【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「嗚呼 満蒙開拓団」:葛西橋東詰バス停付近の会話

2009-07-22 | ★亀29系統(なぎさニュータウン~亀戸駅)

この先、橋を渡れば日本橋はもうすぐそこよ。
おお、懐かしの日本!
いえ、日本橋。
いいんだ、日本で。いま俺は満洲から引き揚げてきた農民の気持ちになっているんだから。
「嗚呼 満蒙開拓団」を観たばっかりだから?
ああ。国策に踊らされて満州に渡ったものの、敗戦で命からがら日本へ戻ってきた人々の証言ドキュメンタリー。
ごくごく平凡に生きてきたように見えるお年寄りの口から「親が自分の兄弟を手にかけた」とか「子どもを川へ投げ捨てた」とか、信じられないような証言が出てくると、予想はしていてもがく然とするわね。
戦場での経験を語るドキュメンタリーというのはいくつかあるけど、ここに出てきた人々はただの農民だからな。普通の人々が戦争の陰でどんな困難な状況に置かれたか、想像するだけで言葉を失う。
そうして中国で亡くなった人に対して日本という国は何もしないで、侵略された中国が彼らのために立派な墓標を立てたという事実。
悪いのは農民じゃなくて、軍部なんだからという、信じ難く心の広い考え。
あたりまえといえば、あたりまえなんだけど、日本人に何百万という人々が殺された国だからね。なかなか割り切れることじゃない。
いろいろある国だけど、ちょっと見直した。
いちばん恐ろしかったのは、当時日本の憲兵だった男性の証言よね。
庶民はその場に残したまま、彼も含めた軍部や役人たちがとっとと先に逃げてしまう。
そのときの彼は、助けを求める庶民の姿を見ても一顧だにしない。それが当然だという気持ちしかなかったっていう。
庶民には申し訳なく思いながらも先に逃げる、っていうんじゃなくて、それがしごくあたりまえだと思っていたという証言。
何の罪悪感も覚えなかったっていうのに慄然とする。
彼が悪いっていうんじゃなくて、国中がそういう精神状態になっていたっていうことだ。
いまから思えばとんでもない考えだけど、当時はそれを疑いもしなかったということ。
そういう空気ができてしまうことがいちばん恐ろしい。
精神のまひ。そういう風潮が支配する世の中にならないように、私たちは常に自覚していなくちゃいけないってことね。
なんだか、社会科の教科書みたいな会話になってしまったけれど、たまにはそれもいいだろう。
たまには?ダメよ、そんな中途半端なことじゃ。常に意識しておかないと、またいつ、ああいう時代に逆戻りしてしまうかわからないわよ。
そうだな。日本橋を見て、ああ、懐かしい、やっと帰って来れた、なんてことにならないような世の中であり続けたいもんな。
そういうことも頭に入れながら、今度の選挙に行ってね。
飛躍するなあ。
でも、そういうことよ。
はい。






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2 コメント

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TBありがとうございました。 (sakurai)
2009-07-29 08:26:54
全国に先駆けての上映だったのですが、ぜひ多くの人に見てもらいたいです。
あたしたちに何ができるか!ということになりそうですが、まず知ることが大事ですよね。
あとは、やっぱ選挙でしょうか。

昨日、ニュースを聞いてて、50年前に沖縄の小学校に戦闘機が落ちて、たくさんの小学生が亡くなった・・・ということを伝えようとしている校長先生のことが出ておりました。
子供を亡くしたお母さんが「私はなにもできないから」に、「語ってください」といった言葉が印象的でした。
そしてあたしたちはいろんなことを見て、聞かなければならない・・・と思いました。
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■sakuraiさんへ (ジョー)
2009-07-29 20:41:15
語ってもらうにも、もう体験者がどんどん
いなくなっているんですよね。
こういう形で記録に残しておく意義が
これからどんどん大きくなってくるんだろうと
思いました。
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