【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「HACHI 約束の犬」:西葛西駅前バス停付近の会話

2009-07-11 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

この駅、地下に駐輪場があるのよ。
チュウリン場?
そう、チュウリン場。
じゃあ、ハチ公もいるのか?
何で?
チュウリン・ハチ公。
・・・・・・。
無視するな。
まあ、少なくとも欧米人には通じない冗談ね。
でも、忠犬ハチ公の話は欧米人にも理解できるらしい。ラッセ・ハルストレムが映画化した。
「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」で宇宙に行ったかわいそうなライカ犬の映画をつくった監督だから、犬の話には食指が動くのかもね。
ハチ公のご主人になるのが、リチャード・ギア。
脂ぎったところのない彼の性格は、こういうおとぎばなしのような物語にぴったりだった。
でも、事実。
日本人なら誰でも知ってる。
舞台をアメリカに移しただけで、秋田犬のハチ公とご主人の物語っていうのはそのままだから、新鮮味は何にもないはずなんだけど、これが予想外に泣ける、泣ける。
小さい頃から見たり聞いたりした話そのままなんだけど、秋田犬がやたらかわいくてねえ。
帰らぬご主人を待つ後ろ姿。さみしげなまなざし。もの言わぬだけに、けなげさも尋常じゃない。
やっぱり、犬は秋田犬に限るわよね。
プードルとかダックスフンドだったら、ここまで感情移入できたかどうか。
ストイックな感じの秋田犬だからいいのよねえ。
春、夏、秋、冬と季節は移ろうのに、帰ってこないご主人をひたすら待ち続けるハチの物思いに耽ったような顔をワンカットでとらえ続ける場面なんて、美しくもあわれで、映画史に残るんじゃないかと思えるほどの名シーンだった。
犬には雑念がないからね。
人間には雑念がある。
とくにあなたは。
そしてお前も。
犬が駅でご主人を待ち続けるだけのなんともシンプルな話には、よけいなドラマはまったく付け加えられていないんだけど、それがかえってじっくりとハチの気持ちを察する時間を与えてくれて、切ない、切ない。
帰ってこないご主人を毎日毎日、何年も何年も待ち続けるなんて、その間どんな気持ちでいたんだろうとあらためて考えちゃうんだよなあ。
ときどきハチの目線でとらえた映像もはさまるんだけど、犬からの目線だけにモノクロっぽい処理がしてある。
犬は物を白黒でしか見えないっていうからな。
ところが死ぬ間際に見る夢だけはカラーになっている。
ご主人とたわむれあった楽しい日々の回想。犬でも夢だけは色付きで見るのかな。
たかが犬の回想シーンに、こんなに泣かされるとは思いがけなかったわ。
「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいな映画には一滴の涙も出ないのにな。
やっぱり、犬と子どもには勝てないってことかな。
犬は人間を裏切らないからな。
人間は人間を裏切るけどね。
昔、我が家で飼ってた犬が、引っ越ししたら、いなくなって探したらもとの家に戻ってたなんてことがあったのを何十年ぶりに思い出した。
元の家までの道順知ってたの?
それが車に乗せて引っ越したからわからないはずなのに、どうやって戻ったんだろうと、いまだに謎なんだ。
いずれにせよ、あなたの犬も忠犬だったんだ。
いや、自転車で散歩させてたから、チュウリンだ。
・・・・・・。





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「サンシャイン・クリーニング」:西葛西六丁目バス停付近の会話

