【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「デス・プルーフinグラインドハウス」:都立障害者センター前バス停付近の会話

2007-09-01 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

この道を行くと、新宿スポーツセンターがあるはずよ。
スポーツはもういいよ。
どうして?
タランティーノの「デス・プルーフinグラインドハウス」を観たら、スポーツをしたあとのような爽快感を覚えたからな。
ああ、そういう感想もあるんだ。
あのカーチェイスはスカッとしたと言うしかないだろう。
後半はそうだけど、前半は?
前半は、まあ、爽やかさとは無縁のジトッとした話だったな。
この映画、グラインドハウスという、かつてアメリカにあったB級映画を連続上映する場末の映画館向けにつくられた映画を復活させようと、ロバート・ロドリゲスの「プラネット・テラー」と二本一組でつくられたのに、日本では別々に公開されたっていう、いわくつきの映画なんだけど、「デス・プルーフ」自体が、前半と後半の二本立てみたいな映画だったと思わない?
それだけ、前半と後半で雰囲気がガラッと変わったってことだろ。
前半は、チープな映像といい、適当な音楽といい、いいかげんな編集といい、三流の色気のする女優陣といい、いかにも12チャンネルの木曜映画劇場でひっそりと上映されそうなB級の出来で、そういう意味ではグラインドハウス調というコンセプトにぴったりなんだけど、後半になると、色調も映像もちょっと洗練されちゃって、いま風のシネコンで上映されてもあまり違和感のない映画に変わっちゃったような気がするのよ。
前半にあったいかがわしさが後半にはなくなっちゃったってことだろうけど、そんなアンバランスさも含めて、やりたいことをやっちゃっうってところが、グラインドハウスの精神ってことなんじゃないのか。
なるほど。前半も後半も、女と車とアクションだけという道具立ては、B級映画そのものだったしね。
USAバージョンはもっと短いらしいけど、どこを切ったのかな。
日本じゃ、USAバージョンは六本木だけで公開されていたけど、二本立てで3,000円だった。B級映画を格安の料金で上映するというグラインドハウスの精神とは矛盾する料金設定よね。
それを言ったら、ドルビー、THXなんていう上映環境も、とてもグラインドハウスの精神を継いでいるとは思えない。
じゃあ、って言って、こういう映画を文字通り場末の映画館で観ても虚しくなるだけで、ちゃんとしたシネコンで擬似体験するからおもしろく感じるんじゃないかしら。
そうだな。昔の映画館みたいに、タバコの煙と便所の匂いに包まれて観たって、実はおもしろくもなんともないかもな。というか、それだけ贅沢に慣らされちゃったんだよな、俺たち映画ファンも。
劇中で話題になる「バニシング・ポイント」をリアルタイムで観ている人だって、ほとんどいないだろうしね。
タランティーノもリアルタイムで観ている年齢じゃないような気がするんだけどな。
63年生まれだから、リアルタイムで観ているとすれば7歳くらいよ。
待て待て。だったら、リアルタイムで観ている可能性もあるぞ。
どうして?
「バニシング・ポイント」っていうのは、ベトナム戦争で疲弊したアメリカの若者たちの閉塞感を描いた社会派映画なんだけど、「デス・プルーフ」で言及されているのは、その象徴となった車のかっこよさばかりなんだ。7歳で観ていたとすれば、そういう社会背景なんか理解できないだろうから、車のかっこよさばかりがまぶたに残ったとしても不思議はない。
それはありうるわね。
いずれにしても、映画が好きで好きでたまらないっていうタランティーノの心意気は十分に伝わってくる映画だよ。
それに、あのカーチェイスのばかばかしさは、あなたの言うように、スポーツをしたあとの爽快感に近い感じがしないこともないかもしれないわね。
なんだ、そのもって回った言い方は?たまには素直に俺の意見にも同意しろよ。
ダメよ、男はすぐつけあがるから。
って、「デス・プルーフ」の女たちみたいな顔して言うなよ。


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都立障害者センター前バス停



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