【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「バーダー・マインホフ 理想の果てに」:東砂六丁目バス停付近の会話

2009-07-25 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

カフェ・コロラドって昔からあるよな。
第1号店は1972年に川崎市に誕生したっていうからね。
1972年て言やあ、バーダー・マインホフが西ドイツで連続爆破事件を起こした年じゃないか。
おや、妙に詳しいわね。
ああ。国際的な話題は俺にまかせておけって。
とか言って、いま観てきたばかりじゃないの、「バーダー・マインホフ 理想の果てに」。
バーダー・マインホフ、のちのドイツ赤軍の成立から瓦解までを追った硬派の実録映画。
日本でいえば、連合赤軍みたいな組織だったのかしら。
革命を叫んだ反体制組織という意味ではそうかもしれないな。
でも、1970年代、遠いヨーロッパで日本と同じような組織が生まれていたなんて知らなかったわ。
バーダー・マインホフなんて、一人の人物の名前かと思っていたくらいだもんな。
そう、そう。バーダーさんとマインホフさんていう二人の名前だったなんて初めて知ったわ。
日本で連合赤軍事件が国民的事件だったように、ドイツではバーダー・マインホフ事件は国を揺るがす大事件だったようだな。
映画も、私たち日本人は大河ドラマのように観てしまうけど、ドイツ人にとっては、昨日のできごとのように感情移入しながら観てしまうんでしょうね。
観ていると日本の連合赤軍と同じような道を歩んでいる。
一人の学生の死から始まって、正義を追及する人々が組織化されて行く過程で、路線は暴力革命へと変質していき、やがては要人暗殺、ハイジャックへと活動がエスカレートしていく。
第一世代のリーダーが捕まり、第二世代へと行動が引き継がれる中で、先鋭化していく闘争はもう誰にも止められなくなっていく。
でも、連合赤軍と違うのは、追いつめられて行く中でも、仲間同士の悲惨な粛清へは結びつかなかったところね。
刑務所に収監されたあとでも、仲間同士で議論を続けている。
牢獄の中にミーティングルームみたいなところがあって、そこへメンバーが集まって議論が交わせるっていう待遇にびっくりするけどね。
日本よりは民衆の支持が強く、体制側も邪険に扱うわけにはいかなかったのかもしれないな。
だから、日本のように孤立化せず、内部粛清には向かわなかったってことかしら。
でも、結局は組織が肥大化し、方針転換を繰り返す中で、理想は忘れ去られ、組織は崩壊していく。
こういう組織って、どうして時代を問わず、国を問わず、いつも同じような挫折の道筋を歩むのかしら。
振り返ってみれば、日本の軍隊だって同じようなもんだもんな。中国で小競り合いをしていたはずがいつのまにか太平洋戦争を起こすまでに行ってしまって、その結果、崩壊する。人類の哀しいさがなのかもしれないな。
「理想の果てに」っていうサブタイトルが胸にむなしく響く。
追い詰められると、冷静に判断する余裕がなくなるってことかな。
映画化するまでに40年近くたっている。
日本の連合赤軍を映画化した「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」も同じくらいの時間がたっている。
事件の全体像を冷静にとらえるには、それくらいの時間が必要だったっていうことね。
それくらい、重い題材を映画化したっていうことだ。
誰かの心情に肩入れすることなく、事件の全貌をとらえようとした姿勢には感服するわ。
その姿勢も「実録・連合赤軍」に通じる。あの時代の喧噪を感情のままに描くのではなく、立ち止まって眺めてみようとする姿勢。
そうよね。何ごとも、立ち止まって考えてみるってことがだいじよね。
俺たちもちょっと立ち止まって考えるか、カフェ・コロラドで。
あなたは、考えるふりして、いっぷくしてるだけじゃない、いつも。
あ、知ってた?






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