2009-07-08 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

ここにもきれいな公園があるのね。
でも、こういう公園の掃除って、びんとか缶とかいろんな落し物があってたいへんだろうなあ。
もっと、たいへんな掃除があるわよ。
なに?
殺人とか自殺とか、事件現場の掃除。
血まみれの床とか家具とかの掃除か。考えただけでぞっとする。
でも、それを女の姉妹で始めるっていうんだから、勇気があるわよね。
「サンシャイン・クリーニング」の話か。
うん。30過ぎたアメリカの姉妹が始める新しい仕事。
姉は昔の恋人と不倫しているシングル・マザーだし、妹はすぐ職場をクビになるフリーターだし、どうにもパッとしない姉妹が、事件現場の掃除という仕事を見つけ、衝突しながらもなんとかこなしていく。
うーん、なんか、身につまされるなあ。
こんな冴えない姉妹が?
冴えないからこそ身近で、それだけに身につまされるのよ。
こういう登場人物に比べると「それでも恋するバルセロナ」の登場人物はみんな華やかだったよなあ。
あれはセレブの世界よね。こっちは庶民の現実。現実の中で右往左往しながらそれでも生きていくその姿が健気じゃないの。
学生時代はチアリーダーでブイブイ言わせてたのに、いまや見る影もなく、仲間たちのほうがよっぽど幸せになっているなんて、ありそうな話だもんなあ。
ありそう、ありそう。
って、ずいぶんうなずいてるけど、ひょっとして、お前にも経験がある?
あたらずといえど、遠からずなところがくやしい。
奇妙にチャーミングな映画だった「リトル・ミス・サンシャイン」のスタッフがつくったっていうから、もっとぶっ飛んだキャラクターの一家が出てくるのかと思ったら、案外近所にいそうなお姉ちゃんたちなんでびっくりした。
最後にはいい男が現れてめでたし、めでたしかと思ったらそういう展開でもないところがまたリアルで共感しちゃうのよねえ。
それも経験がある?
いい男なんてそんな都合よく現れないってところがね。
悪かったな。
彼女たちと仲良くなる男は出てくるんだけど、恋とか愛とかとは無縁な存在なのがいいのよねえ。
事件現場の掃除なんていう設定で、「リトル・ミス・サンシャイン」のスタッフなら、もっと事件にからんだドラマをふくらませていくらでもおもしろい話にできただろうに、そっちには持っていかなくて姉妹の日常に的をしぼったっていうのが意外だった。
でも、そこがこの映画の魅力なのよ。
魅力かどうかはわからないけど、憎めない映画だったことはたしかだな。
何をやってもうまくいかなくて落ち込んだときに観たら、しょーがないなあ、明日からまたがんばろうかなって気持ちにさせてくれそうな映画。
サンシャイン・クリーニングだけに、心洗われた?
ううん、事件現場の掃除と一緒で、過去まできれいに洗い流すことはできないけど、少しぐらい汚れがあっても生きていっていいかなっていう気にはなった。




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「それでも恋するバルセロナ」:中葛西五丁目バス停付近の会話

2009-07-04 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

こんなところに欧風の古城が・・・。
なんだかんだ言って、みんなヨーロッパには憧れてるからね。
とくに日本人の女性はな。
アメリカ人でも憧れるんじゃないの?
ああ、「それでも恋するバルセロナ」なんて観ると再認識する。
アメリカの若い女性二人がバルセロナでバカンスを過ごすという、ウディ・アレンの新作ね。
女性二人がバルセロナに行くなんていったら、求めているものはアバンチュールしかないわけで、話はそのとおりに展開する。
二人の間に情熱的な男性が現われて、あっという間に三角関係。
ところがそこに、男の元妻が現われて、話は奇妙な四角関係に発展していく。
ヨーロッパのリゾートで繰り広げられる恋のさやあてっていったら、本来はエリック・ロメールの独壇場だけどね。
実際、道具立てだけを見るとそうなんだけど、香りゆたかで微笑ましいエリック・ロメールの映画に比べると、この映画はアメリカ映画だから、やっぱりどこかドライで身も蓋もないところがある。
ウディ・アレンにしては、ペダンチックなところが抑えられて、観光映画に徹しているんだけど、やっぱり皮肉や毒気がにじみ出てくる。
どんよりとした風景を好むウディ・アレンがこんな陽光さんさんな土地を選ぶなんて珍しい。
たぶん、スカーレット・ヨハンソンの存在が大きいと思うな。ウディ・アレンって知的でありながら、ダイアン・キートンとかミア・ファローとかそのときどきの女性の影響をもろに受けちゃうからね。
ここのところは、ちょっとハスッパな感じのスカーレット・ヨハンソンに首ったけってことか。
かといって、彼女を魅力的に撮るわけでもないっていうのが不思議なんだけどね。
今回の女優陣でいちばん光っていたのは、男性のヒステリックな元妻を演じていたペネロペ・クルスだもんね。
いかにもスペイン人らしく、感情の塊のような役。
これで、ウディ・アレンがスカーレット・ヨハンソンからペナロペ・クルスに乗り換えたら、彼の映画にもまた新たな展開が始まるんだろうけどな。
それは、ありえないでしょう。あんな情熱的な女性、ウディ・アレンには、なんか不釣合いだもん。
そのうちまた、ニューヨークに戻って元の映画に回帰するのかな。
それはわからないけど、この映画自体、彼のアバンチュールみたいなもんだからね。
このブログ自体、俺たちのアバンチュールみたいなもんだもんな。
それも、ありえないでしょう。
だよな。




