Enoの音楽日記

オペラ、コンサートを中心に、日々の感想を記します。

宮本輝「川三部作」(3):「道頓堀川」

2022年01月12日 | 読書
 宮本輝「川三部作」の第3部「道頓堀川」。時は1969年(昭和44年)、所は大阪の道頓堀川の河畔、主人公は21歳(大学4年生)の安岡邦彦。第1作「泥の河」の主人公は8歳(小学2年生)で子どもの世界を生き、第2作「螢川」の主人公は14~15歳(中学2~3年生)で思春期の時期をすごすのにたいして、「道頓堀川」の主人公は今後の生き方に悩む時期をすごす。

 もっとも、「道頓堀川」は邦彦が主人公というよりは、道頓堀に生きる人々の群像劇だ。その中心には邦彦が住み込みで働く喫茶店のマスター、武内鉄男(50歳)がいる。武内と、武内が戦争直後の闇市で出会い、結婚した鈴子、そして鈴子とのあいだに生まれた政夫、さらに鈴子が政夫をつれて駆け落ちした杉山元一、それらの人々の人生がメインストーリーだ。

 武内は不器用で孤独な男だ。その武内の鈴子への愛と怒り、そして(武内の一方的な感情かもしれないが)理解と和解が描かれる。紆余曲折をたどる武内の心の軌跡は、戦争直後の混乱期とその終わり(社会の落ち着き)に重なる。戦後を描いた「泥の河」(1955年、昭和30年)、「螢川」(1962年、昭和37年)の大きな物語が「道頓堀川」で幕を閉じる。

 「泥の河」の最終場面では、主人公の両親は大阪から新潟へ転居しようとする。主人公にとって転居は友人との別れを意味する。また「螢川」の最終場面では、主人公の母親は(父親はすでに亡くなっている)富山から大阪への転居を考える。主人公にとって転居は初恋の人との別れを意味する。それぞれ転居が重要な要素だ。

 「道頓堀川」の最終場面では、明記はされないが、主人公は道頓堀から去るように読める。そう読めるように、いくつかの伏線が張られている。主要な伏線は次の一節だ。「その瞬間、邦彦は、このすさまじい汚濁と喧騒と色とりどりの電飾板に包まれた巨大な泥溝の淵(引用者注:道頓堀)から、なんとかして逃げて行きたいと思った。それは思いのほか困難な仕事のような気がした。」(第10章の最後の段落)。

 そして第11章(最終章)がくる。その最終場面で邦彦は、迷い犬を追って、外に駆け出す。武内は「邦ちゃん、煙草を買うて来てくれへんか」という。だが「聞こえなかったはずはないのに、邦彦は武内の言葉を無視して法善寺への細道を歩いて行った。」とある。なぜ邦彦は無視したのか。邦彦はもう戻らないからではないか。もし戻らないとしたら、「道頓堀川」の最終場面は「泥の河」、「螢川」と同じパターンになる。

 その読み方を補強するように、最終場面にむけて邦彦の周囲の人々が一人、また一人と道頓堀を去る。具体的には、邦彦の亡父の愛人だった弘美が岡山に去り、またゲイボーイの「かおる」が新橋に去ることを決める。「道頓堀川」は道頓堀のひと時代の終わりを描いた作品なのだ。

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