午前中は「マツノデザイン店舗建築」さんへ。 午後からはジムに行った。
ついに!ついに!チェストプレスの目標の104.6kgを上げることができた!年内に上げるのが目標だったので予定よりかなり早い。いやぁ嬉しい。ただそれだけのことなんだが妙に嬉しい。これぞ呉先生が言うところの日々の小さな夢かもしれない。
次の目標は107kg!100kgを突破してからまだ1年経過していない。この着実に進んでる感がたまらない。
そういうわけで夜は当然のごとく祝杯。ビールがうまかった。
「己」
ただ嬉し こぞとはちがふ おのれかな
蔵
昨日、ディーラーに行って最終回答をしてきた。ついに買うことに決めた。
今回はMPVの買替であり、遊びで買うわけではないのであらゆる条件を満たす車でないといけなかった。だから車種の選定にかなり時間がかかった。
・デザインの悪い車には死んでも乗りたくないので是が非でもかっこよくないといけない。
・仕事でも乗るので燃費がよくないといけない。
・人を乗せることもあるので後部座席に大人がゆっくり座れないといけない。
・荷物もある程度運べるものでないといけない。
・趣味としても運転したいので走りが楽しめないといけない。
・予算があまりないので安くないといけない。
これらの条件を満たす車を探して調査検討した車種は20以上、試乗した車種は6。
最後、奇跡的に1台だけ全ての条件を満たす車種が現れて、今日の運びとなった。 やれやれだ。
おそらくこの車とはいつぞやのセリカのように長い長いつきあいになるだろうと思う。
納車はお盆前後らしい。
「新車」
納車まで なぜか時計が 遅くなる
蔵
小説を予定の半分まで書いた。ペース的には予想以上に順調だ。これなら書き上げた後に細かい表現にこだわる時間もできそうだ。
これを書きあげたらしばらくはゆっくりしたいと思うが、応募しようと思っている賞に毎年チャレンジするならすぐ次の構想を練らなければ間に合わない。気を抜いている暇はない。
思えば松本清張や横溝正史や栗本薫などの多作の人の頭ってのはどうなってたのかと不思議でしょうがない。ワシの頭など1年に1作がせいぜいだ。回転も遅いし記憶力も弱いんだろうな、多分。
まぁワシなりにやれるところまでやるだけだな。
「才」
子曰く 好きこそ才の はじめなり
されど心の 揺れは止まらず
蔵
今週は「中国鍼灸院」さんから。
「禅」
呉炳宇
谷欠多時易病、(谷欠けること多き時病に易く)
衣単入静医疾。(衣ひとつにして静に入れば疾癒える)
感謝之家多楽、(感謝の家に楽多く)
笑顔之人祥吉。(笑顔の人は吉祥なり)
(以下、えしぇ蔵的博多弁訳)。
食べるもんがなけらな具合が悪うなるばい
質素に大人しゅうしときゃ病気も治るたい
感謝する道知っとる家はよかごとなると
いつも笑顔の人は幸せになると
最初の「谷」は穀物を意味するらしい。次の「欠」とつなげれば「欲」という字になる。つまり穀物が不足して欲が生まれるというわけだ。 二行目の「衣」と「単」もつなげれば「禅」になる。つまり服を一枚しか持たないような無欲な状態を心がけることから禅が始まるということだ。
今回も深い詩だ。
呉先生: | 「えしぇ蔵は夢あるネ」 |
ワシ: | 「あります」 |
呉先生: | 「今までも夢あったネ」 |
ワシ: | 「ありましたね」 |
呉先生: | 「例えば大学に受かりたいという夢があったネ」 |
ワシ: | 「ありましたね」 |
呉先生: | 「でも受かったらもうその夢は忘れてしまったネ」 |
ワシ: | 「そうですね」 |
呉先生: | 「人間は夢をかなえてしまうと、かなわない時よりも寂しさを感じるネ」 |
ワシ: | 「なるほど」 |
呉先生: | 「そしてまた次の夢を見るネ」 |
ワシ: | 「見ますね」 |
呉先生: | 「逆にあまりに遠い夢を持ちすぎるとかなわなくて元気なくなるネ」 |
ワシ: | 「そうですね」 |
呉先生: | 「人間はいつも自分の夢に振り回されるヨ。ではどうすればいいか?」 |
ワシ: | 「どうしたらいいんですか?」 |
呉先生: | 「毎日、その日にかなうような小さな夢を見ることネ」 |
ワシ: | 「なるほど」 |
呉先生: | 「大きな夢を持つことも大事。同時に毎日の小さな夢を持てば、毎日楽しいネ」 |
ワシ: | 「おー!いいですね、その考え。小さい夢ですね」 |
よし。毎朝、その日の小さな夢を決めて行動しよう。
「禅の道」
欲を断つ 衣ひとつは 禅の道
いかに我が身に 難きことかな
蔵
午前中は不動産の仕事。午後はまたディーラーに行って、夕方は筋トレ。
さぁ、どうする?車を買うのか?買わないのか?ピブちゃんの走行距離がまもなく10万キロに達する。10万キロを超えると車の査定はほんの気持ちだけの状態になる。来年は消費税も上がる。今はエコカーなら補助もある。
さぁ、どうする?明日には返事をしようと思う。う~ん、決断の時!ガイウス・ユリウス・カエサルがルビコン川を渡る時の心境もかくあるや?
果たして明日、ワシは「賽は投げられた」と言ってルビコン川を渡るのであろうか?