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「ディア・ドクター」:葛西駅通りバス停付近の会話

2009-07-01 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

しっかし、お稲荷さんて、日本中どこにでもあるな。
それだけ、無病息災を祈る人が多いってことなのかしら。
お稲荷さんと同じくらい医者も多ければいいのにな。
現実には田舎へ行けば無医村もいっぱい。
だから、笑福亭鶴瓶みたいな医者も出てくる。
「ディア・ドクター」の鶴瓶?
ああ、「ディア・ハンター」とは違うぞ。
わかってるわよ、そんなこと。ロバート・デ・ニーロの映画じゃないんだから。
鶴瓶は高齢化が進む寒村でただ一人の医者として老人たちから慕われているんだけど、その正体は誰も知らない。
偶然が重なって死にそうな人を助けたりするもんだから、村の名医としてますます信頼されるようになる。
そんな男を鶴瓶がいつもの大阪弁で飄々と演じている。
でも、実際は名医でもなんでもないってことが徐々にわかってくる。
人に知れないところでは、冷や汗をかきながら暮らしている。
人懐こい表情と、その裏には何かありそうな二面性が、笑福亭鶴瓶鶴にぴったりの役柄だわね。
ロバート・デ・ニーロには真似できない役柄だ。
あたりまえじゃない。大阪弁なんて話せるわけないんだから。
看護師の余貴美子がまた、彼の秘密を知っているような知っていないような、微妙な役柄を絶妙に演じている。
おくりびと」のあとが看護師なんて、偶然とは思えない配役。
余貴美子って助演ばかりだけど、いちど彼女の主演映画を観てみたいな。
「ディア・ドクター」のスピンオフ映画で「ディア・ナース」とかどうかしら?
いいかも。
そして、都会の医療に疑問を感じてここの病院にやってくる真面目なインターンの瑛太。彼もまた、肝心なところでドライなところを見せたりして、登場人物がみんな裏表の顔を持つというのがおもしろい。
監督は、「ゆれる」の西川美和。
話は全然違うけど、なんかミステリアスな感覚が映画を引っ張っていいるところが「ゆれる」を思い出させるわね。
田舎の人々が繰り広げる人間ドラマなんだけど、監督が人と人の間にサスペンスを求めるから、人情味あふれる映画というより、あかぬけたシャープな映画だっていう印象のほうが強い。
八千草薫演じる胃が悪いおばあちゃんと鶴瓶のふれあいなんて、素朴ないい味わいが出ていたけどね。
そのおばあちゃんの娘が母親の飲んでいる薬を発見する場面。暑くてキッチンにアイスクリームを取りにいったらゴミ箱に薬を発見する。思わずアイスを流しに捨てて薬に見入る。捨てられたアイスが流しの中でゆっくり溶け出していく。そのさりげない描写が不安感をあおる。無理のない展開でアイスクリームに娘の不安を象徴させる。たとえば、そういうところに西川美和の腕前を見ちゃう映画なんだ。
ラストは「ゆれる」と同様にどうとでもとれるような終わり方。
監督自身、あれはなんだ、と明確に決めていない撮り方だ。
それで印象が後を引くともいえるし、中途半端だなあとも感じる。良くも悪くも、いまどきの映画ね。
でも丁寧に仕上がった映画らしい映画だったことはたしかだ。お稲荷さんに祈っちゃおうかな。
何を?
こういう映画がもっと現れますように、って。
なるほど。




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