Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

ドン・ジョヴァンニ

2008年12月10日 | 音楽
 新国立劇場のオペラ部門が現体制になってから、足が遠のいてしまったが、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の新制作なので行ってきた。初台の駅のホームを歩きながら、いつ以来だろうかと考えた。5月の「軍人たち」以来だ。

 タイトル・ロールはルチオ・ガッロ。さすがにベテランらしい安定感があり、姿かたちもよくて合格点だ。従者レポレッロはアンドレア・コンチェッティという人で、指揮者と呼吸が合わないのか、ときどき歌い切れていなかった。ドンナ・アンナのエレーナ・モシュクとドンナ・エルヴィーラのアガ・ミコライは、声はいいのだが抑揚が大きくて、様式的に違和感があった。ドン・オッターヴィオはホアン・ホセ・ロペラという人で、ただ甘いだけでなく、芯のある歌唱をきかせた。以上が外国勢で、あとは日本人歌手、それぞれ頑張った。
 指揮はコンスタンティン・トリンクスという若手で、冒頭はフレーズを短く切ったピリオド奏法の援用かと思ったが、だんだん普通の演奏になり、全般的に単調さが否めず、次第に興味を失った。

 演出はグリシャ・アサガロフ。実績のあるベテランだが、観客すべての思いのこもったこのオペラの演出としては、中途半端に終わった。ドンナ・アンナのドン・ジョヴァンニにたいする心情、ドンナ・エルヴィーラの深みのある人間性、ツェルリーナのキャラクターの解釈など、観客は皆自分の思いをもっている。それにたいして演出家は、自分の解釈をぶつけるか、演劇的に細かく構築するか、様式美に徹するか、いずれにしても何かに徹底しなければ成功しない。
 もしかすると、今の日本ではできなかったのかもしれない。たとえば第2幕の終盤でドンナ・エルヴィーラが改悛をもとめて訪れたとき、ドン・ジョヴァンニは追い返すが、そのときドン・ジョヴァンニはドンナ・エルヴィーラを犯すような動作をした。もしあれがヨーロッパだったら、もっと大胆な演技になったのではないか。演出家による自主規制だったのか、あるいは劇場側の要請だったのかは分からないが、ほのめかすだけ。そのため意味が希薄で、人間のもつエロスの業が出てこなかった。

 美術と衣装はルイジ・ペーレゴという人。アサガロフのアイディアのようだが、舞台をヴェネチアに置き換えて、第1幕のフィナーレの夜会では、村人たち全員に仮面をつけさせ、ヴェネチアのカーニヴァルのような怪しい雰囲気をつくっていた。ただ、色づかいが雑多で、ドン・ジョヴァンニの衣装の濃い紫色で統一したほうがよいのではないかと思った。

 新国立劇場はオープン以来11年目だが、いまだにウィーン、ミュンヘン、ベルリン、パリ、ミラノ、ニューヨークなどの劇場と肩を並べる存在にならないのは何故なのだろう。
(2008.12.09.新国立劇場)
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