「平家物語」は8巻目に突入した。ついに風雲急を告げてきた。富士川の合戦も終わって、そろそろ木曽の義仲の出番だ。ますます面白くなってきた。
人間というのは成功するまでは謙虚に努力するのに、成功した後は決まって傲慢になる。だからまた謙虚に努力する人にとって代わられるが、その人もまた成功すれば傲慢になる。その繰り返し。それが人間の歴史。
人間性に欠陥があるから傲慢になるのではない。誰でもそうなるのだ。人間の生態とは恐ろしいものだ。
「平家物語」を読みながらつくづくそれを感じた。
「決断」
決断は 己がくだすと 思いきや
多くは周囲の なせることなり
蔵
車を買おうとここ最近、各メーカーのいろんな車種を試乗した。もうずっと車は中古でしか買ったことなくて最近のテクノロジーにはとんと疎くなっていたから、今時の車には「そこまでやってくれるのか!」「そんなことまできるのか!」と驚くことばかり。 そのうち、運転すら必要なくなるのではないだろうか?既にgoogleは無人運転に成功してるし、あながち遠い未来のものでもないかもしれない。
ワシが長生きしたとして、最後に買う車はどんな車だろうか?
で、何を買うのか?最後の決断の時は近い・・・。
「キャンペーン」
車屋さん なぜか行くたび キャンペーン
蔵
今日はマンションの管理組合の臨時総会。なんと理事会史上最速の15分で終わった!素晴らしい。会合は短いに限る。
午前中はそのために空けておいたのでちょいと時間ができた。こういう時は少しでも小説を進めておかないと。
小説を書くたびに日本語に関して新たな発見がいろいろとある。発見というか、自分が知らなかっただけの一般常識ばかりだが。
例えば話し言葉で誰でも使う「一番最初」という表現。何かの順番で「私が一番最初だった」と会話では普通に使うがこれは間違い。「一番」と「最初」は同じ意味なのでどちらか一方でいい。
「顔がにやける」という表現もよく使う。何か嬉しいことがあって思わず顔がほころぶ時などに使うがこれも間違い。「にやける」というのは「男が女のようになよなよしている」ことだ。
まぁこういう”本当は間違い”という表現を探していくときりがない。それに間違いのまま長年使われるとそれが正解とされるようになる場合もある。そんなこんなで日本語がちょっとずつ出来上がってきたというわけだな。
日本語は本当に面白い。日本語のことをもっと日本人に知って欲しいと思う。みんな外国語を学ばないといけないというが、じゃぁ日本語は知ってんのかい?と言いたい。まずは己を知ることだ。
あまりに天気がいいので自転車で博多、天神と遊びに行った。
夜は最近癖になっている地ビール。そしてDVDで「Life of Pi」を見た。評価の高い映画だったが、さもありなん。でもこれ映画館で3Dで見たらさぞすごかったろう。
「日本語」
あはれなり 千年後には チョーかわいい
日本語いかに 変わりゆくかな
蔵
最近は不動産のほうも忙しい。物件を預かったので調査やら資料作りやら何やら。小説も早く書かないといけないし。
あー、コピーロボットが3体欲しい。一つは朝から晩までずっと不動産させる。一つは朝から晩までずっと小説書かせる。一つは今まで通りWEBの仕事をさせる。そしてワシはイタリアで遊ぶ。う~ん、素晴らしい効率化だ。
コピーロボットがせっせと働く間、ワシはローマでカラバッジョの絵を見ぃ~の、ナポリでピザ食べぇ~の、ヴェネツィアでゴンドラ乗りぃ~の、マラネロで試乗をしぃ~の、たまらんだろうなぁ。
「夢」
夢を見て 夢から覚めて 仕事する
蔵
昨日、力試しにジムに行ったが、まだ104.6kgは上がらなかった。だが少し手応えを感じた。この分なら年内には上がるかなという希望的観測。
そして今日は筋肉痛がひどい。自宅の筋トレではならないのにジムに行くとなる。これはジムのほうが効いてるということだな。やはりいつも同じウェイトで同じメニューをやってると身体が慣れてきて効果が薄れる。このへんでちょっとメニューの見直しが必要かな。
体脂肪率は相変わらず落ちないので、下半身のトレーニングの日はウォーキングに出るようにしようかと思う。車で仕事するワシは歩く量が足らないんだな。もっと歩かなければ。この夏は体脂肪を落とすべし。
「半袖」
半袖の 似合う身体に なりたくて
鍛えるうちに またも長袖
蔵
今日は筑後巡回。「スマイルホーム」さん、「江田建設」さん、「星香園」さん。
「江田建設」さんは長年続けてきたブログとフェイスブックによる営業活動が実を結ぶようになった。実に素晴らしいと思う。
どうもブログブームも去ったようで、今書いている人は本当に楽しんでいる人、明確な目的がある人に限られてきた感がある。やらされてるとか、よそがやってるからとか、本来そこに心がない人たちは大方やめたようだ。それでいいと思う。これが本来のあり方だろう。 江田さんは明確な目的もあるし、また自分自身楽しんでもいるのでその熱意は冷めない。冷めないから続けられる。続けているから反響があって商談に結び付く。極めて簡単な論理だ。だがこの簡単なことをできる人にはめったにお目にかからない。
要は今取り組んでいることをぶれないで続けるというただそれだけで、かなり得るものはあるのだ。いろいろ悩むのもいいが、それよりとにかくどれか一つやめないで続けるこったな。
小説ようやく100枚突破。なかなかきついが何がなんでも10月までに350枚書かなければいけない。投稿を勧めてくれた人への恩に報いるために死んでも書かなければいけない。
「峰の雲」
止まらねば いずれは見える 峰の雲
蔵