【映画がはねたら、都バスに乗って】

映画が終わったら都バスにゆられ、2人で交わすたわいのないお喋り。それがささやかな贅沢ってもんです。(文責:ジョー)

「包帯クラブ」:新宿伊勢丹前バス停付近の会話

2007-09-19 | ★池86系統(東池袋四丁目~渋谷駅)

お、伊勢丹か。ネクタイ売場行かなくちゃ。
どうして?
ネクタイ買うんだ。
だから、どうして?
ネクタイクラブ、つくるんだよ。
ネクタイクラブ?
そう、心に傷を負った人の事件現場にネクタイを巻くんだよ。巻きます、効きます、人によります、ってな。
それって「包帯クラブ」そのまんまじゃん。
いやいや、「包帯クラブ」は若者たちのクラブだろ。「ネクタイクラブ」はおとなたちのクラブだ。傷はもっと深く、つらいぞ。
でも、若者たちだから、あんなことしても許されるんで、いいおとなが同じことをやったら、バカじゃないの、って思われるだけよ。
だからって、何もしなくちゃ世界は変わらないぞ、って映画の中でも言ってるだろ。
青い、青い。まだまだ頭の中が青いわねえ。
そういうわけ知り顔のおとなが若者たちの芽を摘むんだ。
まあ、そう言いたくなる気持ちもわからないことはないけどね。他人のために包帯を巻いて、傷をいやしてあげているつもりが、自分の傷がいやされていたんだって気づく、とってもナイーブな映画だもんね。
一歩間違えると、往年の「白線流し」みたいな、テレビの連続ドラマになりそうなほどわかりやすい話なんだけど、さすがに映像派の堤幸彦だけに、スローモーションやカット飛ばしやいろいろな手法を微妙に使って、原作のエッセンスを生かしながら映画ならではの空気感を作り出している。そして、画面に寄り添う音楽の透明感が、またすばらしい。さすがだな。
石原さとみの素直さも柳楽優弥の弾け具合も、ちょうどいいしね。
屋上を走り続ける柳楽優弥を延々と追うヘリコプターショット。あれがこの映画の白眉だな。「コイヤー、コイヤー」っていう掛け声は、いつまでも耳に残るぜ。
北関東の高崎って町に場所を設定しているのもいいわよね。
高校生が生きる世界っていうのは、せいぜいあのくらいの行動半径のところだもんな。実に狭いところで、世界は変えられるか、なんて悩んでいる。若いっていうのは、そういうことなんだよな。
ところが、この映画はそれでは終わらない。ラスト、いきなり広い世界に話が飛ぶんだけど、原作を読まないで映画だけ見た人にあのラストシーンの意味がわかるのかしら。
わかるかどうか、わからないけど、高校生たちの狭い世界の物語が、実は広い世界につながっているという、巧妙にして絶妙なラストシーンだ。あそこで一気に映画が大きくなる。
人の痛みをわかるとは世界の痛みをわかることなんだ、世界はそうして変えて行くしかない、っていうメッセージよね。
だから、高校生にばかりまかせておかないで、俺たちおとなもつくらなくちゃいけないんだよ、ネクタイクラブ。
でも、あなたの傷って、上司にどなられたとか、派遣社員に無視されたとか、そんなのばかりでしょ。話が小さくない?
それより、よく考えると、包帯に比べてネクタイって高いよなあ。なんか、もったいないよなあ。やっぱりやめるか・・・。
あーあ、いきなり、みみっちい世界の話になっちゃったわね。


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新宿伊勢丹前バス停



ふたりが乗ったのは、都バス<池86系統>
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