たりにするとさすがに言葉もなかった。
 

 
姫と合流し、今日の宿「あずき屋」に荷物を預け、霊山歴史博物館へ。幕末の史料を見学し、龍馬の墓を見た。雨に濡れる墓碑の周りにたくさんの参拝者の書き残した言葉があった。この人の存在は日本をかえただけではなく、その生き様をもって後世に生きるものに大いなる指標を示したと思う。省みて背筋が伸びる思い。日本の男たるものかくあるべきだな。
 

 
豆菓子や最中を買いながらぶらぶらと歩いて、昼は「おかる」でうどんを食べた。お腹を満たした後は文具の「裏具」、日本刀の「京刀」を覗いた。あらゆる店があらゆる場所で本物を商っている。買い物が楽しい町だ。
 

 

 
一乗寺に移動してからは古本屋巡り。これまた京都の醍醐味。あっちを覗きこっちを覗き。古本を漁るだけの目的で滞在してもいいなと思った。
 
カフェ「猫町」にてしばらく休憩した後は、「末廣」に移動。あなご寿司やいそ巻きの聞きしにまさるうまさに絶句。しかしこれだけ名店が多いなら京都にグルメサイトは不要か?
 

 
今日の宿「あずき屋」も町屋造りで「布屋」同様一日二組限定なので予約がとりにくい。二泊する場合この二軒をセットにする客は少なくないらしい。そして驚いたことに昨日「布屋」に泊まったもう一組の人たちと今日また「あずき屋」で一緒になった。これには宿の人も「こんなこともあんねんなぁ」と驚いていた。すごい偶然。
 
「二条城」
 
慶喜の
憂き陰をもて
歩みける
うぐいすばりの
音は変わらず
 
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五月の京都 その1

2008年05月23日 | Weblog
朝8時の新幹線に乗り、昼前に京都に着いた。一日目の宿「布屋」に荷物を置きに行く途中、「ふうか」に寄ってふまんじゅうを食べた。おそらく今までのワシらのふまんじゅう史上もっとも美味だったのではなかろうか。京都で本物を見つけるのは容易だ。
 

 
というわけでワシらの「12ヶ月全ての京都を楽しむ」企画第2回目の始まり。今年は5月の京都をゆく蔵と姫。
「布屋」は古い町屋を改装した宿で、京都の受け継がれゆく伝統そのままを体感できるたたずまいがたまらない。これぞ高級ホテルでは得られない日本の宿の醍醐味。半年以上前から予約がいっぱいだそうだからやはり皆求めるところは同じか。全く日本人でよかった。
 

 
さてまずは腹ごしらえから。河原町にある「鴨川カフェ」でランチ。最近ありがちのスタイルだがお味は高級フレンチの一品のように素晴らしい出来映え。さすが姫セレクトにはずれはない。
 
その後は食べた直後にもかかわらず、すぐ近くのパン屋「ほほえみ」でパンを買い、鴨川べりで大文字山を眺めながらかじった。緩やかな流れは前回の京都訪問を想起させた。あの時は豆餅だった。
 
今回の旅のテーマは「幕末の京都」ということにした。まずは龍馬が京都に残した足跡をたどるべく、しばらく龍馬が滞在したという「酢屋」へ。内装はすっかり変わっているが外観は当時の面影を残していた。高瀬川に向かって龍馬がピストルの試し撃ちをしたという二階の格子窓を見上げていると胸中せまるものがある。龍馬の存在は確かにあの頃あの窓にあって日本を新しくする策を練ったり、故郷土佐に残した家族を思ったりしていたわけだ。目を細めて高瀬川の流れを見下ろす彼の姿が見えた気がした。
 

 
その後は買い物行脚。「舩はしや」でお菓子を買い、隣のたわしの店でたわしを買い、「田丸印房」、「鳩居堂」と覗いた。
 

 
お茶休憩した後は「京都文化博物館」へ。ちょうど今展示中の「源氏物語千年紀展」を見た。様々な写本や絵巻、屏風は見応え十分。しばし源氏の世界に浸った。中でも細川幽斎の直筆写本には感銘を受けてしばらくそこから立ち去ることができなかった。あぁこれを幽斎が書いたんだと食い入るように見てしまった。
 

 
「京都文化博物館」を後にし現実の世界に戻ると空腹が先を急がせた。初日の晩餐は「技櫓技櫓」。全くこの店のくずし懐石には脱帽した。京都の食文化の高さを思い知らされた。どの一品も繊細かつ独創的で、味覚を戸惑わせるような未体験の美味しさだった。姫と二人してもはや料理以外のことを話す気になれないとほどだった。
 

「布屋」に戻ってからは木の風呂に入り疲れをとった。部屋は天井が通りのほうに斜めに下がりその先に小さな窓があるという典型的な町屋の二階の造り。そこで古い柱にもたれて日記を書いて今日は終わり。あぁなんと心地よい疲れ・・・。
 

  
「酢屋」
 
在りし日の
龍馬見下ろす
高瀬舟
酢屋の格子に
陰をもとめて
 

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連載開始?

2008年05月21日 | Weblog
「新郷商会」さん、「太田鈑金」さん、「三開発」さん、「オアシス珈琲」さん、「ブライダルミュージアム ビッビ」さんとまわった。なんだかワシの仕事の半分は運転だな。
 
夕方に久しぶりに香椎の中野さん宅へ。パソコンのメンテ。中野さんはエクセルを使ってカレンダーを自分で作られて、そこに日記も書きこめるようにされてた。その細かい仕事にビックリ。もう2年くらい続けてあるそうな。自分が教えたことをしっかり活かしてくれてる人を見ると嬉しくなる。
 
某文学賞に応募してた長編はどうもすべったみたいだから、来月あたりから連載しようかなと思う。原稿用紙250枚だから5枚づ載せるとして全50回か。気長な話だな。小説用のブログをまた立ち上げるかな。
 
「道」
 
歩みたき
道に誉れは
待たずとも
踵(きびす)かへさず
頭(こうべ)を垂れず
 
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いじられて

2008年05月20日 | Weblog
ウイルホーム」さんで社長にいじられ、「住まいのイシダ」さんでN谷さんとF井さんにいじられ、「東部ハウジング」さんでA貞さんとN嶋さんにいじられた。みんなワシをなめとろー?
 
今日の最後は「
やひめ」の橋本社長のご自宅へ。パソコンの設置をしてると、社長が「じゃぁ今日は先生に1曲聞かせてやるかなぁ」と練習してるウッドベースを持ち出して来た。それを見た奥さんが「やめなさい!胃が悪くなる」と必死で止めてた。それで結局聞けなかったが次回は是非聞いてみたいなぁ。「Fly me to the moon」をお願いします。
 
「藤」
 
ゆらゆらと
藤はさがりて
なにおもふ
 
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